おかげさまで、日曜日に退院してきた。
結局15キロ増えた体重は、きっちり5キロしか減らず、まだ右手のしびれが残っているけれど、記憶に新しいうちに出産の記録を残しておこうと思う。
・・PCは1日30分まで・・ということで。
まずは、スピリチュアルなことを中心とした視点から・・
といっても、相変わらず何かがみえたり聞こえたり、ということはなく、あくまでも私が護られてるなぁ、とか、すごい・・と感じたことが中心で。
あ、長文です。あしからず・・
出産前日となった月曜日。予定日6日前。
この日は39週の妊婦健診だった。
土曜日からなんとなく不規則な痛みがきていたので、念のためこの日から母に家にきてもらうよう頼んでいた。
検診では子宮口の開きは1.5センチ。ただ、赤ちゃんがあまり下に降りてきていないため、出産はまだ先だろう、という見解だった。
それを聞いた私は「やっぱりモコはチャネリングできいたとおり、予定日2日前の20日頃にでてくるかなぁ・・」とのんきに考えていた。
すると、主人から電話。
長男が高熱をだし、幼稚園早退とのこと。インフルエンザの疑いがあるので検査をするようにいわれたとのこと
一気に慌ただしくなった。

一気に慌ただしくなった。
以前、A型に感染した息子と一緒にいた私もその後高熱をだしてしまった経緯があるため、
帰宅後、なるべく私も接触を避けるように主人も母の配慮してくれるが、
インフルエンザに感染したら出産はどうなるのだろう・・・
そんな不安がなんとなく家じゅうに漂ってくる。
そしてその日にブログをアップしたらたくさんの応援メッセージをいただいていた。
妙なことなんだけど、こうやって応援メッセージをいただいて初めて「あ、やっぱり私、もうすぐ出産なんだ・・」と実感したのだ。
と同時に、あの陣痛の痛みがいよいよやってくるのかと思うと、それ自体への不安もやってきて、なんとなく落ち着かなくなってくる。
なんとなく不安を抱えたまま、就寝。
不安を感じながらも、スピリットガイドさんに「私とモコにとって最善のタイミングで最善のお産ができますように」とサポートをお願いしておいた。
不安を感じながらも、スピリットガイドさんに「私とモコにとって最善のタイミングで最善のお産ができますように」とサポートをお願いしておいた。
夜中、お腹の痛みで目が覚める。
今までの不規則な痛みでは、目が覚めるほどではなかったので、「もしや・・」と思って時計代わりにしていたipodをみてみる。
夜中の12時30分。
するとKATYAM先生からメッセージがきていた。
珍しいな・・
そして内容もまた先生にしてはとても珍しいものだった。
そこには、一見ネガティブにとらえられそうな文章があった。
とにかく今、不安が長男を中心に渦巻いているから気をつけて・・
応援しています・・
のような内容だった。
不安。
これがキーワードなんだ、となんとなく感じた。
と同時に、本当にすごく勇気づけられて出産に向かい合う心のスイッチがこの瞬間にカチっと入ったのがわかった。
きっとインフルエンザを避けるために早くモコはでてくるに違いない。
これは陣痛に間違いないだろう。
間隔をはかると7分半。
病院に連絡を入れ、主人と車で向かう。
バタバタと用意をする中で、とっさにサナトクマーラのクイントエッセンスをバッグに放り込んでいた。
母に急きょ来てもらうようお願いしておいて本当によかった。
病院に到着したのは1時ごろ。
痛みはどんどん増しており、間隔は5分半に。
診察してもらい入院が決定した。
長男を出産したときも初産にしては短時間の出産で、いわゆる安産だったのだけど、
陣痛の痛みがとにかく私にはキツくて、最後のほうには体力がもたず、全然いきめなかったのだ。
一般的には子宮口が開くまでに時間がかかって、開いてからはわりと短時間で出産、みたいな流れのようだけど私の場合は完全に逆だった。
痛みに完全にまいってしまい、全然いきめない私に厳しい助産師さんが叱咤激励というか、叱り飛ばされてなんとか産んだ、そんな出産だった。
その記憶がよみがえる。
こんなもんじゃないんだよなぁ・・

