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まんまるスフィアです
今日は「夢を叶えた」体験を語るわけですが、
現在の私は
夢や願望は必要ない
という立ち位置にいます。
大切なのは「何をしているのか」ではなく「何に氣づいているのか」だと思うようになりました。
でも、そのことに気づけたのは「夢」を持ったからなのです。矛盾するように聞こえるかもしれませんが、「夢を持て」と言われたからこそ「夢はいらない」と気づけた。
なので、氣づかせてくれた過去に出会った全ての人に感謝する意味も込めて、これから私のプロセスを数回に分けてお話していきたいと思います。
それにしても50年以上生きてるとね、思います。
2021年現在、とても、軽いですよね。
地球のバイブレーションが軽い(笑)
軽い重いは比較の話でしかありませんが、
昭和のあの頃はね、本当に重かったと思います。勝つことや物質的なものに価値があると教えられ「努力」とか「根性」という単語が世界に散りばめられ「目標を持て」と言われて。
本音では苦しかったけれど、誰にも言えず心に蓋をして優等生を演じ、両親へ思いが伝わらない孤独感のようなものをいつも感じていて、子どもの頃から生きるのが辛かった私です。(それもシナリオですが)
幼稚園はカトリック系だったので、毎日「マリア様キリスト様、私をはやく天国へ連れて行ってください」ってお祈りしてました(笑)
てことで
今日のお題は
スチュワーデスになる
夢を叶えた話
〜高校時代それと知らずに
願望実現メソッドを実践していた〜
です。
注)1980年代はキャビンアテンダントのことをスチュワーデスと呼んでいましたよ。
私が育ったのは北海道。
東京に住む親戚と行き来する際に、たまに飛行機に乗ることがあり、幼心にスチュワーデスさんカッコいいな〜と思っていました。ANAの飛行機がトライスター(古っ)の時代で、銀色のトイレがとても怖かった記憶があります。
高校時代、堀ちえみさん主演の「スチュワーデス物語」というドラマが猛烈流行りました。当時テレビは万人の娯楽で、学校で友達と話すネタもほとんどテレビの中の話題なので、見ていないと話にならないという時代。テレビドラマが大好きだった私は、流行りものは決して見逃しませんでした。
進路を決めなければならない時期でもあり、私は「スチュワーデス物語」を見ながら「スチュワーデスってなんかやりがいありそう。どうやったらなれるのかな?」と考えるようになります。幸いにも身長は高く、英語の成績だけは良かった。
携帯もインターネットもない時代。調べる手段は本で探すか、人に聞く、の二択です。そうは言っても何を読めばいいのかわからないし、田舎ではスッチーになった先輩も見当たらず、何をどう調べて良いかわからなくて途方に暮れていた時、クラスに東京の有名大学から教育実習の先生が来ることになりました。
「東京の人だ!この人に聞けばわかるかも!」
会ったばかりの人に自分のことを相談するなんて当時の自分にはあり得ない行動。でも何故かその時だけは積極的になることが出来ました。
「スチュワーデスになりたいんですが、どうしたらいいか教えてください!」と大学生の先生に相談。そしたらなんと、お知り合いに現役スッチーがいらっしゃるそうで(ミラクル)わざわざその方に電話して聞いてくださり「まず東京の大学に進学して英語を学び航空会社を受ける。業界誌を読むといい」というアドバイスをもらいました。
私の頭の中は「スチュワーデスの世界」でいっぱいになっていきました。ドラマを見た後は、主役の松本千秋になりきって、機内アナウンスの練習をしたり、地球儀を回しながら空港コードを暗記したり、業界誌の広告に出ていた視力を良くするマシーンを買ってみたり(視力は良くならなかったけど爆)
頭の中がほぼスチュワーデスなので、本屋さんに行くとそれに関する本がちゃんと私にアピールしてくるんですよね。
ほら、目を閉じて「赤、赤、赤」と唱えて目を開けると赤いものしか目に入らない…というあれですね。
当時日本航空が出していたスチュワーデスの写真集みたいなのがあって、それが市内で一番大きな本屋さんの平積みコーナーに燦然と光り輝いていました。忘れもしないあれは高二の12月、あの写真集を見つけた時の心のときめきは今でも忘れません。
「私のために売っている!」
と思いました(笑)。お年玉で購入し、毎日ニヤニヤしながら舐めるように隅々まで眺めました。もはや森英恵デザインの制服を着た私が世界を飛び回る未来しか見えていませんでした。
そして高3になり、卒業生にエアライン就職者が多いと言われる東京の大学を調べて願書を提出。4校受けました。
ところが…
結果はまさかの全校不合格。
目の前が真っ暗になりました。まさかひとつも受からないなんて…。勉強が足りなかったか…。緊張していたのか…。とにかく自分が情けない…。
親との約束で浪人はしないことになっていたので、東京の大学へ行ってスチュワーデスになる…という私の人生計画は早くも音を立てて崩れていきました。
どうしたら良いのかわからず、しばらく放心状態。人生初の挫折感を味わった瞬間です。でも卒業の日はどんどん近づいてきます。夢をあきらめて地元で就職先を探す?
