アメリカ合衆国って大きな国よ。広すぎて食文化の比較が面白い。でも、食べること以外も少し書いておかないと・・・。なので良いところ取りで、本章も進めてみよう。

 まだ私が22歳だった時(確か22歳だったと思う)、1994年の夏、知人と一緒にレンタカーでアメリカ南部の一部を見て回った。

 とにかく広いのだ。

 ロンドンからニューヨークで飛行機を乗り換えて、まずアトランタへ。そこで友人と合流...したと思う、たぶん。

 再びニューヨークには滞在しなかった。アメリカ行って、ニューヨークにわざわざ行くのに、滞在しないで別の都市へすぐ移動するのはなぜか。

 私のニューヨークデビューはもう少し先のお話。

 アメリカといえば、ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴ、サンフランシスコなどなど、日本人が行きそうな所は、直行便で行ける都市が多いだろう。統計も見ておらず、ただの想像だけれど。

 たまにボストンや、マイアミなど行く人もいるかもしれない。

 とはいえアメリカ南部はきっと面白いに違いない。そう思ったのである。『フォレスト・ガンプ』という映画を観た次の年だったというものあって、当時の私の南部のイメージは完全にフォレストガンプワールドだった。

 アトランタのあるジョージア州からフロリダ州へ。そして西に向かって、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州のニューオーリンズまで車で移動したことは覚えている。かなり鮮明に。

 しかし、である。ニューオリンズの後からどうしたのか全く記憶がない。帰国した? いや、きっとどこかに行っているはず。帰国したとしても、ロサンゼルスかサンフランシスコに1泊くらいしたか、乗り換えているはず。全く記憶にないのは、なぜ? 旅日記をちゃんとつけておけばよかった。

 ユタ州のソルトレイクシティーにも立ち寄ったかも?

 珍道中というほどのハプニングは無かったが、見る物、食べる物、面白いことばかりだった。相変わらずだけれど、毎日食事の量が多くて、満腹で動けなくなる状態で、夜はホテルのベッドに入ることしばしば。さんざん食べても太らないのは、若さの特権だなぁ。

 アトランタは、日本人にとっても比較的知名度もある都市だと思う。空港から中心街へはさほど遠くない。高層ビルもいくつかはあるが、遠方から中心部へ近づくと、その高層ビルの大きさと存在感に、いよいよ来たぞ!と思わせてくれる。

 当時はコカ・コーラ本社があったはず。今もあるかも。コーラの長い噴水で、直接飲んだような記憶も何となくある。それとも眺めただけか。

 90年代には人気のあったグループB52’sやR.E.Mはアトランタのジョージア大学出身じゃなかっただろうか。そんな記憶があって、ジョージア大学にお邪魔するのも心浮足だったものだ。

 ジョージア・ドームというスタジアムも当時はあり、オリンピックやスーパーボールのような大きな大会や、フットボールやらバスケットボールやらの試合で、数々の名シーンがここで繰り広げられたらしい。

 アメリカの人種問題に関していうなら、歴史的にも重要な都市だといえる。何しろあのキング牧師たちが公民権運動を始めたところらしいのだから。

 人種問題ということで、私はよく『トム・ソーヤの冒険』も思い起こしてしまう。舞台は、ミシシッピ川が絡むとはいえ、ミシシッピ州ではなく、ミズーリ州らしいのだけれど・・・。そのへんの細かいところは脇に置いてしまおう。時々、かなりの度合いで大雑把にものを考える癖が、私にはあるらしい。

 人種問題もさることながら、きっとそこには宗教問題も絡んでくるだろう。そして、大雑把にものを考える私の脳みそは、「アメージング・グレース」という曲に想いが及ぶ。美しいメロディーはアイルランド民謡だそうだが、アメリカで歌われる歌詞の背景は、黒人奴隷問題があり、知れば知るほど悲しくなる歌である。数々の失敗を繰り返さないと成長しない人類とは、なんと不完全な生き物であることか。

 人種問題だけでなく、テロ騒ぎも残念ながらあった。私が訪れた数年後には大きな爆破事件があり、心痛めたし、その後も銃撃事件は頻繁にある都市だ。それだけ多くの問題を抱えていても、かなり魅力のある町である。

