去る8月11日に初めてあの御巣鷹の尾根に慰霊登山をして
来ました。
520人が亡くなられたあの史上最悪の事故から30年。
たまたまですが、当時学生だった自分は事故当日、朝まで
徹夜ドライブをして昼前に帰宅し夜は家族で19時のNHK
ニュースを見ておりました。
19時半前のニュースが終わる直前に「大阪に向かっていた
日航機がレーダーから消えた」との一報が入り、
続いて放映された「懐かしのメロディ」という番組だったと
思いますが、途中で臨時ニュースに切替えられてその後
23時過ぎまでテレビにくぎ付けになっていた事を覚えています。
その後様々な形で事故の概要、遺族の方の苦しみが取り上げられ、
そして15年も経ってから32分のコクピットクルーの壮絶な格闘の
音声記録が公開され、改めてこの事故の大きさや影響感じ、
いつかは事故現場に登り慰霊登山をしたいと思うようになりました。
今年は30年という節目の事もあり、報道で大々的に取り上げられ
るでしょうし、ご遺族の方々の邪魔にもなるかと思い、1日前の
11日に行くことにしました。

自宅を出発してから3時間後、ようやく下仁田ICに到達し、下道で
上野村を目指します。
既に険しい表情の山々が私を取り囲んでいます。

途中道の駅、OASIS南牧でちょっくら休憩。
川辺ではバーベキューが行われていました。

ナビは「上野ダム」に設定し向かっておりましたが、
いよいよあと16キロの地点まで来ました。
所々に案内板が出ているので迷うことはあまりないと
思います。

ここからあと数キロなのですが、舗装されているとは
言え、車のすれ違いも難しいほど狭くて落石が起こり
そうなカーブの多い道を登っていきます。

そしてようやく登山口に近い上の駐車場に到着しました。
自宅を出て4時間です。
明日の準備の為に多くの報道陣が既に集まっていました。

ここが登山口です。
尾根は1539m、登山口から800mの距離ですが、高低差が
180mあるので結構キツイと聞いています。

いよいよ登山開始です。
右手に杖が置いてあるので有り難く、しかも迷いなく
2本お借りすることにしました。

登り始めて間もない頃の風景です。
熊が出るからか、熊避けの鐘が何箇所か備えられて
いました。
こんな山奥に墜ちてしまったとは・・・
この頃私の息は既にぜーぜー状態でした。

この辺りが行程の半分くらいの場所です。
ベンチもあり、休憩できます。
あまりにも心臓がバクバクするのでここでは長めに
休息と水分補給し、また上を目指しました。
さすがに普段運動不足の中年にはかなりキツイです。
山の管理人さんのお陰で道も奇麗に整備され、手すりも
ありますし、水の補給も途中で出来ます。

登り始めてから35分強、ようやく昇魂之碑に到着しました。
この辺りが機首が大破した場所のようで、碑より上に亡くなられた
方々の思い出の写真や遺品が置かれている小屋がありました。
登山途中にもここにも多くの墓標がありました。
あちこちで合掌させて頂きました。

写真ではよくわからないと思いますが、昇魂之碑の広場から下を
見ると本当にすごい斜面です。
救助活動の際は本当に大変だったのだと改めて思った次第です。
事故直後は山肌が露わになっていたこの付近も、過去の記録写真と
比較しますと30年の月日を経て木々がかなり生い茂ってきています。
無事に慰霊を行う事が出来ましたが、ご高齢のご遺族の方々には
本当に大変な山道だと思います。
それでも上野村の方々や関係者の努力のお陰でここまで登りやすく
整備されてきたのだと思いますが・・・
駐車場に戻ってから急いで今度は慰霊の園に向かいました。
こちらは上野村役場方面に走り、299号線の楢原トンネルの手前で
左折して少しのところに慰霊の園があります。

