ブログひっこしました!
スペインに行った
そこでは、溜め息のでる風景の連続だった
そして
色んな箇所で、現地の個人音楽家たちが演奏をしていた
グラナダ
アルバイシン地区から眺めた
アルハンブラ宮殿を臨む解放感溢れる街並みでは
フラメンコギターと陽気なラテン音楽、タイコを一生懸命、しかし陽気に
奏でている3人組みがいた
バルセロナ
ガウディの創った建造物が残っているグエル公園の
摩訶不思議な造形に緑溢れる敷地では
その建造物(橋?)の緑の茂みにて
ギター弾きとバイオリニストが2人1組となって
情緒あふれる美しい音色を繰り広げていた
その公園で海・地平線を遠くに臨み、活気あふれるみ楽しげな街並みを見下ろせる
ヤシの木がそよ風に揺れる高台では
なんだかせつなく物悲しいけれどもロマンティックなシンプルな音楽が
どこからともなく、消えそうなくらい細い線で聴こえていた
息苦しくなる程、奥深くの地下鉄から上に上がろうという踊り場のところで
キーボード弾きがピアノを奏でていて
一気に気持ちが緩んだ
スペインにたくさんある広場
ある広場ではストリートフラメンコを繰り広げていた
そこでは勿論、フラメンコギターと歌声もセットで
素敵な風景に音の彩りを添える個人音楽家たち
ブログなど、何か思いや考えを書くとき、
音楽を聞いて脳が活性化?ひらかれないと、書くことができない
現地では
視覚だけでも感動ものなのに、そこに音楽が加わったことで
目に見ながらにしてのイマジネーションが広がり
相乗効果で、
気持ちがよくて、ぽかんとしてしまった感動の連続だった
そこでは、溜め息のでる風景の連続だった
そして
色んな箇所で、現地の個人音楽家たちが演奏をしていた
グラナダ
アルバイシン地区から眺めた
アルハンブラ宮殿を臨む解放感溢れる街並みでは
フラメンコギターと陽気なラテン音楽、タイコを一生懸命、しかし陽気に
奏でている3人組みがいた
バルセロナ
ガウディの創った建造物が残っているグエル公園の
摩訶不思議な造形に緑溢れる敷地では
その建造物(橋?)の緑の茂みにて
ギター弾きとバイオリニストが2人1組となって
情緒あふれる美しい音色を繰り広げていた
その公園で海・地平線を遠くに臨み、活気あふれるみ楽しげな街並みを見下ろせる
ヤシの木がそよ風に揺れる高台では
なんだかせつなく物悲しいけれどもロマンティックなシンプルな音楽が
どこからともなく、消えそうなくらい細い線で聴こえていた
息苦しくなる程、奥深くの地下鉄から上に上がろうという踊り場のところで
キーボード弾きがピアノを奏でていて
一気に気持ちが緩んだ
スペインにたくさんある広場
ある広場ではストリートフラメンコを繰り広げていた
そこでは勿論、フラメンコギターと歌声もセットで
素敵な風景に音の彩りを添える個人音楽家たち
ブログなど、何か思いや考えを書くとき、
音楽を聞いて脳が活性化?ひらかれないと、書くことができない
現地では
視覚だけでも感動ものなのに、そこに音楽が加わったことで
目に見ながらにしてのイマジネーションが広がり
相乗効果で、
気持ちがよくて、ぽかんとしてしまった感動の連続だった
新しいものを追い求めること、
そうしなければならない、
そうした方が生きてて楽しいし、
変化があった方が間違いなくいい。
そんな先入観に囚われていた。
そんなことはないや、と
ふわっと風が通りすぎたように思った。
なぜなら久しぶりに聞いた音楽が、すごくよかったこと。
久しぶりに聞いて「いい!」と思える曲目が1つふえた。
そんなふうな日。
だって、その曲は以前同じような間隔を経てきいても、今日程いいと思うことがあっただろうか。
それはそれで「新しい」気づき、発見だけれど。自分のなにかが<いつのまにか>変化してそこまでいいと思うようになったのだろうし。
だから、ふわっと感じる程度のもので、気楽にいこうか?
