告白。

 一九九九年が終わりに差し掛かるまで、二十一世紀は二〇〇〇年から始まると思っていた。友達に指摘されて、初めて知ったのだった。なんとも、お恥ずかしい限り。でも、きっと私だけではなかったはず。区切りも響きも良い「ニセンネン」。

 ということは、二〇世紀最後の年の旅を、また経験できる!

 

 なんて幸運! 

 お得感満載!

 

 フロリダには一度足を踏み入れたことはあっても、実は一番有名と思われるマイアミには行っていなかった。タンパにも。

 多くの日本人が、観光でフロリダに行く理由はマイアミよりも、ディズニー・ワールド・リゾートだったり、ユニバーサル・オーランド・リゾートだったりするだろうと思う。オーランド市方面ですね。きっと楽しいのだろうね。でも、マイアミからは四〇〇キロメートル近くあるので、軽く行けると思ってはなりませぬ。オーランドに行くつもりで計画たてないと。

 行ったことまだない。

 ロサンゼルスでは、ディズニーランド・パークやユニバーサル・スタジオ・ハリウッドには行ってみたけれど、それで納得してしまったのです。こういったアミューズメントパーク系の観光地に行くには、エネルギーがいる。

 フロリダ州のディズニーランドはいつか一度は行ってみないとなぁ、と思う。

 マイアミといえばテレビドラマの『マイアミ・バイス』がまず、頭に浮かぶ。知っていることのスキーマって、何が頭に浮かんでくるかが興味深いもの。

 

 それと、それがつながる? なんで? みたいな。

 

 つまり、マイアミで知っていることといったら、当時の私は例のテレビドラマで得た情報のみだったのです。番組の内容上、マイアミは犯罪だらけ。凶悪犯罪者うじゃうじゃ。ドラッグまみれ。拳銃が散乱。喧嘩する前にすぐ人を撃つ。そんなわけないのに。海外から日本に来た人が、忍者や侍はまだ沢山いると思っていたとかいうのと同じレベル。お恥ずかしい限り。

 私の世代の男の子なら、聞いたことのある番組名だと思う。日本でも、テレビで観たのは私が中学生から高校生の頃なので、一九八〇年代の中ごろから終わりに向かっていた時期だろうと思う。昭和天皇がお亡くなりになられたころに、見ていた海外ドラマの一つではなかったか。

 映画版は、また別の俳優を起用していて、二〇〇六年にアメリカで公開。やっと映画版が来た!と待ち遠しい思いをずっとしていたのだ。

 

 海外ドラマといえば、もう一つ。『こちらブルームーン探偵社』という番組もありました。こちらは、シチュエーションコメディ系で、探偵物とはいえ、会話も軽妙だし、扱っているテーマもかなり違いがあり、比較してみると面白いかも。でも、設定場所はマイアミではなく、たしかロサンゼルスだったかなぁ。

 『マイアミ・バイス』主演のドン・ジョンソンと、『こちらブルームーン探偵社』主演のブルース・ウィルスは、どちらも、テレビドラマ俳優から映画俳優に進出していった八〇年代と九〇年代を代表するアメリカ白人男性の俳優というだけではなく、「歌が上手い」という共通点がある。どちらも、しっかりアルバムを出していて、かな~り売れたのでした。その後の活躍は日本でも多くの方が良くご存知でしょう。

 

 そんなわけで、マイアミに行ったのは『マイアミ・バイス』とは関係ないのだけれど、偶然にも、滞在先のすぐそばにその撮影場所があったということで、急に思い出したことだった。ブルース・ウィルスのドラマは、連想ゲーム的に思い出しただけ。

 その撮影場所とは、設定ではドン・ジョンソン演じるソニー・クロケットが住んでいる家だったという。マイアミに訪れたのはまさしく二十一世紀の直前だったので、十五年近く過ぎていたテレビドラマの撮影地といわれても、どんな家なのか、さっぱり思い出せなかった。

 とりあえず信じておこう。その方が楽しい。見てみると、あぁこれがソニーの住んでいた家かぁ。で終わってしまった。

 

 あらま、ピンクなの? 

