ボス | SPEED☆POP

ボス

8月16日午前7時40分
ボスは天国へ旅立ちました。


先週の3連休
ボスの病状は落ち着いていて、ここのところは丸1日酸素が必要無くなっているほど体調が良さそうでした。

土曜日の12日は涼しくて、窓を全開にして自然の風を受けながらスヤスヤお昼寝も出来ました。


残念ですが、これが最後の写真です。
あまりに気持ち良さそうで、可愛くて写真を撮りました。

具合の悪い時にあまり写真を残すのも…と思っていたのですが、撮っておいて良かった。

日曜日の13日、この日も調子は良さそうだったので、救急病院から帰って来て初めてお風呂に入りました。

今までは2週間毎にお風呂でしたから、5週間も入れなかったのは初めてで、すごくさっぱりしたんじゃないかな。

もちろん、今までみたいにのんびり15分も入っていたら呼吸が上がってしまうし、長い時間立っていられないので、温めのお湯で手早くと思い、犬用のリンスインシャンプーを買ってきて、それで洗いました。

今まで使っていたシャンプーやコンディショナー(もちろん犬用)のようにふわふわの仕上がりとはいかなかったけど、綺麗にしてあげられて嬉しかったです。


この連休中は、いつも横になっているリビングから他の部屋まで歩いて行き、自分のおもちゃを咥えて戻って来たり、具合が悪くなってから見せなかった行動をしたので、気分が良いんだと思っていました。


そして、火曜日15日

この日は朝から少し体調が悪そうで、朝ご飯も半分しか食べられませんでした。
でも、パンが好きなので、私の朝食の食パンは『ちょうだい』と食べに来ました。
半分しかご飯を食べない事はあったので、あまり気にせず、調子良くなったら食べるんだよーなんて声を掛け、仕事に向かいました。

夕方帰ると、いつもなら玄関までゆっくりとですが歩いて来て出迎えてくれ、調子が悪くてもリビングのベッドから顔を上げて挨拶してくれるのに、この日は酸素を吸いながら眠ったままでした。

母に聞くと、昼間からこの調子で、ずっと眠っているとのことでした。
普通なら、私の声がすれば目を覚ますのに、全く気付かない…そっと背中を撫でると、やっと気付いて頭を上げたのですが、その呼吸に驚きました。

寝ていた時は落ち着いていた呼吸が、目を覚ますと救急病院へ連れて行った日と同じような、浅くて速い呼吸に戻ってしまったのです。

心臓が早鐘を打ちました。
まずい、これは良くない、と。

当たり前ですが、苦しいので、夕飯(ドライフード)を食べるのを嫌がり、レトルト(缶詰やパウチのご飯)すら嫌がりました。
救急病院から帰って来た後もドライフードを嫌がりましたが、あの時はレトルトなら食べたので、本当に焦りました。

でも、小さな頃から(本当は良くないですが)私と一緒に私の夕飯をちょこっと食べていたので、私が夕飯の支度をすると、起きたいとアピールし、私の隣で何か食べたそうに食卓を覗き込みました。

倒れてから、かかりつけの動物病院では『何でもいいから好きなものを食べさせてあげて』と言われていたので、煮物をあげました。
小さな頃から、煮物の人参や大根、里芋が大好きでした。

大根を口元に持って行くと、食べてくれました。
なので、大根と一緒に薬も飲ませました。
ステロイド剤を飲ませ始めてから随分と呼吸が楽になっていたので、また呼吸が落ち着くことを期待したのですが、1時間経っても2時間経っても変わりはありませんでした。

薬がもう効かない状態まで進行してしまったんでしょうね…

最後に、好きなおやつを少しと、茹でた鶏の胸肉を細かく割きながら食べさせました。
これは食べてくれました。親指大の大きさのお肉を2つ分食べさせ、まだ欲しそうでしたが、まともに食事が出来てないし、これ以上食べさせても吐くか下痢をするなと思い、『また明日にしようね』と終わりにしました。
今思えば、お腹いっぱい食べさせれば良かった…