翌日の式典に備えて既に遺族の方々の為のテントと椅子が用意
されていました。

慰霊碑は合掌をする形で、ここから直線距離で10キロ先にある
昇魂の碑の方角に作られています。

案内図や観音も作られています。


慰霊の園の看板です。
リニューアルされた展示棟内部を見学し、突然の大事故に
戸惑いながらもこの状況を受入れ、遺族の方々に温かく接し
励まして犠牲者を供養してこられた上野村の故黒沢村長をはじめ、
村民の方々の苦労に頭が下がる思いで上野村を後にしました。
来ました。
520人が亡くなられたあの史上最悪の事故から30年。
たまたまですが、当時学生だった自分は事故当日、朝まで
徹夜ドライブをして昼前に帰宅し夜は家族で19時のNHK
ニュースを見ておりました。
19時半前のニュースが終わる直前に「大阪に向かっていた
日航機がレーダーから消えた」との一報が入り、
続いて放映された「懐かしのメロディ」という番組だったと
思いますが、途中で臨時ニュースに切替えられてその後
23時過ぎまでテレビにくぎ付けになっていた事を覚えています。
その後様々な形で事故の概要、遺族の方の苦しみが取り上げられ、
そして15年も経ってから32分のコクピットクルーの壮絶な格闘の
音声記録が公開され、改めてこの事故の大きさや影響感じ、
いつかは事故現場に登り慰霊登山をしたいと思うようになりました。
今年は30年という節目の事もあり、報道で大々的に取り上げられ
るでしょうし、ご遺族の方々の邪魔にもなるかと思い、1日前の
11日に行くことにしました。

自宅を出発してから3時間後、ようやく下仁田ICに到達し、下道で
上野村を目指します。
既に険しい表情の山々が私を取り囲んでいます。

途中道の駅、OASIS南牧でちょっくら休憩。
川辺ではバーベキューが行われていました。

ナビは「上野ダム」に設定し向かっておりましたが、
いよいよあと16キロの地点まで来ました。
所々に案内板が出ているので迷うことはあまりないと
思います。

ここからあと数キロなのですが、舗装されているとは
言え、車のすれ違いも難しいほど狭くて落石が起こり
そうなカーブの多い道を登っていきます。

そしてようやく登山口に近い上の駐車場に到着しました。
自宅を出て4時間です。
明日の準備の為に多くの報道陣が既に集まっていました。

ここが登山口です。
尾根は1539m、登山口から800mの距離ですが、高低差が
180mあるので結構キツイと聞いています。

いよいよ登山開始です。
右手に杖が置いてあるので有り難く、しかも迷いなく
2本お借りすることにしました。

登り始めて間もない頃の風景です。
熊が出るからか、熊避けの鐘が何箇所か備えられて
いました。
こんな山奥に墜ちてしまったとは・・・
この頃私の息は既にぜーぜー状態でした。

この辺りが行程の半分くらいの場所です。
ベンチもあり、休憩できます。
あまりにも心臓がバクバクするのでここでは長めに
休息と水分補給し、また上を目指しました。
さすがに普段運動不足の中年にはかなりキツイです。
山の管理人さんのお陰で道も奇麗に整備され、手すりも
ありますし、水の補給も途中で出来ます。

登り始めてから35分強、ようやく昇魂之碑に到着しました。
この辺りが機首が大破した場所のようで、碑より上に亡くなられた
方々の思い出の写真や遺品が置かれている小屋がありました。
登山途中にもここにも多くの墓標がありました。
あちこちで合掌させて頂きました。

写真ではよくわからないと思いますが、昇魂之碑の広場から下を
見ると本当にすごい斜面です。
救助活動の際は本当に大変だったのだと改めて思った次第です。
事故直後は山肌が露わになっていたこの付近も、過去の記録写真と
比較しますと30年の月日を経て木々がかなり生い茂ってきています。
無事に慰霊を行う事が出来ましたが、ご高齢のご遺族の方々には
本当に大変な山道だと思います。
それでも上野村の方々や関係者の努力のお陰でここまで登りやすく
整備されてきたのだと思いますが・・・
駐車場に戻ってから急いで今度は慰霊の園に向かいました。
こちらは上野村役場方面に走り、299号線の楢原トンネルの手前で
左折して少しのところに慰霊の園があります。

翌日の式典に備えて既に遺族の方々の為のテントと椅子が用意
されていました。

慰霊碑は合掌をする形で、ここから直線距離で10キロ先にある
昇魂の碑の方角に作られています。

案内図や観音も作られています。


慰霊の園の看板です。
リニューアルされた展示棟内部を見学し、突然の大事故に
戸惑いながらもこの状況を受入れ、遺族の方々に温かく接し
励まして犠牲者を供養してこられた上野村の故黒沢村長をはじめ、
村民の方々の苦労に頭が下がる思いで上野村を後にしました。










