 

 それもアリかな。マイアミの住宅は、かなりカラフルなのも十分許されます。スペインやギリシャや北欧もそうだけれど、マイアミもなかなか色使いが強烈。見ているだけで元気がもらえる。

 

 マイアミといえば、美しい白い砂浜のビーチ、喧噪のダウンタウン、一年中真夏の人生を謳歌するお金持ちそうな若者の笑顔。マイアミ周辺も似たようなもの。夏の休暇を楽しむなら、断然マイアミだろう。幸運にも『マイアミ・バイス』的要素は微塵も感じられない。あくまでも訪問者なので、そういったところに目が向かないのかも。鈍感なのかも。コロラドの方がずっと危険な場面は見た気がする(滞在期間が違うから?)。

 

 何といっても、白い砂のビーチを目指すなら、マイアミビーチから、バルハーバーどころではなく、ずっと北上して、フォート・ローダーデールの先まで、ずっととびきりの美しいビーチが拝める。延々と続くはっとするような輝く青い海、目が痛くなるほどの白い砂、常夏の雰囲気が抜群の椰子の木々。海は遠浅のせいか、白い砂の海の底が見える状態のまま、ずっと沖の方まで泳いでも、大丈夫なのではないかと、錯覚するほど。危険なほどどこまでも泳げる。あまりの美しさに、人生観が大きく反転してしまいそう。

 

 マイアミ滞在中も、何人かいる友人の家を訪ねてみた。人様の家を拝見するのは、とても楽しい。海外の人ってどんな生活をしているのかって、ちょっと垣間見れると、新しい発見があるのです。

 自分もこんな家がいいなぁ。

いや~、ここには住めないでしょ。

 そんな感じ。

 

 五件とも驚くほどの大きな家だった。どこまでも家の中。

 迷路なの?

 

庭もすごい。「常夏!」という雰囲気。アメリカなのに、なんとなく中南米っぽくて、スペインっぽくて、その融合具合がまた面白い。

 ふと思い出すのは、アーネスト・ヘミングウェイ。そうだった、キー・ウエストまで行きたい! でも、日数が足りない! なんたる誤算。計画ミス。仕方ないので、本屋でIslands in the Streamというヘミングウェイの本を買ってみた。アイランドという言葉がキー・ウエストのイメージに合ったのだった。帰国の途、飛行機の中で読んだはずなのに、内容は、さっぱり覚えていない。

 友人のうちの一人は高層ビルマンションの、何階だか思い出せないくらいの高さに住んでいた。記憶はきっと違うが二十五階だったような気もする。

 バルコニーからは、マイアミの遥か彼方まで見えそうな晴天だった。海も素晴らしく綺麗、空も突き抜けるような青空で、宇宙まで飛んでいけそう。すごい高さなのにバルコニーに出れることにも驚いたが、近所のマンションでは、同じくらいの高さでテーブルや椅子を出して、そこに座っている人までいる。まるで地球と太陽の間あたりの宇宙空間に浮かんでいて、コーヒーを飲みながら新聞を読んでいるかのような老夫婦。

 同じ建物の隣の部屋のバルコニーとはつながっておらず、独立している。犯罪防止なのか、距離もあり飛び移ったりするのはスパイダーマンくらいだろう。

 面白いのは、鳩やカモメの害が大変なので、黒い網のネットでバルコニー全体を覆っている部屋もあることだった。悩み事は日本と同じなのだなぁと思ったりもする。日本ではみどり色のネットが多いけれど。

 在住の友人はHIVに感染して何年も経っていたらしい。交通事故の血だらけの老人を助けてあげたら、その老人がHIV感染者だったそうである。ある人は自分の生命を冒すかもしれなくても、他人を救ったりする。意識的であれ、無意識的であれ。英雄的行為に感嘆しかない。

 友人は様々なカクテル療法をして、エイズは発症しておらず、健康を保っているらしかった。

 現在では、もうウイルスが検知できないくらいまで抑えられる薬もあり、通常の生活ができる時代。もうHIVはコントロール可能なウイルスということで、先進国ではエイズ発症者はどんどん減ってきている。しかし、当時はまだいつどうなるか分からず、私も何とも声のかけようがなかった。偏見や差別にも耐えなくてはならない。理解してくれる人ばかりではない。たとえ友人とはいえ、私にも打ち明けることについて、きっと迷ったことだろう。


 信頼されるとは、悲しくもあり、嬉しくもある。若い頃なら拒否反応を見せていたかも。


 感染者には何人も会っているし、話もしているのに、慣れることはないし、この雑味はちっとも薄くならない。

 本人はいたって明るく、見た目も健康そうなお医者さんだった。どんな死に方をするかより、それまでどんな生き方をするかの方が大切なのだそうだ。

 そんな内容の小説や映画も沢山あるが、やはり言うは易し。

 あと何人の命を彼は救うのだろう。

 