 1994年は確か第52代クリントン大統領政権だったはず。クリントンはハンサムだから好きだ、と当時言っていたアメリカ人女性が知り合いで、一国のトップをニ枚目だから好きだと言える国民は幸せだなぁと、漠然と羨ましくなった記憶がある。

 それ以来、私はクリントン大統領を信用してみようと思っていた。とあるトンデモ破廉恥事件が明るみに出るまでは。何の根拠もないけれど、人種の壁をあの大統領は低くしてくれるんじゃないかと感じていたのだが、アメリカのモラルを思いっきり下げてしまうとは、私の読みもかなりいい加減である。

 フロリダでは小さな町で、ナマズを食べた。偶然であるけれど、とあるレストランでシーフートプラター(seafood platter)というものを注文したときだった。けっこう値の張る注文をしてしまった。何だか分からなかったけれど、海沿いにある町だったし、たまには海鮮料理を食べたかったのだと思う。プラターというのは盛り合わせみたいな意味合いかと思う。

 出されたものを見て仰天した。シーフードの天ぷらの山盛りだった。揚げ物だけ・・・。シュリンプやら何やらがあったけれど、その中にナマズも混ざっていたのだ。学校給食のお盆みたいなサイズの白いお皿に。全部食べたら死ぬかも...。今生きてるということは、おそらく全部は食べなかったのだろう。

 ナマズって淡水で生息するんじゃなかったっけ?

 そんなことはお構いなし。魚みたいだから、一緒にしてしまえってことなのだろうと思う。

 ナマズは英語でCatfish ということをその時初めて知った。

 「猫魚」。

猫なの? 

魚なの? 

ナマズってまさか猫科?

 ビネガーかレモン汁かをかけて、ひたすら海鮮天ぷらを食べる。それ以外、何もなし。恐るべしアメリカ人。大きな体になるわけよ。

 ナマズは白身であっさりして引き締まった食感だったと思う。鯉のように泥臭さは無かったのではないか。抵抗感はまったくない。

 その時は、もう一つ面白いものがあった。海の桟橋で釣りをしている人が並んでいるようなところ。海に網袋を落としていて、その中に生のピーナツを入れていたのだ。海水でどのくらいの期間漬けておくのだろうか、その場でおじさんに説明を受けたような気がするが、細かい部分は覚えていない。

 そう思ってネット検索をしてみたら、なんと海水で茹でたものという説明にいくつか出くわした。てっきり、海の中にピーナツを潜らせて、ふやかされたところを食べるのかと思っていたが、ちゃんと火も通すらしい。勘違いだったのかもしれない。いずれもう一度訪れたら確認してみたいと思う。

  アラバマ州モービル(英語ではモビールみたいな発音)も立ち寄った。ここはフォレスト・ガンプが育ったか、生活した街だったはずだ。

 この映画には、良いセリフが多くあって、名言集みたいな本まで出版されていた。

 良い表現を沢山知っているというのは幸せなことだと思う。表現から人間の思考や感情は、それなりに影響を受けると思うのだ。

 ニューオリンズでは二つ面白いものを口にした。

 日本でも以前は展開していたカフェ・デュ・モンドという喫茶店の、ベニエというドーナツのような菓子。これをチコリコーヒーと一緒に午後のおやつにするのが観光客の間では通らしい。

 そりゃぁ、試すでしょ。

 ニューオリンズにある店が本店なのだろうか、大きな店舗に沢山の人がいた。

 ベニエはドーナツのようだといっても、丸くて真ん中に穴が空いてるわけではない。四角くて、油で揚げているから、ふんわりとしているのだ。それに粉末のようなのキメ細かい砂糖をまぶして食べる。疲れた時には、格別に美味しい、おやつだなぁと思う。(おかげで、日本に帰国してからも、しょっちゅう食べていた。閉店してしまって、とても残念。)

