いつもありがとうございます。
資格試験の学習をしていて思うのですが。
多くの知識を得ています。
でもそれは、「ネットの検索」ですぐ得
られる情報でもあるのですね。
検索が出来ない環境であったなら、蓄え
た知識が生かされますが、でもその環境が
あれば、誰でも直ぐに手に入れられ、その
差は、ほぼ「タイムラグ」の問題でしかな
くなるのですね。
学習をしている私も「検索結果」で得ら
れた情報で、学習をしています。
「具体的には分からないのでは?」「動
ける(手続きとか)までは得られないのでは?」
って思っても、時間を掛ければほぼそれは
得られると思います。
情報はたくさん転がっています。
私は「士業」の資格を持っていますが、仕
事は「代行」であり、依頼者が出来ない事で
はないのです。
時間、労力を惜しんでの「依頼」なのです。
必要な知識もないし、手間暇かけたくない、
確実性も欲しいからの依頼。
時間、労力を惜しまず、経験や勉強と言う
ように良く捉えれば、それも得られながら目
的も達成し、自分で出来るということです。
話を基にもどして。
では学習で得た知識を「検索では得られな
いもの」にするには?。
私の持つ経験や情報という付加価値をつけ
ていくこと、ご本人が「検索すること」へと
至らなかった知識や気付きを提供することに
なるのでしょうか。
人と人として対峙する中で。
昨日のブログに引き続き、
私は「人見知り」なのよね
ありがとうございます。