 

マイアミといえば、どの家にも、裏庭にはプールがありそうなのに、実はそうでもなかった。地下は、サンゴ礁が、うじゃっと埋まっている地域が多いらしく、地下室を建設するのはかなり大変なのだそうだ。とはいえ、プールのある家を訪れたときは、それはもう驚きの数々。

 

 まずプールの大きさが半端ない。

 パーティーの最中だったので、水着姿の若者の多さが異常。

 もちろんアルコール類や、スナックは、とにかく大きいダイニングテーブルにずらっと並んでいる。勝手に飲み食いオーケー。

 なぜかジムのトレーニングマシンみたいなものが、完備。

 プールサイドで、みんなそれぞれ楽しくお喋りしたり、読書したり、プールではしゃいだり、バカでかい音楽に合わせて踊ったり。

 もちろんドラッグ類も目に飛び込んできてしまった。

 確実にその家には銃もあっただろう。

 

 これはまずい。ついにバイス(Vice)なマイアミの姿が私の前に現れた。

 

 とても、場違いな雰囲気なので、ずっとはいられない。これがマイアミでは当たり前なことと感じ始める前に、一杯もらって、さっさと退散した。

 

 マイアミでの旅行は二〇〇〇年の二月から三月の十日間ほどと、同年の八月下旬から九月の三週間近く。しめて合計で一か月くらいだと、旅のメモをみて気づいた。記憶しているより、長く滞在していたんだなぁ。何を一体していたんだろうか。

 

 よく見ると、食事に使っている金額が、一九九〇年代中ばに貧乏学生だった頃のものとは、大きい違いがある。

 

ランチ 20ドル
ランチ 16ドル
vizaya(たぶんランチ 10ドルちょっと)
Road House(たぶん夕食) 69ドル(四人で)

village café 約20ドル
Houson's(たぶん夕食)約40ドル

 

 明らかにニューヨークにいたころの十倍近くの金額で食べている。

遂に私も、世紀末に入り、普通の人の外食ができるようになっていたのだ。

 

 感無量。

 

 特に記憶にあるのは、鳥の唐揚げにセロリ数本というセット。チキンウイングとかバッファローウイングとか呼ばれていたと思う。

始めてみたときは、食事の一部だよね、くらいな印象だった。しかし、大きなお皿に唐揚げ十個以上もある大盛り。それに、付け加える程度の長めのセロリが数本と、ブルーチーズソースみたいな(日本だとマヨネーズを使うのかな)ソースが横付けされている。検索して、記憶にあるようなセットの画像がわんさか出てきて、記憶違いでなかったと安堵する。少なくともおなじようなセットを三回か四回は食べている。ただひたすら鶏肉とセロリ。今、食べるとしたら、きっと健康面で心配になってしまうだろう。

 

 別の場所ではキーライムパイというものも食べていた。これは、感激のおいしさ。ライムの爽やかな風味がこの上なく、夏のフロリダにぴったりだ。これも何度も食べていたらしい。

 日本ではキーライムパイはなかなか見かけないが、東京都内ではときどき、それも本当に忘れたころのときどき見かける時がある。絶対に食べる。その次にいつお目見えできるか、分からないからだ。お薦めである。

 

 マイアミで食べたもう一つの発見は、キューバ料理。

 旅日記にもいくつも記述してある。レストランの名前は「リトル・ハバナ」や「ジミーズ」とか書いてある。ネット検索してみたら、マイアミのダウンタウンのすぐ西側にリトル・ハバナという地域があるようだ。ひょっとするとレストランの名前ではなく、地域名なのかも。

 基本的には感銘を受けたのは、肉と豆料理らしい。これも何度も食べている。特に香辛料が気に入ったようだ。それまで、ほとんど口にしたことの無かった味付けだった。いまでこそ、当たり前のように感じる、スパイスだが、当時はこんなスパイスもあるのか、と感動したのだ。辛子というより、胡椒系が強いといえると思う。

 

 何とも感激の味なのだ。

 何度も何度も、肉料理も、豆料理も食べたと思う。

 

 聞いたことはあるが、食べたことのなかった、焼きバナナもあった。日本でもバナナの天ぷらとかあるらしいけれど、実際に火を通したバナナを食したことがなかったので、もちろん挑戦。

