イギリスといえば不味い。かなり譲歩しても美味しいといえそうなのは、フィッシュ&チップスくらいなもの。というような意見は良く聞かれるが、実はそれはもうすでに今は昔のお話。

 現代はモダンブリティッシュというのがあって、21世紀にもなるとイギリス料理は美味しいと評判。ヨーロッパ大陸からは日帰りで美味しいものを食べるためだけに渡英して、すぐ帰国する人までいる… らしい。

 

 そんな、記事を今までにもう何度も見かけてきた。

 で、本当のところはどうなの?

 何を美味しいと感じるか、不味いと判断するかは、かなり個人の好みにもよるところだろうけれど、イギリスは不味いというのは、かなり世界中に流布してしまった残念な見方ではなかろうか。

 個人的に私は、イギリスでは美味しいものにも、決して美味しいとは言えなかったものにも出くわしている。それでも、総体的には不味いとは思っていない。

 日本に帰国してきて不味いという人達に少し質問してみたこともある。どこで何を食べたのか。

 「留学中の大学のホステル(寮みたいなもの)の食堂。」

 「近所のファストフード。」

 「通りでよく見かけたフィッシュ&チップス。」

そんないい加減な回答である。大学寮の食堂の食事を、美味だなんて期待する? 美味しければラッキーというくらいでしょう。

 もう少し聞いてみる。レストランで幾らくらいかかった?

 「日本円で700円くらいとか・・・。」

そんな安いところで食べて、高級レストラン風な味を期待する? 日本では安くても美味しいところもあるかもしれないけれど、日本にも驚くほど不味いところはあるよね?

 

 かといって、イギリスは絶対不味くないともいえないので、どの国にいても、美味しい食事にありつける時もあれば、失望させられることもあるってことくらいで止めておきましょうよ。母国にいたら、おそらく直感が働くから、どのくらいの味を期待できるかが、食べる前から何となく分かるだろうし、そもそも母国での慣れた味を、海外でも同じように食せると思ってはいけないってことだろう。その国の料理に対する舌ってものがあるんだし。

 現地では、空気や水も違う。旅行疲れもある。先入観もまず間違いなくある。なので、出たところ勝負で美味しいものに出会えれば良い方だ。

 でなければ、徹底的にレビューや評判をチェックして、かなり高額なレストランなどにいくしかあるまい。それでも不味かったら、よほど不運な出会いなのでしょう。ご愁傷さま。

 幸運かな、私はどこで何をたべても美味しいものを見つけるレーダーが備わっているらしい。あるいは、何を食べても本当の美味しさが分かっていない程度の人間なのかも。

 

 さかのぼること数十年も前の1994年の夏はイギリスに行ってみた。ちょいと理由がありニューヨーク経由でありながら、ニューヨークには滞在しないで、直ぐロンドンへ飛ぶという、今考えたらあまりしたくない旅程だったが、またそれは別の機会のお話。

 あまりの疲労でニューヨークからロンドンへの飛行では、途中で吐き気を覚え、トイレに数回は駆け込んだことを覚えている。非常口席であったのが幸いした。トイレに近かったから。窓から外を眺めていて、オーロラとか見えないものか、見れれば気も晴れるだろうにと感じたことを朧気ながら覚えている。もちろんオーロラは見えなかった。今までは最悪の飛行だった。あの時よりもひどい飛行には絶対に出くわしたくない。

 よろしくない経験はここまで。ロンドン到着から帰国まで、まったくといっていいほど嫌な経験はしなかった。ちょっとばかり恥ずかしい思いはしたけれど。何とも幸運なことよ。

 

 さて、ロンドンでは何をしたのか。次ぐ年の1995年の夏にも英国へ行っているので、記憶が正確ではない。しかし、いくつかはしっかりと記憶していることがある。

 

 大英図書館とバッキンガム宮殿とレスタースクエアの3つ。

 

