かつてロシア(ソ連)からは個性的な指揮者が数多く登場し、ヨーロッパの他の地域では見られないようなタイプの、数々の強烈な演奏を繰り広げていた。その中でも、野性的で濃厚な「爆演」を多数残したニコライ・ゴロワノフと、極めて厳格で洗練された演奏で全世界に名を知られたエフゲニー・ムラヴィンスキーは、演奏スタイルとしてはこれ以上ないくらい完全に対極にあるが、いずれもロシアを代表する指揮者として永く記憶されるべき人物である。
彼らより1世代後に生まれたエフゲニー・スヴェトラーノフ(1928~2002)も、同じくロシアが世界に誇るべき指揮者である。彼は、ムラヴィンスキーの洗練された演奏スタイルよりは、ゴロワノフの豪快なそれを非常に色濃く受け継いだ人物であった。演奏の衝撃度ではさすがにゴロワノフには及ばないものの、一般的に見れば彼の演奏もじゅうぶん「爆演」と呼ぶにふさわしいものである。以下、残された数多の録音の中から、ほんの一部ではあるが紹介していこう。
まず、彼の「お国もの」であるロシア・ソ連の音楽から紹介する。
スヴェトラーノフはグリンカ以降のロシア・ソ連の全管弦楽作品を録音するという壮大な目標を掲げており、完成はしなかったものの、膨大な量の録音が残されている(残念ながら廃盤になったものも多いが)。
最初に、ラフマニノフの「交響曲第2番」を挙げよう。この曲については、スタジオ録音・ライブ録音ともにいくつも残されているが、なかでもロシア国立管弦楽団を指揮した1995年のスタジオ録音は、濃厚な表現ながら落ち着きとスケールの大きさも兼ね備え(総演奏時間はなんと64分)、個人的には最高の出来と思う。
強奏の部分の響きはとにかく分厚く、重戦車のような迫力だし、ロシアのオケに特有の強烈な金管の音色も相俟って、なかなか凄まじい仕上がりである。
一方、第2楽章の第2主題(21:30~)では驚くほど大きくテンポを落とし、弦楽器が粘りつくような音色で歌う(この演奏スタイルは先に挙げたゴロワノフと同じだ)。また、第3楽章(31:25〜)は実に17分以上をかけ、雄大なスケールで丹念に歌い込む。第4楽章(49:15〜)は、怒涛のようなトゥッティと、濃厚すぎる歌の部分が入れ替わり立ち替わり、聴いていて少々疲れなくもないが、しかし、これほど全曲全力投球のような演奏は他ではなかなか耳にできず、貴重な演奏と言うべきだろう。
上の演奏にうんざりされた方には恐縮だが、逆にこんなのでは物足りないという方に、もっとただ単に全力で暴れているだけの演奏を挙げておこう。モソロフ「鉄工場」、リムスキー=コルサコフ「雪娘」、ハチャトゥリアン「レスギンカ」というラインナップである。
スヴェトラーノフは晩年しばしば日本に来てN響を指揮していた。筆者もNHKホールまで聴きに行ったことがあるし、テレビで「N響アワー」も欠かさずチェックしていたものである。
その中でも、チャイコフスキーの「交響曲第5番」を見たときの衝撃は忘れられない。終楽章の最後、主題が金管で高らかに吹き鳴らされる、この曲の最大の見せ場の部分で、スヴェトラーノフはなんと指揮棒を振るのをやめて腕を組んでしまったのである。もちろんオケは整然と演奏を続け、スヴェトラーノフは時折オケに向かってうなずいたりなどしながら、その様子を睥睨していた。これはスヴェトラーノフがよくやるパフォーマンスだということは後で知った。
チャイコフスキーの映像はネット上では見当たらなかったが、代わりにソ連の作曲家スヴィリドフの「吹雪」から「ワルツ」を紹介する。演奏会のアンコールでやったようだが、やはり後半にスヴェトラーノフが完全に指揮棒を下ろす様子が見られる(03:20~)。
