ハリケーン/英文学の片鱗 | An Ulterior Weblog

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現代の吟遊詩人(a mistrel)と言われるボブ・ディランが、ノーベル文学賞受賞発表後、コンサートを続けているのに、ノーベル委員会からの電話に応じていない。とうとう委員会は連絡を取ることを諦めている。おそらく、ディランは自分から連絡することも授賞式に出ることもないだろう。

 

ディランの受賞は至極もっともだと思った。歌手という意外性から一瞬は驚いたが、とても納得した。村上春樹なんかよりずっと意義がある。

私はディランファンではない。彼の代表曲というと『風に吹かれて』や『天国への扉』が何よりあがるのだろうが、自分は違う。これらの曲を全く聞いたことがなかったわけではないが、特に感銘を受けたとかそういうことがない。それはビートルズなどとも同じで、レコードを買うとかそういうことがなかった。

 

では、なぜディランを知ってるかと言えば、たった1つの曲『ハリケーン』を聴いたからだ。ディランファンにとってこの曲の評価が高いのかどうか知らないが、ディランと言うと自分にはこの曲しかない。ほかにない。タイトルから最初、カリブ海に発生するハリケーンが猛威をふるって人々が苦しむような話かと思った。全く違った。

冤罪を受けた(と思われる)ボクサーの話を詩にしている。ハリケーンとはある実在した黒人ボクサーの異名。米国での黒人問題は昔も今も何ら変わっていないことはこれでよくわかる。

 

曲も独特なのもあるが、何より、歌詞がえらく長い。ディラン自身、延々と口を動かし続けて歌っている。しかも何分も歌い続ける。よくカバー曲というのがあるが、これを誰かがカバーした話は聞いたことがない(あるのかもしれないが)。そんな気を起させない歌である。大体、日本では、こんな赤裸々な歌を作ろうという歌手も出ないだろうし、まして商品として提供しようというレコード会社がありそうにはとても思えない。少なくともこれほど現実の歌をあまりに若かった自分は聞いたことがなく、衝撃が凄まじかった。この曲は自分のリストの中では何十年も孤立的に別ページにポツンと存在している。

訳詞までしている人のがあった。歌の動画もついている。なぜかYouTubeにはこのバージョンが見当たらなかった。短いかライブかだ。

http://mongahouse.blog119.fc2.com/blog-entry-490.html

 

さて、本題はここから。

現代の音楽市場の歌で歌詞でここまで細かなストーリー展開をした曲をほかに知らないが、歌ではなく、英詩としては実は珍しいことではない。

英文学で散文というと小説を思い描くのが普通だと思うが小説の歴史は長くないし、もともとは長い詩があってそこにストーリーが展開されたことから発展した。つまり、英文学の原点は詩と言っていい。

 

英語をいろいろ勉強している人でも英詩を読んでいる人はまずいないだろう。少なくとも受験までの段階ではいないと思う。英詩を理解するためには一般の学習とは毛色の違う知識が要求されるからだ。文法にしても背景知識にしても違う。もちろん、そういうのが無くてもわかる詩はあるが、多くないし、理解が十分にできない。現代の歌詞とも毛色は違う。そういう中でこの『ハリケーン』は逆行して昔の英詩の世界を示しているように見える。本人はキーツとかの詩を読むべきとか言っているそうなので、なるほどと思う。

各ラインの末尾に注目すると、town-around-crown-down、flame-name-game-him-blame、nigger-trigger といった韻を各パッセージで統一して踏んでいるのがわかる。また、1つのラインの中でも、Just like the time before and the time before that と同音の繰り返しを入れている。いかにも”詩”という作り。

 

俳句や和歌も同じだが、英詩も短い文の中に言葉の世界を凝縮する。難しい。中学はもちろん高校でも教えているところはないだろう。大学の英文科でも授業は多くないのではと思う。しかし、英文学というものを味わおうとしたら、英詩までいかないとその神髄に触れたとは言えないだろう。小説だけでは片手落ちだし、むしろ英詩の方を重視してもいいぐらいだ。少なくとも英文科はそうあるべきではないか。どの道シェークスピアに向かうだろうから、この偉大なる詩人の作品を理解するために。英語学は別だが、英文学についてはそう思う。

 

前に、伊藤和夫を批判的に書いたが、実はこういう点からも思うわけである。受験という世界では仕方のないことかもしれない。しかし、伊藤は英語の世界を示すことはしなかった。誤訳も少なくない彼の実力からすると英詩を理解する力も不足していたと思う。同じ駿台で言えば、伊藤を本人の希望通りに呼び込んだ奥井潔がわずかながら英語の世界を見せていたと言える。ただ、奥井は英語学方面は得意ではないようだ。受講生も奥井ファンと伊藤信者は分かれているように聞いた。伊藤信者は伊藤英語を武器に現代社会に溢れる情報伝達を主軸とする英文のネットワークをそれなりにうまく渡れるだろう。しかし、結局のところ英語という世界を全く知らないままなのは今も変わっていない。

 

無論、皆がシェークスピアを読む必要はないし、簡単に読めるようなものでもない。そこまではいかないにしても、近現代詩にいくらかでも触れる必要性は多いにあると思う。そう思わせる今回のノーベル文学賞だった。

 

 

日本人ではどうだろうか?日本ではあまり詩に対する文化的評価は高くないように思えるが、歌として実現している1人は中島みゆきと思う。

 

※※

以前にも触れた明治大学のマーク・ピーターセン教授は大学時代に英文学を学んでいるが、その頃、詩ばかり読んでいて詩人になろうと思っていたという。こんな感じで、英米人において詩はとても身近で、小説はダラダラと説明ばかりで研ぎ澄まされた詩と比べようもないと見下すような意見も少なくない。日本ではちょっと考えられないと思う。

 

※※※

冤罪の歌というと、実話ではないが、こちらのエリック・クラプトンの I shot the scheriff. (原作はボブ・マーリィ)が一番知られているだろう。

https://www.youtube.com/watch?v=jooqtlN1Wz8

歌詞として独特なものがほかにあるかと言われると、もちろんたくさんあるが、大ヒットしたものとして今も時々話題にあがるのはイーグルスの Hotel California だろう。この歌詞の背景は深くてなかなかわかった気にならない。1969年にはたぶん、人類が月面着陸したことも含意されているのだろうが。。。

https://www.youtube.com/watch?v=G0ATsOXSPBw

 

ディランの受賞講演が掲載された。いつものように盗作疑惑がある。ハリケーンに関しては元々が実話だけに盗作という範疇には入らないだろう。彼の他の歌に興味が湧かないのは、この現実感とはかけ離れた抽象的抒情性バリバリの表現が甘っちょろく見えて好きになれないからだろう。

https://www.nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/2016/dylan-lecture.html