 昼間は、ベニエを食べたり、ミシシッピ川を眺めたり、ストリートカーを見たりしていた。

 アメリカでも著名な劇作家のテネシー・ウィリアムズ(1911 – 1983)の劇作品である『欲望という名の電車』は、原題はA Streetcare Named Desireといって、ストリートカーは路面電車のようなもの(?)らしい。ブロードウェイでも人気を博し、ピューリッツァー賞も、映画ではアカデミー賞も受賞しているので、名前くらいは聞いたことがある人も多いだろう。日本でも何度も、舞台演劇として再演されている。ミッチという男性の奥さんがステラという名前で、ミッチが大きな声で「ステラーッ!」と叫ぶシーンは超が付く名シーンである。

 その欲望という名前が付けられた路面電車は、もう廃止されていたらしいが、模造品というか、もう動かない路面電車が、観光客用に置いてあった。実物というわけでもないが、一番実物に近いものということで、それなりに感慨深いものがあったのを覚えている。写真も撮ったのだろうと思う。きっと家のどこかに隠れているのだろう。

 写真とは面白いものだ。一生懸命撮るのにどこに置いてあるか忘れるなんて。今ならスマホかクラウドのどこかに保存するんだろうな。

 きっと撮影したという事実を覚えていることが大切なのだろう。

 ニューオリンズでもう一つ有名なことといえば、夜のフレンチクォーター街ではなかろうか。ジャズを奏でるバーやレストランなどが多くある通りは、夜になるとお祭り騒ぎのようになる。バーボン(もしくはブルボン?)ストリートは、のけぞるほど驚きのお祭り大さわぎの通りであった。だって、通りを歩いていると、警官と売春婦が仲良くお喋りなどしているところなども見かける、不思議な夜の街だったから。

 ニューオーリンズに滞在するなら、少なくともジャズを堪能しなくては!

 ということで、いくつかジャズバーを梯子してみた。そのうちの一箇所ではミント・ジュ―ロップというカクテルを試してみた。ミントがカクテルに入れられているのだが、日本のようにおしゃれに、ミントの葉を1枚か2枚入れてる程度ではない。大きなグラスに並々と注がれたカクテルには、何枚ものミントが無造作に半分絞られたような状態でふんだんに入っていた。

 豪快。

 今どきならスマホで撮影して、速インスタグラムとかのSNSにアップするような代物である。

 「苦い」そんな記憶しかない。大人の味。そして大人の空間。大人のジャズ。

 

 アメリカ南部には独特の文化がある。映画で観るようなハリウッド映画や、ファッショナブルなニューヨークを舞台にした映画とはかなり違う。なんとなく、大人の闇を知っている人にしか理解できないような、妖しい魅力がある。偏見だろうけれど、そんな印象がある。

 

 アメリカ南部にはその後も数回行っているが、南部料理は絶対に欠かせない。例えば、ニューヨークに行っても、グレービーソースのかけられたアメリカンビスケットを食べようと思ったら探さなくてはならないくらいだ。キーライムパイだって、アメリカでは良く見かけるけれど南部にいれば、さほど捜し歩かなくてもすぐ見つかる。

 

 さて、日本ではどうだろう。

 現在住んでいる東京都内には、私の知る限りいくつかはアメリカ南部料理を出してくれる店がある。その内の数件は「本場の味だ!」と言ってもいいくらいだと思う。そんな味を知っているというだけで、私はちょっとだけ誇らしいのだ。自分の手柄ではないけれど、ちょっと自慢したくなる料理。

 

 現在、2022年。8月ごろに偶然入った東京都内のレストランでキーライムパイを見つけた。

 なんと、こんな自宅の近くでキーライムパイを楽しめるレストランがあるなんて! 

 さすが東京。

 声を上げて喜んでしまった。感無量。

 さっそく食事の後に注文してみたら、アメリカで出されるようなパイの大きさの4分の1くらいの大きさで、あまりの細さに、目が点になりそうだった。けれど、日本ではそのくらいがちょうど良い大きさなのだろうと思う。ちょっとだけ、本当に美味しいものを食べられれば、それで満足。

 そうそう、こういう酸っぱさと甘みの混ざった味だったなぁ。

 爽やかな香りだったなぁ。

 大人の酸味がするパイ。アメリカ南部は、私自身がもう少し円熟味が身に付いたら本当に楽しめるところなのかもしれない。