 当時、大英図書館は、大英博物館のすぐそばにあったはずである。博物館はもちろん旅行者なら行くところだろうが、図書館はなかなか行く人も少ないのではないか。「海外旅行で図書館? まさか行かないでしょ」みたいな反応だろうってことも理解はできる。私はたまたま本が好きなことと、大学院での研究の延長みたいなところもあったから、行ってみたのだった。

 それはもう素晴らしい図書館。溜息。もうここに住んでしまいたいと感じたほど。

 大英図書館は、完全にお引越しを終えたのが1998年らしいから、それ以前の図書館の年間パスを使って入館し、しかも貴重本室にも入室できたのは、それ自体が貴重な経験なのだ。

 大英博物館の玄関ゲートの真向かいには、英国らしいパブがあった。おそらく今もあるだろう。英国にいったらまず経験すべきはパブでビールを飲む。もちろんフィッシュ&チップス、ローストビーフ、イングリッシュブレックファースト、なんとかパイとチップスなどなど、こってり系のイギリス伝統食を試すべき。だからもちろん食べました。何度も何度もフィッシュ&チップス。このパブだけでなく、いろんなところで。確かに美味しい。

 でも気づいてしまいました。白身魚の天ぷらとフレンチフライじゃん。それだけ。揚げたてのフライにたっぷり塩かけて食べれば、そりゃ美味しいわな。サイズも日本の天ぷらよりもずっと大きい。でも大きいというだけ。揚げたて白身魚はホクホクと熱く、美味しくいただけるのは世界共通なのである。

 よく調べてみたら、伝統料理というだけあって、古くてシンプルな料理法だし、揚げ物なので実は英国人は不健康なものということであまり食べないらしい。

 そうなのか・・・旅行者向けってことか。日本でも毎日みんなが寿司を食べてるわけじゃないし、よくよく考えてみたらその通りかも。知り合いのイギリス人は、絶対にフィッシュ&チップスは食べないと何度も言っている。日本でも、絶対に納豆は食べないという人がいるのと、同じなのだろう。なんと、もったいないことよ。

 

 何度かバッキンガム宮殿の周辺も歩いてみたこともある。ロンドンに行ったらバッキンガム宮殿も行くべき名所の一つでしょ?

 ある日、バッキンガム宮殿の前を走るThe Mallという大通りでパレードのように人込みがいた。夕方だったはず。歌を歌ったり、大声出したり。ある男性が近づいてきて紙切れを渡してくれたので素直に受け取ると歌詞が印字してあった。まわりの人たちはその歌を合唱していたのだ。

 なんだか分からないけど一体感が圧巻! ワクワクする!

 せっかくその場にいるのだからと、周りの人たちに合わせて私も歌いながら行進に参加した。8月15日だった。VJ dayとかなんとか。その時は気にしなかったけれど、楽しかったからいいのだ。

 

 もう一箇所のレスタースクエアは、地下鉄のレスタースクエア駅とピカデリーサーカスの間あたりにある公園みたいな場所。繁華街の一つで、周辺には多くの輝かしい店が並んでいる。近辺は劇場も多く、ナショナルギャラリーなどの美術館がいくつも点在している。

 なぜこの場所が気にいったのか。レスタースクエアから北上するチャリングクロスロードという通りがあり、パレスシアターという由緒ある大劇場あたりまで、古書店がずらりと並んでいたのである。東京でいうところの神保町といったところか。

 悲しいかな、本離れは日本だけでなく、イギリスでも古書店はあれよあれよと数を減らしている。古書店では、19世紀終わりから20世紀初めのころに出版されていた初版本などを探していた。購入するほど持参金もないし、店内で恨めしそうに見ているだけだった。実物を自分の目で拝めることができて満足せざる終えなかった。

 古書屋の匂いは、格別のものがある。美しい装飾の本を眺めて毎日過ごせたらなんてすばらしいことだろう。

 古書店が好きとはいえ、何時間もぶらぶらしていれば、空腹になるもの。

 レスタースクエアにいてうれしいことの一つは、安くておいしいピザ屋がいくつかあったこと。大きな長方形のピザを、小さい長方形に切り分けられたピザ一切れが、当時は1ポンド。ペットボトルのミネラルウォーター1本とピザ一切れでお昼をごまかす。