ロシアもの以外についても聴くべき演奏は数多い。ここではブルックナーの交響曲第8番を紹介しよう。
とにかく、豪快に鳴らす。容赦なく鳴らす。静謐で神秘的な音楽であるはずの第3楽章でさえも、チェロの濃い歌い回しや金管群の咆哮の印象が強すぎる。終楽章最後の大音響については言うに及ばずである。
ドイツものなら、他にもブラームスやベートーヴェンは強くおすすめしておきたい。スヴェトラーノフといえばどうしてもロシア・ソ連の音楽が期待されがちだが、本人はドイツものにも非常に意欲を持って取り組んでいたという。また、マーラーについても交響曲全集を作っているので(ロシア国立交響楽団)、興味のある方はぜひご一聴されたい。
次に紹介するラフマニノフの「ヴォカリーズ」は、これまで挙げた豪快な演奏とはちょっと違った一面を見せるものだ。
元は可憐な歌曲の小品であるはずのヴォカリーズが、ここでは大編成の管弦楽で容赦なく目いっぱい鳴らされ、きわめて遅いテンポで、凄絶な慟哭の音楽として描かれる。特に中間部(04:45~)では、地を揺るがすばかりの低音、それに応えて咆哮する金管(ヴィブラートかかりまくり)、原曲より1オクターブ高く奏され悲愴感を増すヴァイオリンの響きが渾然一体となって、原曲とは全く趣きを異にした濃厚すぎる表現となっており、これはやはりスヴェトラーノフ以外の何物でもないと思わされるのだ。
最後に、スヴェトラーノフの印象を大きく覆すようなCDを紹介しておきたい。「哀~Sorrow」というしょうもないタイトルのアルバムで、初めて見たときにはなんという残念な企画だろうと思ったものだ。曲目はベートーヴェン「英雄」の第2楽章、ブルックナー「交響曲第9番」の第3楽章、ワーグナー「ジークフリートの葬送行進曲」など、いかにもなラインナップである。だが、これは別に「アダージョ・カラヤン」のように切り貼りの寄せ集めのアルバムではなく、スヴェトラーノフ自身が選曲してわざわざ録音を行ったというものであるという。
これが、どれをとってもあまりに素晴らしい演奏揃いなのである。このCDは残念ながらもう入手困難のようだが、YouTubeには全曲が上がっている。ここではその中でも、グリーグの「オーゼの死」を紹介する。
この演奏は、これまで挙げてきたような演奏とは全く別人のような、底知れない静謐の音楽である。曲自体はただひたすら同じメロディーを繰り返すだけの素朴極まりないものなのに、この演奏から伝わってくる深い絶望と静かな嘆きには、思わず言葉を失ってしまう。かつてのようなこれ見よがしの濃厚な表現は全く影を潜め、曲が最高潮に達する場面でも決して声を荒げることはない。それなのに、その静かな迫力は他に類を見ないものがある。スヴェトラーノフという一人の人間が生涯をかけて辿り着いた境地のように思える。
追記:スヴェトラーノフの指揮以外の活動についても触れておきたい。作曲家としても多くの作品を残しており、自作自演の録音があるほか、近年は他の指揮者によっても取り上げられている。ここでは「ヴァイオリンと管弦楽のための『詩曲』」を紹介したい。スヴェトラーノフ自身の指揮に、イーゴリ・オイストラフの独奏である。
また、ピアニストとしての実力も端倪すべからざるものがある。ソロの録音も多いが、ここではラフマニノフの「ピアノ三重奏曲第2番」を紹介しておこう。
ピアニストとしての録音はそれなりの数が残されているはずであり、やはりロシアの珍曲なども含まれているのだが、現在は入手困難のものが多いようである。こちらの方ももっと評価されるべきと思うが、いかがだろうか。