昭和な二輪車免許交付 | とらじろうのバイクブログ バイク整備の覚書

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当時の気分を表現する為多少オレオレ調で書いております。
ご理解の程よろしくお願いします。

16才の誕生日
 
 
超ビーバップな高校をさぼった俺は試験場にいた。
 
待ちに待った16才の誕生日、
その日に小型二輪車試験(125ccまで)を受けに来たのだ。

当時は最初のみ予約無しにて当日受験が出来た。

いきなり中型は受からないとの情報があり、小型二輪車を選択したのだ。
 
午前中、学科試験をラクラク突破した俺は
 午後の実技試験を受験した!

内心ドキドキしながら順番を待っていたが、
緊張しているのを悟られるのが嫌で態度には出さないように気をつけていた。

ドキドキ💓

こう言う時ってひたすら時間が長い。

誰一人合格することがないまま
 ようやく順番が来て乗車!
 
いざ、「発進❗️
 
少し進んだところで、誰かがよんでいる。
 
「はーい 戻ってくださーい❗️」
 
嘘だろ、絶好調のはずだ❗️
乗れてる俺は一発合格だ❗️


何故❓呼ばれた⁉️


当然のように、コースを廻る事なくあっという間に実技試験は終わった。
 
「君ね、上手いけどどこで練習してた❓」
「全然、安全確認ができていないよ❗️」
「安全確認をちゃんと練習してきてね」

  と、試験官がおっしゃる。」


みんなどこで練習するんじゃーい!と思ったのを覚えてる。
 

安全確認❗️
 

そう、俺の練習場所は河川敷。

交差点がないので、安全確認などする事はない。
 
 
近所の家にあった、乗らなくなったバイクを格安でもらってきて直して乗っていたのだ。
全くの独学だったが、エンジンがかかった時は嬉しかった。
 
今思ったが、14才だった。
初めて乗ったのもこのバイク。
ハスラー90だった。
 
14才の俺は、このハスラーで近所の多摩川の河川敷を日がくれるまで走ってたのだ。

当時は何でもありだった

多摩川迄押していくのだが、

数キロある距離を押して歩いても、乗れる嬉しさが優っていて、辛くも無かった。
 
おまわりさんに何度も職質されたが、多摩川河川敷迄押して行って乗るんだと言うと、
 
「そうか、頑張れと応援してくれた。」

お巡りさんも人間味があった時代

中学校でも先生に呼び出された。

「お前、バイク乗ってんだって?いいと思ってるのか?と」

「はい、乗ってますよ。多摩川の河川敷で。
そこまでは押して行ってます」
何か問題ありますか?

「そ、そうなのか、💦 呼び出して悪かったな、」


そんなゆる〜い時代だったのだ。
 
当時は何でもありだ。笑笑
 
若さって素晴らしいー


そんな俺も安全確認❗️の大切さを知った。
そうか、試験はテクニックより安全確認なんだ。
 
 
試験に落ちたその日に明日の試験の予約をして帰る。
自転車で安全確認を徹底的に練習した。


あがり症の為か連続で受ける事 
4回目、土日を挟んだので6日で、ようやく小型二輪車免許に合格となった。
 
だが、当時は合格から免許交付迄一ヶ月待たされたのだ。
この一ヶ月で乗ってしまい捕まった友人は数知れずいたのだ。
(ここで捕まると30日免停となるので交付日にもらえず、さらに30日後になった。確か)
 
 
待ちに待った交付後、即中型二輪にトライ。
今度はバイク、ハスラー90で毎日受けに行き、
試験管に「また君か」と言われるようになった3回目に合格となった。
 
小型から中型は裏にハンコを押されるだけだった。

取得費用も小型から中型取得まで1万かからなかったとので一発試験はおすすめ。
(ただし昭和の値段です)
 
気が付いた方もいると思いますが、俺たち世代からあの悪名高いナナハン免許が始まってしまったのだ。
一年早ければと悔し涙の年頃です。
 
こうして免許を手に入れた俺は次なる目標である

北海道ツーリングの計画を立てたのだ。


つづく