はたして、「愛」と「執着」の違いはなんでしょうね???
なんだと思いますか???
これ、私は…こう思う、ということで書いていきますね。
いくつかあるんですけど、その一つに、
「見返りを求めているか」
ということですね。
最初に言っておきますが、
「見返りを求めることが”良い””悪い”」ではないですからねー。
見返りを求める、ということは、どういうことでしょう???
「これだけ私が尽くしたのだから、私のこと好きになりなさいよ!」
ってことです。
「これだけ私が我慢したのだから、その分以上私を大事にしなさいよ!」
ってことです。
「これだけあなたに時間を使ったのだから、その分以上私を愛しなさいよ!」
ってことです。
「これだけ私が好きなんだから、それ以上に私に時間使ってよね!」
ってことです。
何かをもらうために、自分が何かを提供する。
本の言葉で言うと、「奪うために、与える」とも言えます。
で、これだけ…
尽くしたのだから、
我慢したのだから、
時間を使ったのだから、
好きなのだから。
きっともらえるものがもらえるはず…
けれど、もらえない!
私のことを好きにならない。
大事にされない。
愛されない。
私のために時間をつかってくれない。
どうして?
どうしてもらえないの???
もらえるべきでしょ?
なんでもらえないの?
ねえ、ちょうだいよ。
くれるまでがんばるから。
やめないから!
って、ずーっと求めるわけなんですね。
そこにずーっと注目が向かっているんですね。
他のことをしているときでも。
けれど、いつまでたっても、自分のほしいものを
もらえているような気がしない…と。
もらえたとしても、自分の思っていたよりもほんの少しだけ。
けれど、もらえないよりは、ほんの少しでもましだ…と。
そして、そのほんの少しでも、自分の頭の中で何10倍にも増やして、
なんとか生きてられると。
セカンドだったとしても、彼女じゃなくても、
会ってくれたことでその時は満足できる。
だけど、別れるとき。別れた後。
なんで私がセカンドなの?彼女じゃないの?
って、次の”見返り”を求めることになるんですね。
見返りをもらったとしても、それは埋まらないことが多いです。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
愛には「見返り」がないんです。
お母さんが、赤ちゃんを見るときに、
おもらししても、何も言わずにおむつを替えます。
成長して、トイレが一人でできるようになったら、褒めたりもする。
「おむつかえてあげたんだから、私のこと今すぐ大事にしてよね!」
なんて世話しないんですよね。
見返りを求めていない、愛です。
見返りのない無償の愛。
私はできていると、当時思ってました。
それって、
ここまで尽くしても、時間を使っても、我慢をしても、好きでも、
他の女の人にあげてもいいってことです。
自分のところに戻ってこなくていいってことです。
「いやーーーー私むりーーーーー!!!」w
他の女にとられたくない。
どうやったら自分の元へ戻ってくるか。
それだけしか考えてなかったです。
相手に尽くしたり、大事にされないことを我慢してたり、
してましたもの。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
とはいえ、無償の愛ってそりゃあ難しいです。
依存や執着はおいといたとしても、
他の女にとられたくないし、自分の元に戻ってほしいって思うのは、
当たり前のことです。
けれども、「とられないように!自分に戻って来い!」って、
常に見張っているんじゃなくて、
見守ることをできるかどうかなんですね。
相手のいない、自分の時間も大事だし、
自分のいない、相手の自分も大事。
会ってなくても浮気をしているわけではないし、
連絡が来ないからと言って大事にされていないわけではない。
「会えなくて寂しいなぁ…」とは伝えるけれど、
「だから絶対時間作りなさいよ!」っていう意味ではない。
バランスの取れていることが、苦しくない状態ですね。
゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚
さて、その見返り。
求めることが悪いことじゃないんです。これ、何度でも言います。
もらえなかった、と感じて、
「相手がくれないから」と相手を責めて信じられなかったり、
「やっぱり私はもらえないんだ…」と嫌な思いをしたり、
「なんで見返りを求めてしまうんだろう」と自己嫌悪したりするのが、
苦しいんですよね。
もらえなかった、と感じている自分がいて、
もらえなかった時にどういう嫌な思いをするか。
その”見返りになるもの”を、本当は誰からもらいたかったのか。
その”見返りになるもの”って、本当はどういうものなのか。
それが分からない限り、もらえないものをずーっと求めることになります。
ずーっと、苦しむことになります。
「本当はほしかったものがもらえなかった。」
そんな思いが積み重なると、期待しても意味ないんだったら、
「じゃあ、もういいや…」
って諦めて、心の奥底に閉じ込めてしまって、
自分では本当にほしいものが分からなくなることも多いです。
実際、相談者さんたちは、カウンセリングで話していくうちに、
「ああ…そっか…私って本当は…」
ということに気づくことが多いです。
それが分かっただけでも、執着して、注目しているところから、
ふっと力が抜けて、視点が変わることが多いんですね。
そうなると、執着していたことに力を注いでいたことが、
分散ができてくるので、苦しさも和らいでいくんですね。
そうなってやっと、執着から離れる余裕がでてきます。
もし執着して、苦しくて抜け出せなくて、
大変だったら、カウンセラーを頼ってみてくださいね。
新しいメール講座を作りました!
ぜひご登録くださいね↓
もちろん無料です!