もう、2ヶ月ほど前のことですけど
私も夫のこともよく知っている友人に会いました。

1泊2日、友人宅で過ごして
駅まで送ってもらう車の中で
「これから、どんな人生を送るの?」
と聞かれました。

「夫と共に行った場所や
夫が行きたかった場所をひとつひとつ訪ねたい」と答えました。

そしたら、その友人は少し怒った口調で
「あなたの人生を生きていない」
「いつまで悲しんでいてはいけない」
と言いはじめました。

「夫と行った場所をもう一度訪ねたい」というのは、

夫の人生を生きようとしているのではありません。


私の人生には

夫と一緒に生きた20年間があります。
その20年間は、夫だけの人生ではなく

紛れもなく私の人生でもあります。


一緒に見た景色、泊まった宿、食べたもの、交わした言葉。


夫が好きだったもの、行きたいと言っていた場所。
それらは、夫が亡くなったからといって、私の人生から切り離されるものではありません。


「いつまで悲しんでいるの」と言われても、

私は毎日悲しみに沈んで暮らしているわけではありません。

ひとりの生活にも慣れ、仕事をし、これからのことも考えながら生きています。


そのうえで、

これからの人生で何を大切にしたいかと考えた時

夫と過ごした時間を大切にしながら、

私の心が落ち着く場所へ行きたい

と思っているのです。


夫と行った場所を訪ねることも

夫が行きたかった場所へ行くことも

過去にしがみついているのではありません。


むしろ私は、
夫と生きた時間を抱えて

これからの私の人生を生きていきたい。

忘れることが前に進むことだとは

私は思いません。


夫との思い出は

私を過去に縛るものではなく

これからを生きる私の中にあるものです。


このように反論しましたが、

さらに、友人が続けて言います。

「私の友人は、最近愛犬を亡くしたけど、

直ぐに子犬をもらって元気になった。

だから、そんなに悲しむことではない。」


もう、怒り心頭💢、とっても腹が立ちました。


「新しい存在ができれば、失った人への悲しみはなくなる」

かのように言われたことが、耐え難かったです。


私にとって、夫は「失ったものを別の何かで埋めればいい」という存在ではありません。


これはもう、私にとって、自分の生き方そのものを否定されたような会話でした。


死別の苦しみをわかってくれる人も少ないけど

気持ちを理解しようとする人も少ない

と感じた出来事でした。