もう30年前になる
母が余命半年と診断され
私は人生で初めて絶望感を味わった
母はそれから1年生きたが
告知という考え方がまだ一般的ではない時代で
私は普通を装う為に
故郷の母の元へも行けず
東京でただ働き続けた
そして毎晩泣いていた
命とは何だろう
何故ひとは病気になるのだろう
毎日考えていた
母が天国へ旅立ったのは朝
雲ひとつない青空が広がってた
それから初七日まで晴れ続けた
まるで「お祝い」してるみたいに
毎日空は青く青く澄み渡っていた
そして7日目に大雨
母の魂が家族の悲しみを
洗い流してくれてる気がした
母がいなくなって悲しいのは
わたしの感情
これは私のエゴではないかと
思ったんだ
旅立ちを決めたのは母であり
その意志を尊重してあげるのが
愛するということなのでは?
死は悪いもの
病気は悪いもの
長生きで健康が幸せ
誰が決めたの?
後に人の死を祝う国があると知った
卒業おめでとうって
お祭りをするという
エネルギー保存の法則
すべて「ある」ところから来て
魂は消えることはないのにね
人と同じように感じなければいけないと
自分を縛るのをやめた瞬間だった
お正月のSNSは
「幸福」概念で溢れかえってる
私の自我が比較概念を使って反応を促す
見ている自分と
見せている自分
位置を変えてみると
だんだんと心に静けさが戻ってくる
自分の感情を疑うことは
心の掃除の役に立つ
現象も状況もぜんぶ材料なんだ
ホントは何もないのだから
今日はなんかそんな感じです
まだ酔っ払ってないよ🍷

