ここ数ヶ月ほど、
日本でも世界でも、心を揺さぶられるようなことが起こっているように感じるので…
改めてこちらをシェアさせていただければ
日頃から私たちは、それぞれに物事を受け取り、感じ、考え、発信していますが…
こうした大きな変化のなかでは特に、多くの人が、平時よりも強く行う傾向にある
という実感がある方は多いのではないでしょうか?
やはり、
インパクトがあって、何らかの形で強く心が動いた出来事であるほど、
誰かに伝えたくなるものですしね
だからこそ、時に対立が起こったり、
特定の事柄に対する同調圧力なんかも生まれてしまったりするわけで…
ひょっとしたら皆さん、
「正直私はこう思ったんだけど、対立なんてしたくないから無かったことにしよう」
「周りがみんなこう言っているけど、実は私はちょっと違う…
でも、こんな風に感じちゃいけないのかな…」
など、自分の感じたことを抑えてしまった経験があったりもするのでは…?
…ちなみに、「あったりもするのでは?」とお尋ねしたのは、
他でもない、私自身が「あり」だからです
(なので、案外、他の方もそうなのかもしれない…と思っています)
ただ最近、改めて思うようになったのは…
自分が感じたこと自体は、
なかったことにしようとしなくていいんじゃないかな?
ということ。
…というよりもむしろ、
「なかったことにはできない」
と言ったほうが、もっと正確かもしれません。

これは、本当に私も痛感しているのですが…
自分が感じた感情や感覚そのものを、
自分の中で抑圧したり、なかったものにしようとすると、
人の心はいずれ、その負荷に耐えられなくなります。
そして、心に負荷がかかり過ぎるとどうなるか?
というと…
一言でいうと、バランス(調和)が崩れます。
つまり、不調になってしまうわけです。
どのような形で表れるかは人それぞれであるにしても。
どこかしら、何かしらに不調が生じてしまったりします。
そもそも、
「あるものをないことにしようとする」行為というのは、
たとえ意識していなかったとしても、かなりエネルギーを使うものです。
それで、
本来ならば他のことに使っていたはずのエネルギーが足りなくなったりするのも、
バランスが崩れる一因になってしまうのですよね……
けれど一方で、そのエネルギーは、
その瞬間、その物事に対して感じた“何か”
と上手に向き合うことで、
そこから、自分のことをより深く知ることができたり、
課題解決のヒントやインスピレーションを掴むことができたり…
といった、素敵な化学変化 が起こる可能性も秘めています。
が起こる可能性も秘めています。
だからこそ、最近の私は、
「自分の感じたこと自体をなかったことにしようとするのは、
その瞬間は楽かもしれないけど、長い目で見たらもったいないよな~ 」
」
 
なんて思うようになってきたわけですが。
「感じたこと自体をなかったことにしない」というのが、
やってみようとしなければ難しいと“感じる”段階なのであれば、
「まぁ、長い目で見たらもったいないらしいからなぁ~ 」
」
みたいな理由をでっち上げてもいいんですよ。
結局のところ、言い訳も使い方次第ですからねぇ……
というわけで、もしピンときた方がいましたら、
この記事を言い訳として取り入れてみてはいかがでしょうか
ですが、その前に。
この記事を読んでいただいた中で、感じたこと。
(もし本当に何も感じなかったなら、
「何も感じない」というところから始まっても構いません)
まずはそれを、「ただそこにあるもの」と認識してあげてくださいね