わたしたちは、
どんな困難も
乗り越えれば必ず良いことがあるよ
と、親や先生、社会から教わりますが、
本当にそうでしょうか?
もしあなたが、
困難を乗り越えても乗り越えても
幸せを感じられないのであれば、
決定的な過ちを
犯しているかもしれません
例えば、
DVやパワハラを受けていて、
つらくても誰にも相談できずに
我慢していて…
たまたま行った先の
セミナーや講話、
お経やヒーリングミュージック
などを聞いたとします
すると不思議と
気分が良くなったり
楽になったりします
「よし!もう大丈夫!
明日もがんばろう!」
って、できそうな気がして
元の生活へと帰っていく…
それは間違っている、
やってはいけないよ!
と、
納税日本一の起業家である
斎藤一人さんはおっしゃいます
DVやモラハラする人の元に
帰るなど、言語無用。
DVやモラハラは
無くなりません
それはなぜか?
報酬と報い
の違いです
報酬とはご褒美です。
自分に出てきた困難を
乗り越えた時の報酬
これを、
神様からのご褒美
といいます。
ご褒美は幸福感や
もう本当によかったなって思う瞬間や、
対価としていただけるもの
努力が報われないあなた
ちゃんとご褒美を
いただいていますか?
もしも
乗り越えるたびに
また困難が出てくるなら…
それが報いです。
以前、
私の前にあらわれた
クライアントのお話です
彼女は夫と死別
介護が必要な両親の元へ戻り
3人で暮らしていました
生前、暴力や暴言を放つ夫に
気苦労を強いられていましたが、
病死によって離婚する必要は
無くなっていました
一見すると
平和を取り戻したかのように
亡き夫を美化する言葉もでてきます。
もっと病床時に
優しくしてあげれば良かった
最善を尽くせばよかった…と。
そこにはDVを受ける人特有の
落とし穴があるように感じました。
なぜなら、夫が亡くなっても
日々の生活で耐えしのぐことが
続いていたからです。
気晴らしをしても、
相手がいなくなっても、
そうなってしまう問題が
解決できた訳ではないのですが、
その後の人生にずーっと
災いしていることを
自覚されてはいませんでした。
相手を変えて現れる問題
夫が亡くなり、居場所もなくなった女性は
介護が必要な両親の面倒をみることに
なりました。
両親が住む家は実の弟の家。
彼女は営業職で働きに出ますが、
自腹で手土産を施し、
毎日、毎月のノルマをこなし
上司にも無理難題を押し付けられながら
開いた時間はすべて介護に当てる
という生活を送っていたのです
いつからか
弟との仲も悪くなり、
日増しに暴言を吐かれ
自分を責めるようになりました
頑張っても頑張っても
報われない…
私の元にあらわれたときには
心身ともに疲弊して、
持病は悪化、
休日は布団から起きあがれない状態
となっていたのです。
人は本来幸せになるようにできています
成功に向かって歩むとき
人生の試練や困難が起きています
それを乗り越えて
幸福感を得られるなら、
その道は合っているということです
しかし、
向かう先が間違っている場合
また困難が現れて報いが出てきます
つまり、
努力しても報われない人は
間違った道に進んでいるのです。
道の間違いを押し通すのは
『我』です
自分の『我』が強いと
間違いに気づくことはできません
我を通して我が道を歩めば歩むほど
困難がつきまとい
幸せは遠ざかってしまいます。
でも安心してください^^
今いるところから
一歩成功の道へ出て、
1つ困難を乗り越えれば、
ご褒美がもらえます
本音に気づく
彼女は本音に気づき
自分を取り戻しながら
今までと歩く道を変えたことで、
介護負担の軽減、
業績アップ、
会社から表彰される
持病の改善
不動産の提供者が現れる
など、軽やかに
自分の望み以上のご褒美を
手に入れることができました
報いではなく報酬をもらえた
ということですね!
さあ、次はあなたの番です!
私にもできたので
あなたにもできます
成功への道へ踏み出す
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