在日の犯罪:生田警察署襲撃事件 番外編 | 444Alteisen

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#在日の犯罪 #生田警察署襲撃事件 番外編❶ 山口組 田岡一雄
一日署長を務める在りし日の田岡一雄。戦後のヤクザと警察の癒着の典型だ。朝鮮人狩りをしていたのは同胞の山口組系柳川組。明友会抗争で在日を取り込み暴力団となっていく。

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在日の犯罪 生田警察署襲撃事件 番外編❷ 柳川組 柳川次郎
梁元鍚(ヤン・ウォンソク)柳川組初代組長 1923年、釜山生 1930年家族と共に密航。暴力事件で逮捕されたため、帰国した家族と離散、愚連隊に身を投じた。

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在日の犯罪 生田警察署襲撃事件 番外編❸ 柳川組 柳川次郎 
大阪に本部を置く愚連隊系暴力団。三代目山口組の広域指定暴力団に指定された二次団体。“殺しの軍団”。在日の派閥争いが原因の朝鮮人系暴力団との抗争は有名。

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在日の犯罪 生田警察署襲撃事件 番外編❹ 柳川組 柳川次郎 明友会 事件 1960(昭和35年)にキャバレーでのイザコザから起こった三代目山口組と朝鮮系暴力団明友会の暴力団抗争事件。田岡はこの偶然を好機に勢力拡大に乗り出す。

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在日の犯罪 生田警察署襲撃事件 番外編❺ 明友会事件 
この抗争事件は #山口組 の大阪進出し、全国制覇への足がかりとなった。抗争から二週間後、明友会幹部の断指のホルマリン漬が田岡の前に並び手打ちが行われた。

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在日の犯罪 生田警察署襲撃事件 番外編❻ 柳川組 柳川次郎
1969年以降警察の頂上作戦は、山口組にターゲットを絞って実施された。柳川組は警察の集中取締りの対象となり逮捕者164人を出す。その後も大阪府警の集中取締りの対象になり、1969年4月9日に柳川は二代目組長とともに獄中で組解散を決意。組から絶縁、引退後は亜細亜民族同盟を創立。日韓関係で暗躍(二代目の元公安調査庁調査官、佐野一郎氏は不審な飛び降り自殺で現在、消滅)すると共に、日本IBF設立に関わりコミッショナーを務めた。

*亜細亜民族同盟
似非右翼のひとつ。
昭和48年(1973年)、三代目山口組(組長は田岡一雄)初代柳川組組長だった柳川次郎(本名は梁元鍚)が設立。しばらくは創設者の柳川次郎が会長を務めたが、元公安調査庁調査官の佐野一郎が代わって次代の会長におさまった。
冷戦期には反共の同志であった韓国との善隣友好をとなえ、日韓親善を図るべく度々訪韓し韓国政権中枢と強い繋がりを持った他、日本の保守陣営との橋渡し役をも務めた。
かつては青年思想研究会、全日本愛国者団体会議に加盟していた。

*日本IBF
別称IBF・JAPAN。日本のプロボクシングの団体。当初は国際ボクシング連盟(IBF)の日本支部として設立された。現在はIBF非公認である。
発足当時は加盟ジムの少なさから空手家やキックボクサーをリングに上がらせていた。IBF初代アジアコミッショナーは、亜細亜民族同盟初代会長柳川次郎(本名・梁元鍚 ヤン・ウォンソク)。

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