新芽が伸び 葉がひらき
輝き始めた新緑が美しい季節。
雨上がりの
キラキラと湿った土を見つめていると
種というワードが浮かんできました。
この世にあるものはすべて
ひとつの種から生まれました。
小さな種から芽を出して
太陽へ向かって伸び
花を咲かせ実をつけていく。
どんな花が咲くのか
どんな実をつけるのかは
成長してみないとわからない。
種は可能性。
わたし達は
じぶんの種を使って
生まれ育むこと
花を咲かせ
果実を実らせることを願って
時のあるこの星に
生きているのかもしれません。
そんな
「世界にひとつだけの花」
みたいな例え話の先に思い浮かべるのは
美しい花を咲かせたい
とか
美味しい実をつけたい
そんな思いかもしれない。
ならば
美しい
とか
美味しい
の基準はどこに置くのか。
誰かが咲かせた美しい花?
最高級の果物?
そもそも
美しいもの
美味しいものだけが
価値なんだろうか。
賞賛されることが
悪いわけではないけれど
賛美の裏側には妬みがあるし
どんなに綺麗な花も
時季がきたら枯れていくものです。
結果を求めて生きたとき
その花が散ってしまうことが悲しくて
或いは
花が咲かなかったときのことが怖くて
育てることさえやめてしまう
そんなセルフイメージの中に
わたし達は閉じ込められてきました。
先日ライブビューイングで観た
SnowMan主演の
「滝沢歌舞伎ZERO ファイナル」の中で
桜の花は
散るのではなく舞うのです
というフレーズがあり
わたしの心にとても響きました。
花が散ってしまう…と悲しむのではなく
木から離れて落ちていく
その瞬間の姿を
舞う
という主体的なことばで表現することで
儚く悲しく見えることにこそ
大切な意味があるのだと
伝えてくれているように感じました。
片側だけでは成立しない陰陽の世界で
生生化育
万物はただそこにあるだけで
調和したバランスの中に
存在することができています。
物理次元で必要なものは
地球がすべて用意してくれているのだから
種(可能性)を
慈しみ育てること(意思エネルギー)
その過程そのものが
あなただけのものであって
そのプロセスの中で
出会いや別れを繰り返しながら
喜んだり
悲しんだり
好きになったり
嫌いになったり
感謝したり
恨んだり
あらゆる感情を体験すること
そのものが
自らを育むということなのかもしれない。
花は葉に依存し
葉は茎に依存し
茎は根に依存し
根は種に依存します。
即ち 種=可能性に還れば
新しいプロセスを
いつでもやり直すことができるということです。
この星でしか体験できない
清濁合わせのむ地球ゲームを
楽しんでいきましょう![]()
まんまるスフィアでした![]()
See you
