失敗するのが当たり前(3)
林です。
(2)の続きです。
で、話を戻します。
この不快と判断した場合がくせ者で、
これが自分にとってイヤな失敗体験として残ってしまうわけです。
そうなると、似たような体験をすると予見できる場合に、
人はその体験が起きないように回避行動をとってしまう傾向にあるのです。
で、そもそもどうして不快と判断してしまうのか?ですが、
・周囲の人に責められた、あるいは怒られた。
・その責められた、あるいは怒られた時に、イヤな感情を味わった。
という ことが挙げられます。
ただ、一つ注目したいところは、
そのイヤな感情というのは、必ずしも正しいとは言えないということです。
というのも、幼い頃は特に、まだまだ経験も浅く、
世の中の仕組みや人間関係のなんたるやも知らなく、
狭量の見方しかできない状況だったわけなので、
どうしてもその失敗体験という事実を大局的に見ることができず、
思い込みで判断してしまうことが多いのです。
なので、もし、その思い込みをずっと大人になっても大切にしていると、
似たような失敗体験が起きそうな時に、身構えてしまい、回避行動を
とってしまうわけです。
お分かりでしょうか?
(続く・・・)
(2)の続きです。
で、話を戻します。
この不快と判断した場合がくせ者で、
これが自分にとってイヤな失敗体験として残ってしまうわけです。
そうなると、似たような体験をすると予見できる場合に、
人はその体験が起きないように回避行動をとってしまう傾向にあるのです。
で、そもそもどうして不快と判断してしまうのか?ですが、
・周囲の人に責められた、あるいは怒られた。
・その責められた、あるいは怒られた時に、イヤな感情を味わった。
という ことが挙げられます。
ただ、一つ注目したいところは、
そのイヤな感情というのは、必ずしも正しいとは言えないということです。
というのも、幼い頃は特に、まだまだ経験も浅く、
世の中の仕組みや人間関係のなんたるやも知らなく、
狭量の見方しかできない状況だったわけなので、
どうしてもその失敗体験という事実を大局的に見ることができず、
思い込みで判断してしまうことが多いのです。
なので、もし、その思い込みをずっと大人になっても大切にしていると、
似たような失敗体験が起きそうな時に、身構えてしまい、回避行動を
とってしまうわけです。
お分かりでしょうか?
(続く・・・)