最近、排せつの調子が悪くて、トイレ通いが頻繁になってた。

小も大も、なんかダメで、何回行っても、まだまだ出そうな感じがするの。
冷えが入ったか、なんだなんだと思ってたんだけど。本日、仕事が休みになったとたん、お腹の調子が悪くなり、つかえていたもの全部でた感じ。


(玄関のサクラがいやしだわ)

そうなるまで、トイレとお布団を行ったり来たり。その合間に、写真家でガン患者の幡野広志さんのブログを読んでいた。

自分の命をすごく真剣に考えているブログです。
鎮静死、安楽死についての意見は、そうだなと思ったことがある。


私の母が以前、「延命治療はしないで死にたい」と言っていた。家族としては、生きていてくれればいいと泣きそうになったけど、待てよと思ったの。人間は自分の死に方さえ決められないのか。。。

大好きな伯父さんは肺がんだった。お見舞いに行ったときに、「なかなか死ねなくて」と言ったんだよね。「おじさん、生きてほしいよ」と私は言ったけど、果たしてよかったのかと。。。

大腸がんになり、リンパ節転移のステージ3aってわかったとき、これからどう生きようかすごく迷ってた。なんでこうなっちゃったんだろうってね。

だけれど、自分のお葬式とか、自分の最期とかあれこれ考えていたら、こう死ぬためには、自分で納得した人生を生きなきゃダメじゃんって思ったんだよね。

その死に方ができないとしたら、やっぱり不本意かもな。90歳近いおじさんが、肺がんで苦しくてもう終わりにしたいって思う気持ち、今ならわかるかも。
そのおじさん、乾き物を食べちゃダメと医師に言われてたのに、柿の種をオヤツに食べたんだよね。大好きだったらしいの。
で、肺にはよくなかったらしく、2〜3日後に亡くなった。柿の種をおじさんにあげたいとこは、「あのとき食べなかったら、もう少し生きてたかもしれない。でも、うれしそうに食べてたから、満足していると思う。」と言っていた。

私もそう思うの。

柿の種を食れてよかったね。

で、思うわけです。
母の死に方を私が決めちゃダメだと。
まぁ、現実になったら、こんな冷静でいられないかもですが。。。

で、もうひとつ。

私も好きなこととか、はっきりしておこうと。
もう最期が見えたら、柿の種を食べられないで少しだけ長生きするより、柿の種を食べたいよ。
でも、自分で自分の好きなことわかってないと、それはできないよね。

私は死に方を4年前に決めていて、それに近い形で死にたいと今も思っているのね。
そうだった。

ハートリー明子さんって方が、「自分をオタクレベルで大事にする」って言ってたの。
そういう生き方したいな。
理想の最期を迎えるためにも。