 おそらく健康的とはいえない食事なのは分かっているけれど、とにかく美味しいった。どれを食べても大満足。ほどよいふかふかのピザ生地に、たっぷりのチーズ。サラミハムやマッシュルームなど普通のピザばかりだけれど、経済的にカツカツな若者にとっては、ありがたいファストフードスタンドだった。道路に面したディスプレイにずらりと並べられた出来立てピザを指でさし、その場で支払って受け取れば、あとは公園で座って食べることができる。

 お金もない。知り合いもほとんどいない。でも毎日がとても充実。英語を学ぶ者なら一度は行っておきたいロンドン。自由に動けて、好きなことだけして、毎日が過ごせる夏休み。

 こんなお気楽で幸せなことってありますか?

 

 イギリスの大都会で、独り。将来のことはまったく心配なかった。その日さえ充実していれば大満足。フィッシュ&チップスも、ピザも、大した料理ではないのかも。それでも、ところ変われば特別なもの。

 輝かしい快晴がつづく8月のロンドンだった。傘なんて必要なかった。思い出は美化されている? どうだろうか。何度渡英しても、美化されていないと確認できる。だって、毎回、楽しくて美味しい!

 

 さて、日本に帰国し、しばらくして、恥ずかしくなるような後日談がある。

 バッキンガム宮殿の前で歌った歌。VJ Dayを祝った行進。VJとは何ぞや、と軽く調べてみた時のこと。なんと、Victory over Japan Dayといって1945年8月15日に日本が降伏を昭和天皇が玉音放送で公表した日、つまり対日戦勝記念日を祝う日だというのだ。だって、アメリカでは対日戦勝記念日って9月2日じゃないの? 日本でも降伏文書に調停したのは9月2日ってことになってるよね?

 日本人でありながら、ロンドンにて、日本に勝利したことを祝う式典に、私は図らずも参加して、歌を歌い行進まで参加していたのだった。

 私は非国民か・・・。でも、日本の誰にもばれてないし、戦争終結も何十年も前のことだし。誰にも言わないでおいて、記憶のどこかへしまってしまおうと、封印したのであった。

 戦争はもちろん反対。何某かの理由があって、政治家は戦争せざる終えない状況に追い込まれるということも歴史をみれば仕方ないのかもしれない。人類の負の特性。でも、やはり今思い出しても少し恥ずかしい。たらふくローストビーフでも食べて忘れてしまおう!

 当時一緒にロンドンを散策したお世話になった先生はそのことに気づいていたそうである。なぜその場で教えてくれなかったのか。20歳以上も年上の方なので、何事も経験と思って見守ってくれていたのか。

 まったくもってお恥ずかしい限りである。今となっては貴重な体験。

 帰国してからもずっと、フィッシュ&チップスもピザも大好き。中には、あんな油で揚げただけの不健康なものを食べるのはイギリスでも低層の人たちだけだよ、のように卑下する人にも出会ったことはある。たっぷりチーズの乗せられたピザも、確かに健康的とは言えないかも。それでも古書店の香りが記憶の中によみがえると、ピザは俄然美味しさが増す。

 誰が何と言おうと、イギリスは美味しい。それが結論。イギリスが不味いなんて印象しかない人は、ちょっと残念な人だなと思ってしまう。可哀そうに、美味しいイギリスを知らないなんて!

 あれから何度イギリスに行っても、いろんな美味しいものに出会っている。また、それは別のお話。

 どの国に行っても、どんな色んな良い経験をしても、美味しい食べものに出会えるって、幸せなことだなぁと思うのだ。

 何度飛行機に乗っても、残念ながら20世紀のうちにオーロラを拝むことはできなかった。けれど、いつかこの目で見てみたいと思える夢があるって、素晴らしいことなのだ。