いやだ、イヤダ、絶対にいやだー!
人生初の追い詰められ感だったと思います。
そんな時学校の先生が「東京には専門学校というのがあるよ」と教えてくれたのです。私は大学に行かないと航空会社には就職できないものと思い込んでいたのですが、調べてみたらどうやらそうでもないらしい。
救う神ありとはこのことか✨
私は学校の資料室へとびこみ、今からでも手続きが間に合う専門学校を探します。
そして東京のとある外国語系の専門学校にピンときました。その学校にはその名も「スチュワーデス科」という学科があったのです。
ここしかないでしょう!
親に承諾をもらい願書を出して、すぐに面接を受けに再度東京へ。藁にもすがる思いとはこのことです。
幸いにも結果は合格。もう3月、同級生たちは続々と大学が決まっていく中で、私は卒業式の直前にやっと進路が決まるという、ギリギリの展開。
あの時は本当に毎日ドキドキでした。
晴れて入学した専門学校は、生徒を就職させることに目的を特化していました。
「日々勉強しながらエアラインからの募集がある度に試験を受け、一日も早くスチュワーデスになり学校から抜けていく」という極めて合理的な考え方。
なので、日本のエアラインでも外航でも、募集がある度に必ず試験を受けに行くという仕組みでした。当時はまだ経済も右肩上がり。ほとんどの会社から新卒と既卒の募集が必ずあったので、狭き門ながらもチャンスはそれなりに用意されていたのです。
親元を離れ初めての寮生活。ストレスで体調を崩したりしながらも、同じ夢を持つ同級生と励まし合いながら、毎日必死に勉強しました。慣れないお化粧もハイヒールも、先生にたくさんダメ出しされながらがんばりました。
そして入学からまだ3ヶ月目の6月、私は初めての就職試験を受けることになるのです。
「これは練習なんだ。まだ2年間学生でいることもできるのだから、気楽にいこう」と思っていました。
ドキドキしながら行った初めての試験会場には「スチュワーデスを目指す人」が何千人と集まっていて、ピリピリとした緊張感。何とも言えない雰囲気が漂っています。
どの人もスタイルが良く、綺麗で賢そうで、田舎から出てきたばかりの小娘の私なんか絶対に受からないな…と押し潰されそうな思いになったことを良く覚えています。
ところがなんと、私は一次の筆記試験、二次の面接と合格し、まさかの重役面接まで進むことができたのです。
実のところその会社は私が入りたいと思っていたエアラインではありませんでした。しかしどの会社も狭き門。合格させてもらえるなら、こちらに選ぶ権利などない。「ここまで来れたのはきっと運命だ」と切り替えて重役面接に臨み、結果見事に合格することができたのです。
18歳の夏でした。
そしてその年の秋、私は20名の同期と共に客室乗務員訓練生として入社。3ヶ月半の厳しい訓練を何とか乗り越えて、冬にはめでたくスチュワーデスとしてラインアウトしました。
高校を卒業してまだ1年も経たない19歳になったばかりの私は、まさかの超スピードで「スチュワーデスになる」という夢を叶えることとなるのです。
何故夢が叶ったのか
高校時代「スチュワーデスになる」と決めた私は、そうなった自分を思い描き、日々妄想していました。
制服を着た自分、飛行機で接客している自分、海外にいる自分。ドラマで見た映像とJALの写真集の画像が頭の中に叩き込まれていましたので、ありとあらゆる場面を、ありありと想像することができたのです。
それだけではなく、実際に声に出してアナウンスのまねごとをするなど、女優張りに演技していました。
当時はそれが「願望実現メソッド」だなんて知る由もありませんでしたが、誰に言われることなく、勝手にやっていたのです。
ただそれが楽しかったから。
この「楽しいから勝手にやっていた」がポイントなのですが、この辺は長くなるので別の機会にしますね。
とにかく「スチュワーデスになった自分」にフォーカスし続けたことで、未来を先取りし、潜在意識がそのような現実を創り出したということです。
今思えば「スチュワーデスになりたい」という発想は、とても純粋な領域から生まれた閃きでした。
女性の憧れの職業だからとか、お給料が良さそうだからとか、モテそうだからとか、あちこち行けるから、みたいな条件で決めるような発想は当時全く無くて、
テレビドラマを見た時に「私これやるんだ」みたいな不思議な感覚があったのですね。
時間のない世界では、初めから決まっていたことなのでしょう。
未来の私が段取りを組んでくれたんだと
スチュワーデスになるという夢を叶え、19歳で社会に出た私は、次なる夢を持つこととなるのです。
次回は
「社会に出て知ったこの国の姿」
です
最後までお読みくださり
ありがとうございます







