結構長いこと生きたものだ。生まれは大森駅

の西口で降りて池上通りを南へ向かって約

2キロ位の所に大森郵便局の本局がある。

そこから数分の一角に当時ゴミ箱横丁と呼ば

れて一角があった。

所謂下町で生まれた時には7つ違いの兄と5

違いの姉がいた。

小生が生まれて2年たって妹が生まれ4人兄弟

でバランス良く育った。

母親は身体が小さく、耳が遠く、若い頃から

総入れ歯で食事が遅いので早食いの父親と

食事をするのが面白く無くって、のんびり屋

の筆者を連れ出し、デパートの食堂でお子様

ランチを食べたものだ。



見るからにひ弱だったが、肝っ玉は据わっており

この上無く優しく、一度も勉強しろとか、こ

うしろとかああしろと指示を出すことも無かっ

た。

結婚した頃、休みとなると、旅行をする事が

多く、正月の休みも、家で過ごす事は無かった

が、ある時

正月の新年の挨拶で、実家大森山王の家

を訪問した時、家内にたった一言、御正月

はこのように、御屠蘇を出して家で過ごしな

さい。それも、ニコニコと小さな声で言った。

家内の玲子は、爾来、正月は、御屠蘇を出して

確りと、その習慣だけは、必ずはたして、料理

を出す度に、「決して、何も言わなかった、貴方

のお母さんが、一言だけ言った事を想いだす」

と言っている。

あの、ひ弱で、身体の小さかった、母親は人

を動かす時は、「たった、一言」だった。