世間に過剰適応していった人達と、この揺さぶりで目を覚ましてゆく人達 | Healing Space Sphere

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96年から鎌倉市大船でカウンセリング&ヒプノセラピー&ボディーワークをして来たセラピストです。
2017年に高齢の親を支えるため、横浜市栄区(駅は同じ大船)に移り、カウンセリングと各種レクチャーをしています。

ある日のTwitterの拾い物

「小学校校長とマスクの話をした
始めはなんとなく人事で、へーそうなんですねーと聞いていた校長、持ってきた資料も興味なし
「おととい中学の校長と話してきて、子供達の心の問題にすごく共感してくれて、今月中にマスクのリスクを手紙で出してくれるそうです」と言ったら、あからさまに空気が変わった。
「え、○○校長ですか?本当ですか?」と驚いてた。
帰り際、資料をしまおうとしたら、「もしよければ置いていって下さい、手紙の参考にさせて頂きたいので」と、始めは手紙は出せないと言っていたのにこの変わりよう… 先に中学行って正解 

拾い物はここまで。


校長って俺と同年代だよ。昭和生まれだよ?
父兄に聞かされた内容によってペロッと手のひらを返す・・・?
そんな姿を相手に隠しもしない? (;´д`)…
恥ずかしいなんて微塵も思ってないということか・・・ (-_-メ)

そんなの、俺だったら耐えられない。
たとえその場を取り繕って、悟られなかったとしても・・・
自分の心の中では、恥じて、葛藤し、
この自分の愚かさ、立場主義?ご都合主義?
人としての至らなさ、、に落とし前付けなければ居られないだろう。

そうでなければ、子供や父兄に眼を合わせられない。
★この例は学校教師・校長。
でも、他のどんな職業でも、いや、周囲の人、家族に対しても、そんなみっともない"まま”で過ごすなんて、、 いくらなんでも、出来ない。

人は誰でも間違いを犯したり、微妙な逃げを打ったりすることがある。
若い内はそんな小さな恥を幾つも体験したりして、その一つ一つの体験を通して大人になってゆく。
それが人の成長、成熟では無いのかい?
だからそんな豊かな人を尊敬したり、心の師として仰ぐ。
 
決して偉そうな地位も無く、ごく何気ないおっさん、おばちゃんでも、ふと漏らした言葉に、何十年も生きてきた年輪のような、その方の人生の重み。
とも言える、尊敬すべき光が漏れてくる。
 
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20年も前、ある人と、その子供とで、上野公園を歩いていた。
「ボートに乗ろう!」となって、手漕ぎボートの乗り場に行った。 
ただ、その子は自閉症でもあり、乗る寸前にワ~ワ~騒いだ。
私はもう慣れたもんだったけれど、横にいたボート乗り場のおっちゃんが「ったく、今時の親ってのはよ!」と小さく漏らした。

いや、そう思われるのは仕方が無い。もう慣れてるよ。
でも、その時はつい「あ、すいません。ちょっと、、自閉症で・・」と言い訳っぽいことを言ってしまった。
 
すると、船着き場を離れ始めた私達に向かって、大きく目を見開いたおっちゃんが「あの、ご、ごめんね!」と叫んだ。
その姿に少し驚いたけど、反射的に「いえ、ありがとう御座います。」とだけ伝えた。

でも少しして。胸の奥に熱いものを感じ、想ってみると、
おっちゃんがああ言い放ってしまうのも良くわかる。

でも、あの方は一瞬で「あ!俺は今、心無い事を言ってしまった!」と気付き、取り繕うことも無く、その心を精一杯伝えてくれた。

あれが私だったら、まだまだ言い淀んでいたか、何か取り繕うような事を喋っていたかも知れない。

「おっちゃん。いや、人生の先輩。ありがとう御座います。一見こんな世の中でも、まだ尊敬し、見上げる事の出来る人はそこかしこにいる。」心の中で密かに手を合わせた。

本当はこの世に神だの宗教だも要らない。要らないどころか組織化した宗教は、人々を迷わせ、邪魔をし、汚しに汚しまくっている。
これは本やセミナーだけで心理系ノウハウを売りにしてる商業セラピーや薄っぺらいスピリチュアル業界も全く同じである。

 
本当は人の愛が人を育て、その人の心が仏であれば、何処であろうと、何歳であろうと、互いの相手の姿の内に仏を見い出す。
 
人が人を尊敬できない。敬えない世の中って、何??
なんで?何がそう仕向けてきた?メディア?世間の風潮?
 
たった数十年でこれほど恥知らずで愚劣な大人達が増殖するのか!?(こんなのが校長だってよ!??(;´д`)トホホ…)
 
日本人は今、自分達の絶対的な核を失ってみる。という体験を通して、徹底的に思い知ることで、あの戦後の焼け野原に流れた「リンゴの唄」に心洗われる。
というプロセスを通り抜けて、自分達の本当の素晴らしさを再発見してゆく道の半ば(臨月?)にいるのだとは思う。
そして、それは結果としての「自己を愛する(自己の内に愛を見い出す)」への道。
の一部なのだと思う。

ただ、どうか無事に、安産であって欲しい。と切に願う。

 
でも、このまま死産という未来も、未来は幾つも有るんだよ。