私は、口頭で人に伝えることが苦手だ。
もちろん、文章で伝えるよりも
口頭で伝えたほうが正確に伝わりやすかったり、
早く伝わることができたりもすることもあるが、
口下手が災いして、人を立腹させたこともあった。
先日、ある友人(以下A)との話の中で、
自分の勉強不足を痛感し、上手く友人に伝えることができなかったという事があった。
しかしその友人が別な友人に話したのか、
別な友人(以下B)がその件について痛烈に批判する内容の記事を、ブログにアップしていた。
その内容は、あまり人がしないような内容だったので、私のことだということはピンと来た。
AがBに話しをすることは想定内で、
私も一部思い出せない内容があり、答えに自信がないから予め訂正もしたし、
彼女がある言葉だけに反応し始め、
間違って受け取られているようだったので、
それに拘って欲しくなかったから
忘れてほしいと頼んだが、友人Aは忘れることなくBに話した。
私がAに伝えたい内容とは違う内容を、AからBに話された。
そうなることは想定内だったとはいえ、
ブログであそこまで書かれ(しかも、言った人はドヤ顔だったらしい。私はドヤ顔どころか、その逆の態度だったと思うが)、
読んだときは流石にショックだった。
批判というものについて考えてみたりした。
批判や怒りがいい悪いはさておき、
自分の中に堅固さを保つことができていたら、
相手の言葉にいちいち反応したり、
批判したりすることはないのではないだろうか?
自分の中にあるものに対して、堅固さがないから、答えが知りたくなったり、自分と反対意見に対して強く反応したりするのではないだろうか?
道から外れた人がいたら、正しい道を進めるように祈り、それが出来るとその人を信じてそっと見守る。
それで充分ではないか。
とは言え、私はそう考えているが、
自分の考えが正しいとは思わない。
色々な考えがあっていいと思うのだ。
沢山の人が目にするブログで、
批判という名の怒りを露わにして
自分の考えを正当化する。
怒りというのはネガティヴなエネルギーでしかないわけで、
他の人はもちろん、自分も傷つけてしまう。
出来れば手放したい感情だ。
たとえ自分を出して行くとは言っても、
物には限度もあるし、節度も必要だと思う。
それはあなたが決めることではなくて、
本人が決めること。
また私は私で、自分の内側に堅固さを持つけれど、要求された時しかそれを出さないように、また正確に伝えることができるように学ぼうと強く誓ったのだった。