夜中、眠っていると思うのですが、目は半分開いたまま…
時々、オシッコとお水で目を覚ますのですが、立ち上がらせてやって、お水の所まで連れて行っても(といっても寝床から1mくらいですが、もう自力では歩けませんでした)、お水に口を付けるのもやっと。

以前は床に置いたトレーの上にお水の器を置いていたのですが、救急病院以降、おそらく苦しくて頭を下げる事が出来なくなってしまったので、頭を下げずにお水が飲めるように口の高さの台にお水の器を乗せていたのですが、そこに口を付けることすら辛そうでした。

毎日、夜中に1時間〜2時間おきに目を覚まし、お水を飲んでからオシッコをするのが習慣になっていたのですが、この日はお水の後のオシッコが出来ませんでした。
オシッコをするのにお腹に力を入れることが苦しくて出来なかったようです。

結果出ませんでしたが、律儀にオシッコをするのに玄関まで移動するんですよね…
立ち上がった時は必ずオムツをしてやっているので、その場でオシッコをしてもいいのに、寝床やその付近では絶対しないんです。

苦しくて辛いのに、凄く頑張ったと思います。

午前3時頃、今度はウンチがしたくて起こしてアピール。
また無理をして玄関へヨチヨチ。
ウンチをするのに力んだんですね、すぐにベッドへ連れて行ったのですが、酸欠を起こして眼球が上下にグラグラ揺れました。

『もうダメかもしれない!』と叫んでしまいました。
経験したことの無い状況に動揺し、怖かったです。
でも、1〜2分で意識を取り戻し、息は上がってますが何とか頑張ってました。

もう翌日は休もうと思ったのですが、母に『これがあと1日なのか、5日なのか、1週間なのか分からないでしょ。あんた、そんなに休めるの?今日はきっと大丈夫だから、仕事に行きなさい』と言われ、仕方なく仕事に行くことにしました。

午前7時前、今度は下痢。
こんな症状なのに、玄関までヨロヨロしながら歩くんです。
まだ迷ってました。仕事は休もうか…
もちろん、ボスが心配なのですが、母も心配でした。
ボスは12.5キロありました。起き上がらせるのに、私は簡単に持ち上げられます。お水の所まで抱き上げて行くのも簡単です。
でも小柄な母にはボスはかなり重く、起き上がらせるのにも一苦労。
こんな状況で1人で介護なんて無理だと思ったのです。


そして、午前7時20分
また一段と呼吸が上がり、水を飲みたがったので起き上がらせるも、水に口を付けることも出来ず、下半身を持ち上げて頭が自然と下を向く形にして、やっと3口。

凄く苦しそうで、酸素も吸えているのか…
見かねた母が言いました。
『病院で楽にしてもらおう…』

迷いました。
本当に迷いました。
でも、このままの状態で数日苦しむのなら…

『分かった、今日は仕事休むから、一緒に病院に連れて行こう』

私はボスから離れられなかったので、母が7時30分に病院に電話を掛けました。
まるで話を聞いていたかのように、電話を掛けはじめた途端、ボスの口が一段と大きく開き、舌が少し口の端から垂れました。

『あぁ!もうダメだ!』
少しでも楽になれば、私が側にいるのが分かればと、頭の下に腕を入れて支えました。
お水を飲みたがっていたので、指で口の中に数滴落としてやり、口まわりを湿らせてやると、こくんと飲み込んでくれました。
ふと見ると、少しだけオシッコが出ていたので、ティッシュを数枚丸めて置きました。

最後まで耳は聞こえていると聞いたことがあるので、体を撫でながら、ずっと声を掛けました。
『ボス、姉ちゃんここにいるよ!大好きだよ!イイコちゃんだね、大丈夫だよ!』
いつも話し掛けてた言葉を繰り返し掛けました。

