学生の時にアメリカ文学の授業で読んだ『エンジェルス・イン・アメリカ』という長ーいお芝居。実際に劇場で観たら、8時間位あったと記憶している。なかなか辛い内容なので、気絶しそうになりました。

 なぜ覚えているかというと、あるシーンで、ベセスダの泉を浴びればすべての病が治るとかいってたから。

 

 そりゃ、もう行くしかないよね。泉を浴びれば、私の顔も、次の日にはトム・クルーズになっているはず。

 

 とーっても寒い日。行ってまいりました。ニューヨーク・マンハッタンのセントラルパークへ向かっている途中、道路に突き出ている、消防用と思われる給水機が破裂かなにかして、勢いよく思いっきり飛び出た大量の水が、ガチガチに凍ってました。つい写真撮りたくなってしまうもの。

マンハッタンの道路にある消火栓(撮影は夏)

 

マンハッタンの道路にある消火栓(撮影は3月)

 

 

 

 

 そこで気づくべき。

 セントラル・パークのベセスダの泉まで行きガッカリ。あるはずの泉の水がない。

 

(セントラルパーク内にあるベセスダの噴水。撮影は、199年の夏)

 

ニューヨークの三月は、東京の人からしてみたら、まだまだ真冬の寒さ。外の噴水に期待しちゃいけないのだと、考えが至らず、思慮浅し。

 あれから既に20年以上経ち、未だにトム・クルーズ顔にはなれていません。

 

 ありがちと言われるかもしれないが、映画の撮影に使われたレストランやカフェを訪れるのは、やっぱり楽しい。

 ニューヨークもその例外から外れない。むしろ、面積が狭いマンハッタンで数多くの映画やテレビドラマは、頻繁に撮影されているので、見つけやすさも嬉しい要素。

どの映画を見るかにもよりますけどね。子供の頃にテレビで観た、元祖『猿の惑星』のエンディングに見る自由の女神の頭部は衝撃的だし。実際に、行って頭部まで登ってマンハッタンを眺めると、その光景に「うへ~」と溜息が出たりする。頭部内にはカフェがないのが残念。

 『ティファニーで朝食を』も知名度高い映画だと思う。確かティファニーの前でコーヒーとクロワッサンかなにかを、オードリー・ヘプバーンが食べているんです。元々レストランもカフェもないのに、この映画の絶大な影響力のため、勘違い観光客(私とか)が、食べるところがないと知って残念がったりする。そんなことが多すぎて、ついにサロンを開店してしまったというくらい。ティファニーを動かすって、映画の力にバンザイ、そして脱帽。

 

 世紀末がいよいよ迫ってきたと感じ始めてた一九九八年。私がほとんど手を出さないロマンチック・コメディの類の映画とテレビドラマがあった。

 『ユー・ガット・メール』と『セックス・アンド・ザ・シティ』。マンハッタンのシーンがなかなか秀逸、それに憧れた一部観光客はこぞって撮影場所に行っていた。いまならインスタ狙いのスマホユーザーで大変な混雑になるんじゃなかろうか。

 映画だけでなく、お芝居やミュージカルのような舞台ものも、ニューヨークを題材にしているものが数多くある。

 試しに検索してみたら、なんと一九二〇年代から現代にいたるまで、あるわあるわ。あれも、ニューヨークが舞台だったっけ?と言いたくなるようなものまで。

 コメディーものは見ていて楽しいし、観劇後ニューヨークがずっと好きになる。作品の中で出てくるニューヨークの街を探したくなるのだ。

 ところがこの『エンジェルス・イン・アメリカ』はコメディーではないので要注意。あまりにも深く苦痛を伴う内容で、メンタルやられてトラウマになりそう。そこで知った

ベセスダの泉を目指したのだが……。

 新約聖書のヨハネによる福音書で、「ベテスダの池」でイエスが病人を癒やしたと記述があるんです。もちろん本当のベテスダの池は、エルサレムにあるそうで、ニューヨークのものはオリジナルではないですよね。それでも病気が治るなんて言われたら信じたくなってしまうもの。信じるものは救われる、はず。

 

 『恋人たちの予感』という1989年の映画で使われた、デリレストランのKatzや、カフェ・ルクセンブルクは、90年代にはかなり有名になり、日本からも観光客がこぞって訪れたそう。

 実際、なかなかオシャレでありつつ、かつ誰でも入れそうなお高くないカフェなので、ブラリ入ってみるのもいいものです。

 その他、多くのレストランや喫茶店があるので、登場人物と同じものを注文してみると、良い記念にもなりそう。

 私は一度、とある喫茶店でベーグルを頼んだら、店の人に「あぁまたか」みたいに言われたこともあります。

 いいじゃないの、気に入っているんだから。

 

 映画とは関係ないけれど、マンハッタンにはマレーズ・ベーグルというでデリがあった。いまでもあるかな。

 早起きの私は、よく開店と同時に行って(確か六時)、できたてベーグルとコーヒーを注文し、六番街に面した窓際に独り座る。

 クロワッサンもいいけれど、ニューヨークなんだし、やっぱりベーグルがいいな、と。

 

 新聞読んだりしながら、街が目覚めていく様子を見るのが、気分良かった。外も明るくなり、人混みも増えてくる。うっすら立ち込める霧が晴れてきて、太陽の陽が道路反対側の建物を眩しく照らす。

 

 さぁ、ニューヨークが目覚める。

 

 新聞のコラムを読みながら、こんなコラムをここで自分も書いたら、買ってくれる新聞社はないものかと、漠然と考える。

 ジョン・アシュベリーのようなシュールな詩を書いたりして、自立できたらどうだろうなぁと、夢想したりもする。

 まだ叶わないけれど。

 だからニューヨークのデリでのベーグルとコーヒーは格別。

 

 自分だけの物語のワンシーン。

 

 もう少し頑張れば、格好良くクロワッサンを食べられるようになるかも。

 いいじゃないのさ、気に入っているんだから。