以上、たいしさんブログより拝借しました。

 

このカゼさんのコメントですが、

カゼさんが所属するサークルのメンバーに弁護士がいるにもかかわらず投稿内容がおかしい

と感じたもので、

 

実際にそういった事があったのか、私がメンバーの弁護士のところへ

相談に伺ってみます

 

と、今年(2019)の1月11日にカゼさんのYahooブログに書き込みましたところ、

Yahooブログ、FaceBook等、突然閉鎖されました。

以前から方言手話の普及に尽力されておられましたので

残念です、お疲れ様でした。


なお、カゼさんの

釧路市のイメージを損なう誤解を招く書き込みについて、ですが

半分は作り話ですのでブログ主さんは削除するのが望ましい、と考えております。

現在もカゼさんが所属しておられたサークルは活動中です。

 

 

 

 

 

 

 





以上、たいし さんのブログから拝借しましたが

私なら、

「方言ですので一般辞書にありません、分かりづらくてすみません」

と言いますね、そのほうが好印象です。

方言手話もまた然り。









     方言、嫌いじゃないんだケドねぇ…
     今度、面接でやってみようかねぇ…









『権威主義パーソナリティ』

とか

『自発的隷従』

という言葉がありますが、

強い者、権威ある者の考えそうなことを下の人間が先回りしてやってしまう。
わかりやすく言えば『忖度』ですね。

権力者が命令してやらせるのではなくて、
支配される側が自分からそれを正しいと思って実行する、というのがポイントです。

社会的弱者に近い人でも、トランプや安倍晋三といった権威と
一体化することで自分が優越した存在であるかのように錯覚する、

 

もはや「肉屋を支持する豚」ですね。

 

 

 


.戦時中の1942年(昭和17年)に当時厚生官僚 花澤武雄により、
日本の国民皆年金制度が始まった。

御国の為に華と散れ、生き恥を晒すな

という御時世に、

老後の為に準備の金を預けろ、ときた。
生きて帰って来い、と遠回しに言っているようなもんだな
この非国民がぁぁあ、

年金制度回顧録の記述に
集まった金は使ってしまえ、といった趣旨が有るので戦費調達が目的だな。

今年は寺山修司の没後36年。

もうか、という印象を受けるが、過去を掘り返す考古学者のように
自身もゆるゆると過去へと後退しつつある

澁澤龍彦と大きく違うところは、
いまだに現代日本の社会を撃つアクチュアリティーを持っていることだ


「身を捨つるほどの祖国はありや」


短歌で突きつけたこの問いは、共謀罪を強行採決した今こそ強い輝きを放っている

60年安保闘争を背景に、フランス革命時にバスチーユの監獄に幽閉されていた闘志でもあったサドを紹介することで
反権力の衣装を着たようなフリをしていた傍観者の澁澤龍彦と、そこが決定的な違いだろう

一方の寺山修司は、


「ひとりぽっちのあなた」


という簡単には社会に馴染めない個人をオルグしつづけながら、たえず時代の先に待ち受ける「未来の目覚め」に対する、挑発的なパルチザンの闘志のようだ。

 

いつまでも色褪せないのは時代のせいだろう。