今日の教訓
思い出はいいことしか残らないから、
嫌な記憶は忘れてしまうから、
常に「その時」の気持ちと、過去に「その時」に選択した時の自分を信じる、忘れてはいけない。
「その時」はリアルなものであり、「その時」にしか感じ得ない多大な量の要素を鑑みて、「その時」決定を自分が下しているのだから。
思い出はいいことしか残らないから、
嫌な記憶は忘れてしまうから、
常に「その時」の気持ちと、過去に「その時」に選択した時の自分を信じる、忘れてはいけない。
「その時」はリアルなものであり、「その時」にしか感じ得ない多大な量の要素を鑑みて、「その時」決定を自分が下しているのだから。
仕事に行っては、帰ってねて、
起きては仕事にいった。
同じ職場の先輩は、長いこと一緒なので
わたしもようやくきゃぴきゃぴ感は失われ、
よくもわるくも素の状態で
テンションの低さや低い声や、ガチな感じやてきとうにあしらう感じや好き放題に私は繰り広げてしまっている。
ほんとうに、よくもわるくもだ。
勿論自分としては、外側を頑張り過ぎず、
肝心な仕事に力を注げるのでいいのだけれど。
ただ、そういう人間関係となったのも4年もそのなかに身を置いているからで、
そう4年もたっているからなのだ。
就職して5年目の私は、よく、最近友達とこんな話になる。
4年経過してるということは、
大学入学して卒業できるねと。
大学生活の4年間をすっぽり過ごせてしまう。
大学時代の方が濃かったねと。
そんな濃い生活を送れていないよね、今。ヤバイヤバイ。
何を学んできたんだろう。
何ができるようになったんだろう。
と、そんな展開になる。
それはそれで、この期間がなければわからなかったであろうたくさんのことや、
大学時代の頃では知り得なかったことも
わざわざ年月をかけて、体感・府に落ちたこともある。
例え結果が単純な内容だとしても。
ただ、
それを通過儀礼にかけた年月として受けとるとしても
これからは、なんか、なるようになるというのらりくらりとした考えはちょっと抑えようかとこの頃考える。
じゃ、どうすれば振り返ったときにずっしりおもいおもいを感じる?
それには、やっぱり新しいことにつぎつぎとりかかるのも、ありだ。
何かを始める!という意気込んだ
コンクリートの横断歩道の白い部分で日差しが反射する照り返しみたいな眩しいものじゃなくて、
新しい音楽をきくとか、見つけるとか、
好きな本のジャンルを発見するとか、
久しぶりの友達と話してみるとか、
違うカラーの服を着てみるとか、
ほんの小さなフック。
手を伸ばして届く範囲のことをジャンジャンしたい。
そうすれば、それが何かもっと大きな違うことをする助走にもなるかもしれないし、
楽しいし、
ね。
起きては仕事にいった。
同じ職場の先輩は、長いこと一緒なので
わたしもようやくきゃぴきゃぴ感は失われ、
よくもわるくも素の状態で
テンションの低さや低い声や、ガチな感じやてきとうにあしらう感じや好き放題に私は繰り広げてしまっている。
ほんとうに、よくもわるくもだ。
勿論自分としては、外側を頑張り過ぎず、
肝心な仕事に力を注げるのでいいのだけれど。
ただ、そういう人間関係となったのも4年もそのなかに身を置いているからで、
そう4年もたっているからなのだ。
就職して5年目の私は、よく、最近友達とこんな話になる。
4年経過してるということは、
大学入学して卒業できるねと。
大学生活の4年間をすっぽり過ごせてしまう。
大学時代の方が濃かったねと。
そんな濃い生活を送れていないよね、今。ヤバイヤバイ。
何を学んできたんだろう。
何ができるようになったんだろう。
と、そんな展開になる。
それはそれで、この期間がなければわからなかったであろうたくさんのことや、
大学時代の頃では知り得なかったことも
わざわざ年月をかけて、体感・府に落ちたこともある。
例え結果が単純な内容だとしても。
ただ、
それを通過儀礼にかけた年月として受けとるとしても
これからは、なんか、なるようになるというのらりくらりとした考えはちょっと抑えようかとこの頃考える。
じゃ、どうすれば振り返ったときにずっしりおもいおもいを感じる?
