こんばんは。

初めての妊娠の継続に伴い、書きたいことを書き始めた報いでしょうか?
いつ終わってしまうか解らない命に対しての
畏怖。

不安から来る強がり。
それでも生きていく、、中で徒然に書いていたもので

何度となくブログをわたくしから訪問して
コメントでやりとりさせていただいている数少ない方々からは

口々に

さらりさんって、最初に抱いていたイメージと違いますね、、。と言われます。

そうかもしれませんね、、。

どこのおばさん妊婦や!!??と言う
暴言も記事の中にありましたし。

正直、全部が自分です。

人間って必ず清濁どちらもあると思うのですが。わたしも一生修行の人間だ、と思います。

娘のこととなると
まあいいか、で済ますことが出来ず
(抽象的ですが
娘のこころを傷付けることに繋がることが許せないというか、親として看過できないことであり)
うーん、、
歳はとっていても(自分のこと)未熟すぎる人間だ、、と感じ

一方で
自分自身がダメージを受けても
(そういう時は一ヶ月以上不安定で大変ですが)
やられたらやり返す、の基準が緩くなった気がします。子どもを産んでから。


元々は、王貞治さんの言葉をかみしめ
「去るものは追わず、来るものは拒まず」
的だったのですが

20代から30代は
この人、倫理的に許したらいけない!と
自分の中の天秤が発動すると

上司だろうが、先輩だろうが
「貴方のやっていることは、こういうことですよね。」
と非を認めさせないと気が済まなかったのですが、

最近は
まあ、いいか、、。何だかすごいことされたけど
言い返したり、文書で示したり
それはすごいエネルギーの消耗であり

怒りのエネルギーは時にすごい力を発揮しますが

怒る(いかる)のは、娘や家族が理不尽な何かに合った時に使うことにして

自分が受けた打撃については
世直し水戸黄門風はやめて
神様に委ねよう、、と思うようになりました。

神様は目に見えません。
見えるとしたらそれは神様ではなく邪です。
お気をつけあれ。

私自身が闘わなくても、
やったことは必ずその人に返っていくもの。

うーん、そういう人もいるのか、、
誰かがいつか止めないと被害は増えるだろうね、、(注:その人物が軽卒なだけであり、いわゆる物損や命に関わる事件事故ではありません。)
でも、今自分にはエネルギーがないので
無駄な消費はやめておこう。
まあ、いいか。と思えるようになりました。

その分、お金ではけっして買うことのできない
健康。
同じことの繰り返しの毎日でも、健康だからこそ(わたしの場合、健康=痛くない であり、
共存している疾患や疾病はカウントしません。)
ああ、また明日もあれとこれと同じことの繰り返しだ、、などと不平を言えるのです。
仕事から離れ、子育てと家のことだけしておりますと、
余計に生活はパターン化し、またか、、等と思いがちですが、

それはいわゆるしあわせだ、感謝だ、という日々なのであります。

失いそうになって
または失って初めて解る有難みではもったいない!!

平凡に見える日々の積み重ねは
それ即ちさいわいなのだと
感じるようになりました。
そういう気持ちが強くなりました。

それは、やはり娘の存在です。
娘を大切にしたいと思えば思うほど

(高齢出産とも大いに関係ありますが)
命の期限、有限を感じずにはいられないのです。

明日が普通に来るかは誰にも判らない。

始まりがあれば必ず終わりが来る。

だからこそ
ぐだぐだこだわらずに、
生きていられることに感謝したい、と思うのです。

怒り(いかり)は
時に毅然と、先方に伝える必要があります。
何故ならその人物は
自分が他者の何かを傷付けていることに
ほとんどといっていい程気付いていないことが多いからです。

言われないと気付かない、もしくは自分はよいことをしていると勘違いしている場合が多いからです。

意識して悪事をはたらく人物は流しましょう。関わるだけこちらが削られるだけです。

その辺りを判断しつつ、若い頃のように
水戸黄門風を改めて

もっともっと大切なことに心と体と注いで生きていきたいと思います。

それにしても、
一番身近な家族を幸せにする、って難しいですね。

わたしは人間が浅いので
はっきり言わないと解らないオトコというサガに
悶々としたり、不満を感じてついつい口調が荒くなったりしており、

幼稚だな、自分は。と感じたりします。

ではまた。