自分の人生の中で、1番小さかった頃の記憶はどこまで保持できているだろうか??


おそらくだが、3歳ごろの記憶はまだ持っている。


父方の実家で叔母が私の面倒を見てくれていたことや、兄がしているファミコンを見ていたことなど細かいシーンでいくつも覚えている。


何か喋るだけでもすごい!と褒めてくれていた記憶もある。あの時は、兄と祖母にシャトレーゼのマークを見せて、「シャトレーゼ!」と言ったらめちゃめちゃ驚かれました。当時はもちろん謎だったが、兄、祖母の気持ち、よくわかるよ。


息子よ、早くなんか喋って驚かしてくれや。



話変わって、


小さい頃から、卵アレルギーがありました。子ども時代はこのアレルギーで悩まされました。


しかし、母親は私をただの卵嫌い、食わず嫌いのように捉えていたと思います。これが結構色々な問題を作ってしまいます。


まずはデパートで思いっきり嘔吐してしまう事件がありました。出発前に卵たっぷりのチキンラーメンを食べていたことが原因です。兄も一緒にデパートにいたので兄もこの事件について、鮮明に覚えているそうです。


嘔吐して、母親はマジで焦ったでしょう。買い物もやめて嘔吐物もそのままに帰宅していたような記憶があります。


お好み焼きも卵が入っていてアレルギー反応が出ていました。それを食べた後、家でも嘔吐したことがあります。もう嘔吐ばっかりです。

母親も卵が原因とはあまり思っておらず、他の食材で嫌いなものがあった??と勘違いしていたように思います。お母さん、鈍感すぎないか!?


私が小学生1年生のときに、学校でお好み焼きを食べるイベントがありました。


(心の声)

これはヤバイ

あーどうしよう。4年生がみんなのために作ってくれたお好み焼き、、、

頑張って食べてみるか、、、パク

うぁ、、、ぁ〜これはだめだ、、めちゃめちゃ卵入っとるわぁ〜、、、



もう、どうしても食べられず、放課後まで残ることに。

母親もわかってないので担任ももちろんわかっていません。

担任「どうして食べないの!?」

と理解のない言葉を浴びて、なんでだめなのか理 理由も説明できず、しくしく涙も流す。


まさにトラウマである。


まだ食物アレルギーについてそこまで認知されていない時代なので、そうなるのは仕方ないと思いますが、ちょっとキツイ一言でしたね笑



結局食べることができずに泣きながら帰る。ただ家に帰ってそのことは恥ずかしくて言いたくなかってので涙を拭いて普通を装っていたが、後から担任から電話がかかり、親も知ることに。


その時は母親は卵が原因だということを伝えていたな。もう流石にアレルギーとまではいかないが、卵が嫌いということはわかってくれていたようだ。


担任もそれを聞いて理解したらしく、もう卵について言ってくることはなかった。


この卵アレルギーは大学生までかけて、少しずつ克服できるようになり、社会人になってから、卵が大好きになりました。まだすこーし喉が痒くなったりしますが、、、笑


というアレルギーの話でした。