それには、やっぱり新しいことにつぎつぎとりかかるのも、ありだ。
何かを始める!という意気込んだ
コンクリートの横断歩道の白い部分で日差しが反射する照り返しみたいな眩しいものじゃなくて、
新しい音楽をきくとか、見つけるとか、
好きな本のジャンルを発見するとか、
久しぶりの友達と話してみるとか、
違うカラーの服を着てみるとか、
ほんの小さなフック。
手を伸ばして届く範囲のことをジャンジャンしたい。
そうすれば、それが何かもっと大きな違うことをする助走にもなるかもしれないし、
楽しいし、
ね。
記憶を呼び戻すものは、人間のどんな感覚からだろう。
視覚
写真をみて、おもいだすなど。
聴覚
音楽。かなりリアルに浸れる。
その時の自分の精神状態まで思い出せたりもする。
嗅覚
外の風のにおい。
手作りの煮物のにおい。
人のにおい。
香水のかおり。
これもかなりリアルに呼び起こされる。
触覚
味覚
食べたことのある味。
好きな味、嫌いな味。
前に、これだけかなぁ?という話をしてみた。
もっと、なにかある筈なのにな…
みなさん何だと思いますか?
そこで浮上したのがこれ。
空気の感覚。
温度というか、体感というか。
真冬の寒さ、突き刺すような、いたいくらいの冷たい外気。
冬の記憶。
むわっとするような暑さで、他のアジアを思い出したり。
寒い日に湯船に浸かる瞬間の、生きている感覚。
その頃の形にならないどこかの記憶。
言葉にできない記憶を、それらは運んでくる。
いくつか種類があって
漫然と仕事をする
やらなければならないことをこなす
自らの発想ではなくルーティーンをこなす
みずから動きだしてつくる仕事
どちらかといえば わくわくは後者の方があるが
前者のように働いて こんなのでいいのかな なんて思ったりするもするが
仕事はお金をもらうための手段だと割り切ってみたりもする。
そのほうがらくだから。
でもなぁー
漫然と仕事をする
やらなければならないことをこなす
自らの発想ではなくルーティーンをこなす
みずから動きだしてつくる仕事
どちらかといえば わくわくは後者の方があるが
前者のように働いて こんなのでいいのかな なんて思ったりするもするが
仕事はお金をもらうための手段だと割り切ってみたりもする。
そのほうがらくだから。
でもなぁー
追いたいテーマについて考える。
・必ず死が訪れる人生ということ
~信じられないけれど、仮に事実を受け入れたとして、どう動けるか~
・自ら生き方を選び取る人生か、運命に身を任せる人生か
~タイミングというのはマヤカシか~
・見えないもので通じ合うことについて
~思い込みか否か~
・必ず死が訪れる人生ということ
~信じられないけれど、仮に事実を受け入れたとして、どう動けるか~
・自ら生き方を選び取る人生か、運命に身を任せる人生か
~タイミングというのはマヤカシか~
・見えないもので通じ合うことについて
~思い込みか否か~
「暦の上ではディッセーンバー!」
時々、連続テレビ小説あまちゃんの挿入歌が頭から離れない。
北三陸の尼さんに心底感激して、あまちゃんとして田舎で元気はつらつに過ごし始める
少女が、ひょんなことからAKBのようなアイドルグループ目指して東京で頑張る物語。
大人数のそのアイドルグループ内で、選抜に選ばれないと奈落組という
ステージ下の見えないところで踊り続ける予備軍となる。
その予備軍は、メインの子がいる限り、〝シャドウ〟として陽の目に当たることがない。
いつも二番手。活躍することはない、影の存在。
それはべつに縁の下の力持ちという訳ではなく、ただ背後ということ。
そんなシャドウ気分、二つ該当した。
・習い事のフラメンコで 本番ステージにたたないため、すみで踊るわたし。
・仕事で、チームを組んでいるため、色んな窓口になっている先輩と比較して
せっせと内部作業をするわたし。
そんな二番手について世間一般でよくきくこと:
〝自分が前面に出たときにはこうしたい、こんな風にやりたい、見ててよ!〟と
ハングリー精神で、努力を重ね、そんな思いで粛々と一番手になった時のための
準備に燃える。そのなかで一番手をよく観察して、客観的に擬似で経験をつむ。
なんだかなぁ。
一番手には一番手の、シャドウからしたら計り知れないプレッシャーがあるし、
シャドウにはシャドウの鬱憤もある。
前面に出たときにどうパフォーマンスできるのか?