痛いんだよなぁ・・・

またいきめなかったらどうしよう・・・

ぐるぐるぐるぐる。不安が渦巻く。
今回出産した病院は無痛分娩を扱っている病院で、しかも24時間対応してくれるので陣痛の途中で無痛分娩の選択ができるという、嬉しい環境だった。
私はオプションで無痛分娩を選択できるよう、事前にお願いしてあった。
ただ、なんとなく無痛分娩は麻酔を使う=自然じゃない、ということで無痛分娩に対して罪悪感を持っていた私。
できることなら普通に使わずに産みたい・・そういう思いもあった。
どうしよう。やっぱり痛みを乗り越えてこその出産か?
痛みの中でもまだ迷いがあった。
その時、メッセージにあった不安、というキーワードが浮かぶ。
ああ、この出産のテーマはきっと不安を受け入れてそれを解決する選択をすることにあるんだ・・
そうはっきりと感じられた。もう迷わなくていいね。
「無痛、お願いします」
考えるより先に言葉がでていた。
このとき子宮口の開き4.5センチ。
早い段階での麻酔実行となった。
この決断のタイミングは結果としてベストだったらしく、その後、いろいろなことが順調に経過した。
今回の私のように途中から無痛分娩を選択した場合、早すぎると麻酔が効きすぎて陣痛が遠のいてしまい、結果として陣痛促進剤を投与→また痛くなる→麻酔・・のループになったり、遅すぎて結局痛みを和らげる前に出産・・というケースがかなりあるらしい。
私は痛みはないものの、お腹のハリは感じながら子宮口が開いていく感覚を味わい、
いきむときには適度に麻酔がきれていて、耐えられる程度の痛みを感じながらいきむことができた。
そして、陣痛開始から7時間半。
次男が誕生した。
前回と違い、何回も自分の意思でがんばっていきんで、
頭がみえてきましたよ

もうすぐです

といった定番?の励ましの声を聞きながら「産む」という行為を充分に満喫できた。
次男がとりあげられたとき、感動と達成感といろんな感情がまざって、自然と涙があふれた。
出産ってすばらしいんだ・・・
今回は心からそう感じることができた。

今回は心からそう感じることができた。
その瞬間・・
いろんな存在が祝福をしてくれている、そういう感覚もあった。
何かが光ったとか、みえたとか、そういうことでは全くないのだけど、
やっぱり私たちはまもられている・・心地よい疲れの中でそう、感じた。
その後、退院までの課題は母乳をだすこと。
長男の時の経験から3日くらいは母乳がでないことはわかっていた。
でも、早く母乳をだしたい、次男も全部母乳で育ててあげたい、なんとなくそこに執着していた。
出産当日からがんばって授乳している私をみて、たくさんの看護師さんが
そんなにがんばらなくていいですよ・・・
すぐにでるようになりますから・・
それまではミルクを足してもいいんですよ・・
と様々な表現で声をかけてくれた。
なんでみんなこんなに優しいのだろう?
そこでまた気づく。
私はまた、「母乳がでなかったらどうしよう」という不安をベースに行動していた。
目の前には、出ない母乳を一生懸命すってすって疲れきってワナワナ震えながら泣いている次男がいた。
「ミルクをお願いします」
素直にミルクを足す選択をした。
長男のときはいろいろとストイックにがんばったので、その当時からは考えられないのだけど、今回のテーマが不安を解決していく、とわかっていたからすぐに決断ができた。
最初の2日間、ところどころでミルクを足した。
3日目、持参したサナトクマーラのエッセンスをまとい、スピリットガイドさんにお願いした。
最適のタイミングで母乳がでて、次男と私にとって最善の関係が築けますように
そしてわりとリラックスした状態で授乳をしていたら・・
母乳がでた

そんなにおおごとではないのかもしれないけれど、母親にとっては、出産後母乳がでるまではかなり精神的にきついのだ。
ここを境に私の精神状態もぐっと安定し、「もう大丈夫」そう思えるようになった。
気がつけば、いろんなカタチでブログでご縁をいただいた方には応援してもらっていた。
メッセージ、モノ、そしてあたたかい波動・・・

3次元でのガイドとして、護り、応援してくださっているんだなぁ・・
うーん、やっぱりすごいぞ。
ありがとうございます。
そしてここまでお付き合いいただき・・ありがとうございます
またぼちぼち様子を見ながら思いついたことを書いていきますので、どうぞよろしくです。

またぼちぼち様子を見ながら思いついたことを書いていきますので、どうぞよろしくです。