その前に食事に行った店で
ケンカをしたせいか、パチンコ屋では
背中合わせに少し離れて座っているふたり。
でも
人生初のパチンコに苦戦する愛実を
見かねた大雅がヘルプする。
愛実の手に自分の手を添えて
やり方を教えてあげます。
大雅の言うとおりにやってみると
上手くいって思わず手を離し
拍手して喜ぶ愛実に
「離すな離すな、死んでも離すなよ」
と言う大雅。
「了解!」
と答える愛実。
そのとき映し出された映像は
愛実の小さな手を
大雅の大きな手が包み込むように
優しく添えられているのですよね。
死んでも離すなよ。
了解。
離すなよと言いつつ
離してないのは大雅の方。
ていうか
ここでもう二人は約束してるじゃない…
と私は感じて
とても温かい気持ちになりました。
そして
ふたりの重なり合う手が
美しすぎて泣けました。
パチンコ屋なのに美しい
このギャップがたまらない![]()
更に
コツを掴んでパチンコに夢中になる
愛実の斜め後ろから大雅が
「いいよ〜上手くなってきてるよ〜」
と声をかけ、
ここからは
店内の騒音でかき消されるほどの音量で
「好きだよ…帰りたくないよ…」
と心の声を呟く大雅。
それが聞こえていない愛実は
ただパチンコを楽しんでいて
満面の笑みで振り向くのですよね。
可愛すぎる![]()
その後で愛実に
「お嬢ちゃん」と声をかけ
景品をオマケする店員さんもかなりクセ強めで
そこも含めて
もうホントに神演出だと思いました![]()
6話は三浦海岸での別れで
ストーリーを一度ドラマチックに締めて
7話以降に厳しい現実が始まることを
見ている私たちにも
覚悟させたような印象でした。
でも
「夢は続かない現実は違う」
というような対比の覚悟ではなく
「夢も現実もここにある」
ならばどんな生き方を選ぶのか
問われているような感覚にもなりました。
時間は過去から未来へ流れている。
人はそう信じて生きているけれど、
私は様々な人生体験を通して
時間というのは本当は無くて、
「永遠の今」しかない
と思うようになっています。
過去を思い出しているのは「今」だし、
未来を想像しているのも「今」だから。
言い方を変えると
過去から未来への流れと
未来から過去への流れが
合流しているのが「今」ということでもあり。
そんな捉え方をするようになると
目の前に起きていることは
必要があるから起こっている
所謂必然的な…という表現になるのか。
未来から過去への流れがある
そう思うのは
ストーリーで例えると
もしあの日愛実の父の指示で
愛実の母がジョーカーへ行かなかったら…
ふたりは遠足には行かなかったかもしれない。
もしあの日
ふたりが遠足に行かなかったら
川原は大雅を
突き飛ばすこともなかったかもしれない。
川原が大雅に怪我をさせなければ
彼がふたりの未来を応援する未来も
来なかったかもしれない。
最悪だと思えるような出来事も
愛実と大雅が一緒にいる
未来が先にあると考えると
すべて必要があって起きていた
という捉え方もできます。
脚本だから当たり前だけれど
まさに「仕組んでいる」のですよね。
未来が仕組んでる。
だから物語の中で
ちょっとムカつく登場人物のことも
怒りや敵意を抱いたりせず
必要だから嫌なことしてるくらいに思えるし
自分が生きている現実の世界で
嫌なことがあったとしても
未来の自分が必要だから起こしている
と考えることもできる。
だとすると
目の前の人や出来事に
さほど感情を揺さぶられる必要もなく
ただ「今」を生きることができる。
過去を振り返って後悔することも減るし
未来を心配して不安になることも無い。
人生いろいろあったけど
本当に生きやすくなりました。
そうか私はいま
そんな風に捉えて生きているんだなー。
思えば遠くへ来たもんだ![]()
「愛の、がっこう。」の
感想を書き記しながら
自分の今を確認する作業も楽しい次第。
さて
あの日傘はどんな風に
持ち主の元へ返るのでしようか。
明日の最終回とても楽しみ
まんまるスフィア
でした。
See you