そこで見えるものはどんなもの?
よの中には、シャドウとよべるシーンがあり過ぎる。
時々、連続テレビ小説あまちゃんの挿入歌が頭から離れない。
北三陸の尼さんに心底感激して、あまちゃんとして田舎で元気はつらつに過ごし始める
少女が、ひょんなことからAKBのようなアイドルグループ目指して東京で頑張る物語。
大人数のそのアイドルグループ内で、選抜に選ばれないと奈落組という
ステージ下の見えないところで踊り続ける予備軍となる。
その予備軍は、メインの子がいる限り、〝シャドウ〟として陽の目に当たることがない。
いつも二番手。活躍することはない、影の存在。
それはべつに縁の下の力持ちという訳ではなく、ただ背後ということ。
そんなシャドウ気分、二つ該当した。
・習い事のフラメンコで 本番ステージにたたないため、すみで踊るわたし。
・仕事で、チームを組んでいるため、色んな窓口になっている先輩と比較して
せっせと内部作業をするわたし。
そんな二番手について世間一般でよくきくこと:
〝自分が前面に出たときにはこうしたい、こんな風にやりたい、見ててよ!〟と
ハングリー精神で、努力を重ね、そんな思いで粛々と一番手になった時のための
準備に燃える。そのなかで一番手をよく観察して、客観的に擬似で経験をつむ。
なんだかなぁ。
一番手には一番手の、シャドウからしたら計り知れないプレッシャーがあるし、
シャドウにはシャドウの鬱憤もある。
前面に出たときにどうパフォーマンスできるのか?
そこで見えるものはどんなもの?
よの中には、シャドウとよべるシーンがあり過ぎる。
実家のかつての自分の部屋だと、何故か自然に机に向かいたくなる。
ま、座るところがそこくらいなのだけど。
集中もできるし、あたたかい気持ちにもなるし、どうすればこんな空間が今の住居内でも
うまれるだろう?
〝集中できる〟
壁。
それには、壁が必要なのかもしれない。壁に囲まれ、閉ざされてる、という感覚。
目に入る位置に、遠くが見えない感覚。
人はろうかや道を歩くとき、左に寄る習性があるという。
事実、私も会社のろうかでいつも左側の壁にぴたっとくっつきながら歩いている。
無意識だったのだけど、ある日、うしろを歩いていた後輩に指摘され、
その尋常でない自分の壁へのくっつき加減にはっとしたことがある。
そんなこんなで、自分のまわりに壁があるというのは、人を落ち着けるのかもしれない。
〝あたたかい気持ちになる〟
ライト。
それには、ライトの種類が重要なのかもしれない。
あたたかいオレンジの電球なのか? 白い蛍光灯なのか?
うーん。。
ま、座るところがそこくらいなのだけど。
集中もできるし、あたたかい気持ちにもなるし、どうすればこんな空間が今の住居内でも
うまれるだろう?
〝集中できる〟
壁。
それには、壁が必要なのかもしれない。壁に囲まれ、閉ざされてる、という感覚。
目に入る位置に、遠くが見えない感覚。
人はろうかや道を歩くとき、左に寄る習性があるという。
事実、私も会社のろうかでいつも左側の壁にぴたっとくっつきながら歩いている。
無意識だったのだけど、ある日、うしろを歩いていた後輩に指摘され、
その尋常でない自分の壁へのくっつき加減にはっとしたことがある。
そんなこんなで、自分のまわりに壁があるというのは、人を落ち着けるのかもしれない。
〝あたたかい気持ちになる〟
ライト。
それには、ライトの種類が重要なのかもしれない。
あたたかいオレンジの電球なのか? 白い蛍光灯なのか?
うーん。。






