どうでもよいことが、思い出として刺さることがある。
22:22。
僕は、日和にラインをよく送っていた。
「2222」
ただのゾロ目だ。特に意味はない。
すると、日和からも、返ってくる。
「2222」
たった1分間の、やりとり。
でも、画面の向こうに、いつでも日和がいて、
いつでも自分を待ってくれているような、
不思議な気分になった。
いつしか、日和は、「2222」を返してくれなくなった。
フラれた日、僕は聞いてみた。
「どうして『2222』を返してくれなくなったの?」
日和は答えた。
「それが、あなたにとって特別な意味をもっているって、わかっていたから。」
確かにその通りだ。
くやしいけど、その通りだ。
…では、問おう。
なぜ、君は、僕をフッた翌日に、こんなことを書けるのだ?
特別な意味をもっていると、わかっているのではないのか?
フラれた翌々日、彼女からは、こんな写真が届いた。
「まだまだヤル気だよ。笑。」
これは、僕が日和に贈ったマリーゴールドの種だ。
日和は、ここまで大切に育ててくれた。
こんな写真を送られては、勘違いしてしまうではないか。
でも、これが日和なのである。
まるで、僕にまだ心が残っているようではないか。
まだまだ、修業が足りない。
心穏やかにありたいが、想いが、とめどなくあふれる。
ねえ、日和?
まだ、僕のことは、好きですか?