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しあわせ原村生活(ameblo版)

旧「日常 ときどき スピリチュアル」です。
長野県の原村で、しあわせな日々を味わっています。
最近の記事は本サイトhttp://miyoyon.infoから連携させてます。

原村は、今日も夜になってもマイナスではないという、移住して初めてといってもいいくらい、暖かい冬(暦のうえでは春ですが・・)になりました。太陽も、雲も、草木も全部美しく、本当にいつ見ても、何度見ても、飽きないですね。

朝、長男と一緒に歩く道にて。桃色に染まり始めた青空、雲、木々の影、すべてが美しかったです。

 

 

2016年から始めたSoulpathでは、魂の道を歩む人を全力でサポートしたい!という思いから、自分を知る→癒す→氣づいて行動する のエッセンスをそれぞれの状況でサポートすることをわたしなりに提供しています。

おかげさまで、わたしの受けられるペースで、最適な方がご縁をくださって、わたしも学びながらやらせてもらっています。

 

 

なかでも、「世界観を伝えるWebsite制作講座」は、最初からご縁をいただいていたのですが、ちょっと自分なりに思うところがありまして、自分の未熟さを含めて反省しつつ、昨年はお休みをいただいていました。(不思議とそういうときは、他のことでご縁をいただくのです。流れってすごい)

 

 

そして、ここ最近、たぶん、流れがきているかな・・と思っていたら立て続けにオファーをいただき、反省点を活かしながら大幅改訂版でやらせてもらっています。わたしも1年間の間で意識はしていなかったものの、無意識に情報を集めたり、案を練っていたみたいでトントンと内容はできあがっていきました。

 

 

Websiteって今の時代は特別なものではなく、名刺代わりのようにもなっていたり、SNSが普及した今においては、昔のものと比べると随分位置づけが変わりましたよね。単につくるだけだったら無料でそれこそ5分でできてしまうわけです。

 

 

でも、結局は自分が何を伝えたいのか、何のためにやるのか、誰のためにやるのか、つきつめていくと、自分の世界観に共感してくれる仲間を探すための場づくりを意識することがとても大切なのですよね。リアルでつながるのもとてもいいですが、せっかく技術が身近になっている今、そこもやっぱり活かした方が楽しいですよね。

 

 

というわけで、わたしはかなーりスピリチュアルな内容をいれながら、世界観を自覚していく作業、そして「伝わる」ためのデザイン、記事の書き方、そういうテクニカルなこと、今の時流を知った上でのオリジナリティの出し方、そういう視点を大切に、単なる作業に終始せず丁寧に時間をかけてほりさげていきます。

 

 

 

最初にご自身で書きだしをやっていただいた後、ヒューマンデザインや占星術を合わせたチャートを拝見しながらお互いに自分の性質、特に発信の部分についての確認を行い、その後テーマにそったコラージュを作って、文書化する作業も行います。ふんふん、と聞いているだけではなく、アウトプットしていく作業が加わることで初めて「自分のもの」となりますからね。写真は、わたしの各テーマのコラージュのコラージュ(笑)

 

 

そう。

スピリチュアルなことも、やっぱりアウトプットしてこそ、活きてくるのです。活かしてなんぼ、なのです。

ミエナイ世界だけだったら、魂にかえってからいくらでもできる。ミエル世界で融合させ、体験させ、表現していくことこそが、この世界で生きていく喜びにつながるのですから。

 

 

今朝、講座の準備をしていたら、夫がわたしの作業をのぞき込んできて、

 

 

あれ?Soulpathってスピ系のことやるんじゃなかったの??

 

 

と不思議そうに聞いてきたので、

 

 

あのね、スピリチュアルなこともやるけど、基本は最後にちゃんと現実世界でそれを活かしていくためにやるの。だから、フワフワっとしたことで終わるんじゃないんだよ!!