 バナナをおそらくフライパンで焼いているか、油でフライにしていたのだと思う。熱が加わるとバナナは柔らかくなり、甘さが半端ない。

 それにバニラアイスクリームやらを添えるのだ。シナモンパウダーをかけてもいいかも。

 料理方法はいたって簡単なので、時々私も作ってみる。マイアミでの味を思い出したいのだ。空しいかな、ちっとも同じではない。これが旅をやめられない理由の一つだと確認する程度。もう一度行かなくちゃ。

 

 現地ではキューバ人の知り合いもできた。一度じっくりと話を聞いたら、なんと伯父さんかお父さんかは、キューバから逃れるために泳いでマイアミまで来て亡命したそうである。

 恐ろしい話であった。スパイスが効きすぎの映画どころではない。泳ぎ着いても入国させてもらえるかも分からないのに、全てを捨てて泳いで国境を渡るほど、キューバでの政治や宗教がらみの迫害や紛争は、他人事のように新聞記事で読んだ私には、強烈すぎて共感してあげられるレベルをはるかに飛び越えていた。。マイアミに行くまで、現実の世界の出来事から、切り離して考えていたのだろう。話を聞けば聞くほど、恐ろしく。自分で調べれば調べるほど、悲しくなっていく。

 暴力を使ってでも現状を変えなくてはならない人々が、どこの世界にもいるという現実は、マイアミの楽しい休暇とは抱き合わせで、やって来たのだ。人類のバイスはいろんな顔をもってやってくる。だからマイアミのパーティーは底抜けに楽しまなくてはいけないのか、と納得してしまう。

 

 人生を楽しむことに罪の意識を感じてはならない。

 自分の人生を謳歌できないなら、他人の役に立つ力量が長続きしないから。すぐに力尽きてしまうのは、誰のためにもならない。

 

 つい最近になってアメリカとキューバの関係がだいぶ良くなり、国交するようになったことは良いニュースだと思う。それまではキューバに行ってみたい場合は、アメリカから一度カナダなどに移動してからでないと、飛行機が飛んでいないほどだった。

 浅知恵ではあるけれど、キューバ料理をもっとアメリカでも、世界のどこでも紹介してみたらどうだろうか。独特の味にみんなが虜になれば、政情にも影響を与えられないだろうか。人類の幸せはまず胃袋を満たすところから。キューバ料理のスパイスは、とびきりの美味さなのだ。バイスと対等に戦えるスパイス。 

 

 帰国は、サンフランシスコに立ち寄っている。

 マイアミから成田には直行便が無かったし、今でもおそらくないだろう。乗り換えですぐ東京までいくのは、少し時間が長すぎるし、エコノミークラスにしては、飛行時間が辛すぎる。サンフランシスコでゆっくり二泊したようだ。やっぱりお気に入りのお昼にはクラムチャウダーを、夕飯にはLori'sで食事している。何を夕食にしたのかは、メモしてないが、日本に戻る前だから、きっとアメリカでも典型的なものを、食べたにちがいない。新聞を広げて、どんなことが世界で起きているかもチェック。株価もチェック。今の私でもそうするだろう。帰国前の最後の晩餐だったのだから、美味しいものを食べずして、サンフランシスコは終われない。スマホでニュースを読むなんて味気ない。ちっともスパイスを感じない事実の羅列では、旅のだいご味は味わえない。

 

 日本に帰国してほどなくしてから、アメリカでは次期大統領選で、あのブッシュ氏(息子の方)が勝ち、アル・ゴア氏は敗北となった。何とも驚きだった。まさか当時の現職副大統領のゴアが負けるとは。まさか、ブッシュが勝つとは。

 何を期待したらいいのかよく分からないという印象しかなかった。

 カルフォリニアの元知事が言っていたと思う。

反対している相手でも、大統領になるなら、まずは応援してみたい。国民が良い大統領を作るのだ。最初から反対することは誰でもできる。

 

ゴア氏は選挙活動中は、とにかくクリントンには後ろに引いていてほしかったらしい。応援演説などをしたがるクリントンには遠慮してもらってほしかったらしいという記事も読んだことがあった。一度、クリントンは自分で良ければ、もう一期やるぞ、のようなことを発言したらしい。

 

 その後、ゴア氏はまた環境問題に関わる活動に精を出し、映画まで製作してしまった。ノーベル平和賞まで取ってしまった。負けても立ち直る精神は見習いたいところでもある。

 ゆっくりとクラムチャウダーでも愉しんで、自分の達成に自負心を感じていることだろう。