しあわせ原村生活(ameblo版)

しあわせ原村生活(ameblo版)

旧「日常 ときどき スピリチュアル」です。
長野県の原村で、しあわせな日々を味わっています。
最近の記事は本サイトhttp://miyoyon.infoから連携させてます。

Amebaでブログを始めよう!

おはようございます。

 

数年前に、Wordpressでブログを作ってから、そちらを中心にブログをかいてきたのですが、

ながれもあって、アメブロでの連携も残していました。

 

ですが、これも結構エネルギーを使うのと

わたし自身が、アメブロにそこまでエネルギーを使えなくなってきたので

これを機に、連携をやめようと思います。

 

ブログは、わたしの氣持ちなどを記録的に書いていくスタンスで当初からやってきました。

特にアメブロの最初は、独り言ばかりでした。

 

でも、それを機に素敵なご縁が生まれ、

リアルにお付き合いしている方とのご縁も生まれました。

 

本当に感謝しかありません。

ありがとうございました。

 

今後は、

 

しあわせ原村生活

 

 

Tarot & Stones

 

で綴っていこうと思います。

 

暮らし的なことは原村生活のほうで、タロットと石に関することは「Tarot&Stones」のほうで。

 

もしよかったら遊びに来て下さいね。

 

今までありがとうございました。



こんにちは。久しぶりに大きな学びの体験をしたMiyoです。

 

そして、一通り自分の中で、消化している時に、

やっぱりタロットで流れを確認するのがとてもわかりやすかったので、

記録のためにも記しておきますね。

 

これはまだ途中の経験であり、総括できているわけではないのですが、

今、この時点でまとめておくことがきっと次につながると思って書いています。

わかりづらいと思います。でも、感覚で、どこかに響くところがあれば、是非参考にしてみてください。

 

タロットは、第2のサイクル、潜在意識のサイクルになると抽象度の高いカードが多くなりますので解釈も難しくなっていきますが、体験を伴うと理解が深まりますね。

 

15の悪魔、これも、とても解釈が難しかったりします。

一番深い闇、といわれてもなかなかわからない。

 

自分のドロドロした部分、というのが一番普段から体験できるものでわかりやすいものだと思いますが、

一番深い闇、ですから、これは大きな意味での「自分」からの闇ということもあります。

 

自分で自覚できなかったところ、それを闇をもって伝えられることもあるでしょう。

今回のわたしの体験は、まさにそこらへんだったように思います。

 

何を体験したのか、とっても伝えずづらいのですが、

今回は、わたしの場合、カラダにきました。

 

今までにないぞわぞわ感、マヒする感覚、あるタイミングで自分のカラダが自分のものではないように思えてしまい、混乱する感覚。

 

わたしはもともと霊媒体質ではない(と自覚している)ので、こういうことは初めてで、今までサイキックアタックという言葉を聞いても、「所詮は自分が創り出しているものだから」とあまり深刻に考えず自分の状態さえよくしておけば、大丈夫!と本氣で思っていました。

 

今回のこれでも、そう思っていたのですが、いろんな状況が、「それだけではすまされない」というサインを示していて、初めてサイキックアタックなるものに対して、真剣に向かい合ってみようと思ったのでした。

 

向かい合う。これがとても難しい。いったん受け入れるわけです。

そうすると、イヤなカラダの感覚が増大する。周りにも影響が及んでいく。

一見、本当に悪影響なのです。イヤなの。自分だけならともかく、人に影響を与えるなんて。ましてや大切な人達。

そうすると、「こんなものはイヤだ。早く消して欲しい。というか、やっつけたい。どうしたらいい?」

と、敵視が始まります。まあ・・そこからは循環が強くなってしまうのです。

 

そして、これが自分で手に負えないレベルだから本当に始末が悪いわけです。

 

でも。

これも大きな視点で言えば「自分」が創り出しているものではあるのです。

ただ、その「自分」という捉え方が、今までとはスケールが違うのではないかと。

 

それが、今回の一番の大きな学びでした。

 

15のタロットカード。



このカード、実は悪魔ちゃん、太陽の顔とそっくりなのです。



闇を受け入れることは、実は落ち込むことではなく、そこにあるものを受け入れること。

しかし、闇を闇として敵視し、分離をさせていけばいくほど、増大していくこと。囚われていくこと。

 

そして、囚われているときってちょっとワクワクっとしたりする感じ。

いえ、きつかったんですけどね。囚われている状況だからこそ、仲間っぽく話し合えたり共通の敵を相手にした結束のようなものを感じてみたり。

 