 

 

と聞かれてもいないのにアツク語ってしまいました(笑)

 

 

まあ、フワフワもいいんですけどね。やっぱり活かしてなんぼ、なのです。

 

 

 

昨日の帰り道。ピンクにそまる八ヶ岳とお月様が美しかったのでした。

 

原村に住んで4年が過ぎ、直感で原村に決めてからは5年が過ぎました。

毎日、こういう景色に出会えて、本当に心からしあわせを感じています。

 

夕暮れ時の家の前。いつも素晴らしく美しいのです。

 

少し前から、久しぶりに自分はナニモノか?を確認するようなやりとりがありました。

 

久しぶりに、学歴を「すごい」といわれ、さらに「モッタイナイ」と言われたり

久しぶりに、高校の同窓会が開かれることになり、同級生とのやりとりをみてみたり。

 

わたしは、いわゆる「高学歴」の部類にはいるほうではありますが、

それが、果たしてわたしにとってしあわせだったのかというと、よくわかりません。

 

この学歴のおかげで、いろんな場面で人よりも多くのチャンスをいただけたことは事実と思いますし、わたしにとって、この学歴をとりにいき、自分のやりたいことを見失う→自分探しをすることでたくさんの出会いがある

 

というプロセスは、とても必要であったことは自覚しているのです。

 

で、ほんの少し前までは、「学歴があるのに、おもしろい道を歩んでいる自分」というキャラ設定?が自分のアイデンティティのような氣がして、そこに固執していたように思います。

 

とにかく、個性的でありたい

 

それは、裏を返すと、わたしという個人を認めてもらいたい、必要とされたい、そういう根強い欲求がわたしのなかにあるということなんですよね。

 

 

・・・ただ、今回、わたしはそういうモッタイナイ、と言われたことをどう感じたかというと

 

 

わたしにとって、そこは一つの事実でしかなく、今はわたしにとって、それは持っている携帯ケースの色くらいの意味しかもたないというか、事実ではあるけど、重要ではないものだな、と思ったわけです。

 

 

そして、わたしはいったい何をやっているのかな、と20数年ぶりに会うかもしれない友人に説明することを考えたとき、

「特に何も、必要ないな」と思えたわけです。

 

 

わたしは、ナニモノでもなくていいや、それで充分だ、と。

 

 

以前だったら、ああいうこともして、こういうこともして、キャリアの道をはずれて田舎に住んでいるけど、すっごく充実しているよ!

という要素を必ずいれたくなったはずなのです。

 

 

でも、そこはもう、心底いらないなーと思えたのでした。

 

 

うん。すごく、わたしは楽になった。変わった。

 

 

ここの部分で、何もモヤモヤがでなくなったことに、わたし自身、とても変化を感じられたのでした。

 

 

変わったなぁ、わたし。

 

よかったなぁ、わたし。

 

 

大いなる喜びとともに、とてもあたたかい氣持ちになっています。

 

土曜日に、ポコポキーノさんでお祝いしてもらいました。

ヴィーガンタルト。おいしかったなー

 

 

日曜日には、ダンシ3人で手作りケーキを作ってくれました。

米粉のスポンジ、豆乳クリーム。そしてそれがわからないくらいのフルーツもりもり(笑)

 

しあわせですね。

2016年に八ヶ岳で「夏休み☆ホンモノの「食」に触れる2日間」というイベントを企画したときに、遠方よりお越し頂いたお友だちが、セットでくれた「百姓レボリューション」。

 

なんとなく、読む機会を逸していて、ずっと置いたままになっていたのですが(ゴメンナサイ・・)

 

先日、全く違うお友だちから「Miyoさん、読んだ方がいいよ」と貸してくれたので、「あ、これうちにあるやつだ・・・」ということで、やっと読みました。

 

http://www.zenquest.net/

 

いやいや・・素晴らしい内容でした・・・

 

わたしが興味ある分野、すべてを網羅している内容で、

フィクションではありますが、震災後の今の世界をくっきりと描いていらっしゃいます。

(ちなみに、震災前にかかれたものです・・・)

 

スピリチュアルの落とし穴も含め、

 

循環型社会を作っていく時の哲学のようなモノ

 

これからの、社会

 

いろんなヒントが具体的にちりばめられていました。

 

移住直後のわたしは、なんとか自給自足の生活を目指さねば!みたいに肩に力がはいりまくっていたので、

おそらく、いただいたタイミングで読んでも混乱していたかもしれません。

 

今は、イイ感じでリラックスできているので、すごくすんなり読めました。

 

そして・・・やっぱり今のある意味「落ち着いて」いる状況から、次に何をしたほうがよいのか、

バランスをとるという言葉を使って、「あきらめ」ようとしていたことをもう一度見直した方がいいのかなということ

 

そういういろんな意味で、もう一度考えてみる時期がやってきたなという感じです。

 

いろんな意味で、多くの人に読んでいただきたい内容です。