2012年4月に注意欠陥障害だという事が正式に分かりました。
実に事故から1年9ヶ月が過ぎていました。
これも息子が大学を辞め予備校に行かないと
分からなかった事だと思います・・・

就学は可能なので頑張るようにと教授から言って頂きましたが…
病名が分かったからと言って何か治療があるわけでも無く…
お薬があるわけでも無く…
じゃあこれからどうする?っていう事で頭の中は一杯でした。
大きく進路を変更しないといけない・・・。

私達両親は男の子という事で将来家族を養っていく身になると
言う事で、職業的にある程度選択肢の幅が広がるようにと
教育には熱心で中高一貫の学校を卒業させ大学も殆どの方が
聞いた事のある大学に進学していました
こういった考えの私達にとって注意欠陥障害という障害は
なかなか受け入れがたいものではありましたが、
何かがおかしいと考え始めて病名が分かる4ヶ月の間
少しずつ心の整理をしていき
あんな事故にあいながらも今こうやって元気に生活出来ている
事に感謝して息子のこれからの将来を温かく見守る事にしました。

就学は可能といわれた様に知能が低下している訳ではなく
2つの事を同時にした時に1つの方の処理能力が落ちる~
その対処方法を息子は先生方から学習面に置いての
注意の持っていきかた…
記憶させやすい方法などをアドバイスして頂いたようです