そういう、ちょっとした麻薬っぽい囚われの感覚も味わいました。

 

でも、闇を通してみつめていくのは本来はそこではないのです。

悪魔は、闇を通して、自分が進むべき方向を示していく、そして【本当にそこでいいのか】と何度も問いかけていきます。

 

しかし、ある程度経ってくると閉塞感からもういい加減、やめたい、と囚われから脱したくなります。

本氣で脱したくなったとき、次に進む覚悟が問われます。

 

 

ああ、これは・・・わたしがこれから向かい合うべきところはもっと大きな「自分」なんだ、と氣づいたとき。

そしてこれからそこと向き合う覚悟をして、心底今から脱すると決めたとき。

 

新しい世界が開かれました。



 

ぱっかーん。新しい世界が開けていきます。

そして、それは劇的な内部変化ではありますが、今回は見た目はそれほど変わらず、ただただみえてくる風景が美しく変わっただけでした。

 

一氣に闇が光に変わり、悪魔が太陽に変わっていく。そういうイメージでした。

 

 

すべてのものは、自分が創り出していく

 

 

スピリチュアルの世界ではこの言葉はいとも簡単に語られていますが、

これを心の底から納得して使っている人はどれくらいいるでしょうか。

 

 

わたしも、ある程度理解していたつもりでしたが、

捉え方がまだまだ浅かったことを再認識しました。

 

タロットカードがあるおかげで、具現化して、頭と心をつなげられ、消化を助けてくれたのです。

 

この捉え方を深めていくことが、たくさんの扉を開くことに変わっていくでしょう。

15から19までの流れはいろんな角度で今、やってきています。

 

そしてわたしが何故、こんなにタロットに惹かれるのかを再認識させてくれます。

次の17の展開がどうなっていくのか、楽しみであり、背筋が伸びる感覚でもあったりするのです。

 




引用元:深い闇と囚われからの新しい視点

こんにちは。ようやく久しぶりに「大いなる流れ」について、いろんな出来事を通じて学んだMiyoです。

もちろん、日々、瞬間瞬間がそうだといえばそうなのですが、

節目の学びのようなこと、自分の立ち位置やなかなか氣づけないようなことは、

今までのわたしへの対応?の経験上「ガツン」と出来事と一緒にくることが多いんですよね。

 

 

記憶として新しいのは、

次男の妊娠前の子宮外妊娠だったり

父親が指を切断しかけて結果として糖尿病が見つかり、

その後食事療法で完治、というところでしょうか。

 

 

今回は、今までと比較して断然「わかりにくい」出来事が絡み、

自分の深い部分へ執拗に絡み、

子どもや友だちも呼応して、

いろんなストーリーができあがっていきました。

 

 

ここでは、今は詳細に書くことができないのですが

きっと今回のことはもう少し時が経って、

その後のわたしの変化を含め振り返った方が

うまく伝えられると思います。

 

 

いずれにしても、今回はタロットカードでいえば「悪魔」のような深い深い闇でした。

 

このカード、嫌いじゃないんですよね。

深い闇をいろんなカタチでみせてもらいながらも、

わたしはどこか楽しんでいた感覚もあります。

 

 

そしてやってきた、新しい視点「神の家」

 

いや、ここに変わったときの景色の変化、正式に言えば見え方の変化でしょうか。

 

それはそれは、すごかったです。

 

一連の出来事に寄り添ってくれたのは、やはり次男でした。

 

彼は、カラダをはって、つきあってくれました。

こういう大きな変化は、やはりガイドKINを持っている、彼なのでしょう。

 

日常の積み重ねの変化を導くのは、長男。

大きな節目は、次男。

 

本当にふたりとも、わたしの大切な導き手です。

 

あ、オットも・・ね・・笑

 

そんな新しい生まれたてのような今日の朝は、本当に清々しく、

すべてが初々しい雰囲氣でした。

 

 

今年の冬、サンルームにだしてみたら、

寒すぎてやられてしまったアイスクリームバナナちゃん。

タイミングをあわせるように新しい芽がでてきました。

 

 

やっと、石しごともできます。

 

お待たせしてすみません・・・

 

 

一見、何も変わっていないようにみえる日常ですが、

 

これからわたしは本来のしごとをしていくことになりそうです。

 

いえ、今までも本来のしごと、だったのですが、

より焦点を絞っていくことになるでしょう。

 

楽しみのような、ちょっと背筋がのびるような、ドキドキな感覚です。