這えば立て、立てば歩めの親心、これは子供に対し

のて果てしの無い願望で、古今東西これこそ、宗教

をも超えたグローバルな感情で、これは本能と言え

ます。



されど前頭葉の発達した、人間には古典に学

び自然に帰れというピカソの名言が頭に浮かぶのだ。




兄弟皆で、小さくて見掛け弱弱しい母親の味方だった。

こぞってニヤケ男の脂ぎった女好きの男にも、見習う

べき点も幾つかあった。




筆者は未だ幼くて、その恩恵は受けなかったが、毎

週のように兄と姉を旅行に連れ出したり、大森海岸

の料理屋へ連れ出して当時としては贅沢だったてん

ぷらを振舞って呉れた。子供達のことは大変可愛い

がった。




そして筆者には良く添え寝をして、昔話をした。そん

な時は何時もの父親に対しての悪感情は捨てて素直

に耳を傾けた。と言うか、女口説きの上手な男は子供

口説きはもっと容易だったのかも知れない。



女口説きが上手な人間は、一面外交上手で、商売上手

なのかも知れない。外見は母親が惚れただけあって

かっぷくは良く、常に口ひげを生やし、フチナシのメガ

ネを掛け、小指の爪を長くして、香水やオーデコロン

は欠かさなかった。言っておくが、こう言う男には

要注意ですよ!




本当に若気の至りだった惚れた母親は面食いが欠点で、

顔と姿形だけで男を見る点だった。母親の

好きな俳優は、シャルルボワイイエ、タイロンパワー

長谷川一夫、今ならさしずめ坂東玉三郎に違い無い。




母親は顔には人格の全てが表れると口癖に言っていた

が騙されてしまった事については一言も言い訳は無

かった。



そう、父親はボリビヤ貿易で一発当てた所で、様々

な波紋があった。



其処に何が起きたかこの続きは後にするが、皮肉な

ものでこのニヤケた女癖の悪い男にも、大きな輸入

の仕事が決まったのだった。


これが、1941年(昭和16年)のパールハーバーの

前の年だった。



それはボリビヤからのタングステンのイックスクル

ッシブな代理店契約(総発売下)で、第一船が入って来て、大きな

金が手に入ったのだった。