目がキョロキョロ動いて、私や母を探しているのが分かりました。
『ボス、ここにいるよ!行ってらっしゃい、また会おうね!大好きだよ!』

そして午前7時40分、徐々に呼吸が浅くゆっくりになり、止まりました。


呼吸が止まる前にオシッコが出たようでした。
ちゃんとティッシュの上にしていて、ベッドも体も汚れていませんでした。


旅立つ前にウンチもしていたので、亡くなったあとにウンチやオシッコが出てくると言いますが、ボスはどちらもありませんでした。


3日前にお風呂に入り、わざわざ季節外れに涼しかった16日を選んで天国に行ったようです。

時間も少しずれていれば私は看取ることが出来ませんでした。
また、もう少し遅ければ、家で最期を迎える事は出来ませんでした。
時間すら選んでいったようでした。


この日は1日一緒に過ごしました。
まるで眠っているだけかのように可愛らしい顔をしていました。
喉が痛くなるほど声を上げて泣きました。
記憶に無いのですが、夜はボスの体に抱き着いて寝ていたそうです。

17日は火葬に連れて行きました。
もう撫でることも抱きしめることも出来無いのかと思うと辛かったです。

丸2日、泣き通しました。
人生でこんなに辛い思いをしたのは、初めてでした。
救急病院の時の比ではありませんでした…

今も正直辛いです。
ボスは今、家に帰ってきています。
知人が綺麗な鉢植を持ってきてくれました。
花には詳しくないのですが、百合やカーネーションが沢山植えてあり、花が好きだったボスは喜んでいるかなと思います。
その鉢植や、天国へ行ってすぐに母と妹が買ってきてくれた仏花、お水やご飯、お線香、おもちゃと一緒に骨壷を置ける場所をリビングに作りました。

昨日は気持を奮い立たせて仕事へ行きましたが、ボスの事を聞かれるとボロ泣きしてしまいました。
職場の人たちはボスに会ったことがないのですが、一緒に泣いてくれました。有り難いことです。


仕事帰り、ボスのいる場所に写真を飾ろうと思い、30枚も写真をプリントしてきました…笑
写真立ては10個しか買えませんでした。正直、闘病にお金がかなり掛かり、余裕が無くなってしまってます。

それでも、生きてて欲しかった。
もちろん、最後の1日のような状態では可哀想ですが、先週末に穏やかな時間を過ごせていたので、期待をしてしまっていたんです。

来月で14才でした。迎えられると思ってました。


でも、頑張ったと思います。
救急病院では、退院して連れて帰る間に逝ってしまうかもと言われました。

あれから1ヶ月半、よく頑張ってくれました。
多分、私がボスのことになると取り乱し、泣きじゃくって手が付けられなくなることを分かっていたんだと思います。
だから、さよならの準備期間をくれたんだと思います。
今も死ぬほど辛いです。あの子は私の宝物でした。親友でした。弟でした。息子でした。
でも、1ヶ月半前にあのまま逝ってしまっていたら、私はもう立ち上がることが出来なかったかもしれない。
まだあと数ヶ月は、と思っていたとはいえ、この1ヶ月半で、こんな日が来ることを徐々に意識しはじめていたのは確かです。
心構えなんてなんの役にも立ちません。でも、突然迎えるのと、ちょっとずつ意識しているのとでは随分違ったと思います。
辛くてもここに書けるのは、ボスが作ってくれた状況のおかげです。

ありがとう、ボス。本当にイイコちゃんだね。
手の掛からない子でした。




7月20日、私がご飯を食べるのを待っている時の写真。(一緒に食べるつもりで笑)
痩せてしまっているけど、目がクリっとしてて可愛らしい顔をしています。
脚がハゲているのは、救急病院で注射されるときに刈られたものです笑
この頃は、調子が良いと元気だった頃と同じように、奥のペットシーツ(トイレ)で自力でオシッコしてました。本当にイイコちゃん!





元気だった頃。
本当に可愛い子でした!
世界で一番大好きでした!

いつになるか分からないけど、待っててね。
また会おうね!街を探険するのが大好きだったね、天国も探険して、私が行ったら案内してね!

一生忘れないよ。