なくなる・・・うーん、違う、浄化?リリース?うまく表現できないけど・・・
とりあえずちょっとくらい調子が悪くても、ループすることがなくなってきたのだ。
そのひとつが、母への気持ち。
私にはずっとずっと、母に認められたい、そう思いつつも母のように生きるのはちょっと・・・という反発心が同居していた。
私の「専業主婦」に対する一種の嫌悪感は、結婚と同時に仕事を辞め、専業主婦として生きてきた母親への反発心からくるものなのだろう。
私はこんなに自立して、こんなに立派な仕事をして、家庭も築いて充実した人生を送っているよ、すごいでしょ、誉めてー
それが昔の私の本音だったみたい。
お母さんみたいな平凡で退屈な人生ではないんだよ、すごいでしょ、みたいなね。
その傲慢な感じ方の裏には、「お母さんはずっと私たち子供の世話を中心とした生活をしていて、本当に幸せなのだろうか」という哀れみに似たような感情もあったようだ。
だから、こういう感情は心から母自身の人生を認め、かつ自分の価値も認められない限り、ずっと消えないものなんだよね。
ある日、子育てでちょっと悩んでいた時に母親に愚痴っぽいメールを送ったことがあった。その返信が・・・
それは大変だね。でも、子供を持つのは幸せでしょう?
というものだった。
なんのことはない、短い文章なのだけど、このメールをみて
ああ、母は私たちを育てながら幸せだったのだな・・・
そう心から感じることができて、今までのくすぶっていた感情がササーっとどこかに消えていった。
私は、幸せだと思われながら育てられたのだ。
なんてありがたいことなのだろう。
それがわかっただけで、もう充分だった。
もう一つ、私の中にずっとつきまとっていたのが、弟との比較。
私には3歳下の弟がいるのだけど、小さい頃の弟はそれはそれは可愛かった(今は見る影も無く・・・残念なことになっているが

弟はピアノもうまく、IQがものすごく高かったらしく頭もいい。
一方で私は本番だけは強いけど、普段はイマヒトツ・・・という「運だけ」な感じ。
常に弟のほうが誉められて、かわいがられていた・・・そう感じて過ごしてきた。
でも、これは今、2人目を妊娠してはっきりとわかった。
第1子には、初めての子供だからこそ、与えられる様々な愛情のカタチがあるのだと。
私はこんなにも、たくさんの愛情を受けて育てられたのだと。
一般的に言われていることだけど、実感するまでに随分時間がかかったな。
もう、過去の細かいことなんてどうでもよくなっちゃった

残るのはただただ、感謝の気持ち

後は、息子が私と同じような気持ちにならないよう、ちゃんと配慮してあげることかな。
小さい頃は陰で随分と弟をいじめてしまったからね・・・

ごめんよ、弟・・・
今は仲良しでよく飲みにいったりするんだけど・・・
未だに彼女もできず独身な弟をみていると「もしやトラウマ?」とちょっぴり責任を感じている姉なのだけど・・・これもね・・責任を感じる必要はないんだよね・・・
今夜は弟の幸せな人生を祈って眠ることにしよう
