一九九八年くらいから、「二〇〇一年はフツーの旅」にすると周りの人に冗談を言っていた。もちろん映画の題名から引っ掛けていただけ。漢字で「普通」ではつまらないので、カタカナで「フツー」。普段の生活から、ちょっとの間だけ「不通」になれる旅も悪くはないはず。

 実際に二〇〇一年になったら、テレビコマーシャルで「二〇〇一年普通の旅」という、どこかの旅行会社か交通公社が、キャッチフレーズを使いはじめ、同じことを考える人はどこにでもいるのだなと思っていた。だいぶ前から周りの人に言っていたし、真似したわけではないアピールは必要なかった。みんなが好きなようにいろんな類のフツーの旅をすればいい。

 実際は、旅の呼び方なんてどうでもよいのかもしれない。どこか良いところに行ければ、そして新しい発見があればそれでいいのだ。もしくは、ただのんびりリラックスして、羽を伸ばすだけでも。今度はどんな美味しいものに出会えるかな? 何のお芝居を見ようかな? 温泉やスパもいいな。近いところでのフツーの旅でもいいのだ。

 確か一九九七年か一九九九年に、ニューヨークはマンハッタンの六番街か七番街のどこかにビッグ・カップという喫茶店があったはず。歌手のリッキー・マーティンがお気に入りの場所と雑誌のインタビューに答えていた喫茶店である。会ったことはないけれど、とつぜんこの歌手が近しい人に思えたのだった。

 あらためて、ニューヨークに行って、いくら探してもない。見つからない。場所も正確に覚えていない。リッキー・マーティンなら知っているはずなのに。「この辺だったはず」とうろうろして、延々とそれを繰り返す。また行きたいと思う場所の記録や写真を撮っておかなかった自分の性格に悪態をつきたくなる。今でならスマホですぐに見つけられるのに。

 

 ビッグ・カップでコーヒー飲みたい!

 だって、カップがビッグなのだ!

 カップというよりどんぶりだ!

 

 アメリカではアイスコーヒーというのがなかったと思う。少なくとも私の経験では、どこにも売ってなかった。缶コーヒーもなし。日本食材店などに行かないと、見つからないものもあったのだ。

 当時の私はコーヒーの味うんぬんはどうでも良かったと思う。あの、大きなどんぶりで飲むというのが、いかにもアメリカだなぁと思っていたのだ。後から知ったのだけれど、大きなコーヒーマグでのコーヒーはいろんな場所でも提供している。私が知らなかっただけだった。


 まだ世紀末だったあの夏、真夏の暑い日の午後、友人と一緒にビッグ・カップに行った際、友人がアイスコーヒーを飲みたいと注文した。日本の米軍基地に努めていたから、日本でのアイスコーヒーを知っていたのだ。なんだかいろいろとやり取りしている。

 どんぶりカップに氷をふんだんに入れたものが一つ。もう一つのどんぶりには通常のホットコーヒー。合計二つのどんぶりを受け取っていた。なるほど、コーヒーに氷をいれたり、氷のどんぶりに上からコーヒーをかけたりして、アイスコーヒーを自分で作るのだった。

 そんな発想は当時の私にはなかった。アイスコーヒーは、冷蔵庫でじっくり冷やすものだったから。

 

 Think outside the box

 既成概念にとらわれずに考える

 

 そうこうするうちにアメリカでもアイスコーヒーや、かき氷のようなドリンクがスターバックスなどでも売られるようになり、他の店も真似したりして、みるみるうちに浸透していった。今ではそれが当たり前なのだろう。しかし、ほんの数十年前にはアイスコーヒーというと、アメリカでは「何それ?」と笑われたこともあったのだ。なんだか懐かしいアメリカ。

 

 そのビッグカップの喫茶店が見つからない。それ以来ずっと見かけていないが、何年も経ってからある日、ネット検索してみたら、二〇〇五年に閉店となったらしいことが分かった。残念である。

 とういうことは・・・もう一度行こうと探していた当時は、まだちゃんと営業していて、私が見つけられなかっただけではないか! なんてこった。

 フツーの旅には何も特別なことはしなかった普通の旅だった。アメリカに行きはじめてから十年経っていた。新しいものを探すというより、お気に入りの場所にまた行くという感覚。その日に観たいと感じたオフ・ブロードウェイやオフ・オフ・ブロードウェイの小さな劇場での、きっと来年には誰も覚えていないようなお芝居に立ち寄る。

 ふと思い出した。一九九〇年代の中ごろに、私の海外旅行の最初の十年は英語圏に集中しようと、漠然と考えていたこと。

もう十年経ってしまっていた。

 新天地を求める時が来たのだろう。英語圏ではない国へも行ってもみよう。まだまだ面白い発見があるはずだ。フランス語もドイツ語もアラビア語も、習ったじゃないか。フランス語の雑誌もだいたい理解できてた時期があったのだ。

 そんな気持ちであっという間に終わったフツーの旅。

 

 ユーチューブが世の中に発表されたのは、この時から四年後。iPhoneが日本で売り出さられる七年近くも前のこと。新世紀が始まり、映画の宇宙の旅ほどではないにしても、初の宇宙観光旅行があった。アメリカの起業家デニス・チトー氏が自費で八日間の宇宙旅行をしたのが二〇〇一年の四月だったはずだ。本当に、二〇〇一年に宇宙旅行にいく人がいるなんて、「してやられた」と思った。私とは雲泥の差だ。

 何はとなしに、ノストラダムスの大予言はあたらず、何事もなかったように新世紀は始まったなぁ、とふと思ったこともあった。Y2K問題も、私の周りではあまり問題にならなかったみたいだったし。

 

 私はといえば、毎日できることをするだけ。そして楽しむだけ。その積み重ねが、自分の将来を方向付けるのだということを、ようやく学んだ頃だった。やっと楽しい時間と仕事とのバランスが取れるようになったと感じ始めた頃だったと思う。

 自分の仕事人生、何とかなるかもしれない。そう思えるって素晴らしいこと。みんながみんな、そんなふうに感じられるとは限らないと、周りを見ていて重々分かっていた。自分の幸運にウキウキしていた頃だったと思う。

 

 いざ、新世紀へ。