愛用しているキュレーション・ニュース・サイトNews Picksが9月で2周年を迎える。私はサービス開始当初からこのアプリを利用しているので、Picker数(ユーザー数)を順調に増やし、コンテンツを充実させているのは素直に嬉しい。ただ、Picker数が増えるにつれて段々と「大衆紙」化しているのが残念であるとも思う。ソーシャル・メディアである以上、多数派のPickerによってメディアの特性が決定づけられてしまうのは仕方がない。だから、今回ここで書くのはあくまで1Pickerの意見にすぎず、それを支持するか否かは読み手の自由である。

最近のNews Picksのコメントを読んでいて非常に気になるのは、客観性や実証性を軽視した情緒的なコメントが少なからずあり、残念ながらそういったコメントにLike数が集まるという点である。単純に客観性や実証性を軽視したコメントが表明されるだけではなく、そうしたコメントに共感するPickerが少なくないということを示している。もちろん、客観性や実証性を重視したコメントも存在し、そういったコメントにもLikeは多くついているという現実を考えると、一定数の「良識派」は存在しているということだと思う。

私自身は元々大学と大学院で国際政治(特にアメリカ外交)を専攻し、現在はサウジアラビアで勤務をしているということもあって、最近は安保法案や戦後70周年談話、アメリカ政治、中東情勢といった、外交・安全保障分野の記事について発言をすることが多い。自分がコメントをする記事の他の人のコメントを読んでいて思うのは、自分と同じ立場であるか否かは別として、客観性や実証性を軽視したコメントが少なくないという点である。

安保法案に関するコメントでは、賛成派と思しき人が特に客観的な根拠を示すことなく、「政府案に賛成するのがあたりまえ」、「国連憲章にも定められている」というような態度でコメントをしたり、反対派の主張を吟味することなく「反日的」とか「左翼的」、「リベラル的」といったレッテル貼りに終始して、その思想的系譜を特に考察することなく単なる罵詈雑言だけをスローガンのように叫ぶ人が見られた。レッテル貼りに終始する人の姿は、1950年代のアメリカを席巻した「マッカーシズム」を彷彿とさせる、きわめて不快なものであった。

私が安保法案について立憲主義の観点から反対論を展開していたのは周知の事実であるけれども(ちなみに私は憲法改正をしたうえでの集団的自衛権の行使には賛成の立場である)、News Picks上の安保法案をめぐる賛成論において客観性や実証性を担保して議論を展開していたのは私が読んだ限りでは国際政治学者の三浦瑠麗さんくらいであった。それ以外の著名Picker、上位Pickerの賛成論は客観性や実証性を備えたものとは言い難く、いずれも「賛成のための賛成」、「反対派に対する反対」といった情緒的なものにすぎなかった。

News PicksのPickerで反対派の人たちの論拠となっているのは、私と同じように立憲主義や憲法9条との関係性からのものが多かったと記憶している。法曹のような専門家Pickerや、法学部出身と思しき社会人Picker、現役の法学部生と思しき学生Pickerたちはそれぞれ自らが学んできた憲法、国際法、国際政治、歴史の観点から反対論を展開しており、個人的には非常に勉強になることが多かった。

実は私がNews Picksに期待するのはこうした専門家や素人が客観性と実証性に基づいた議論を展開することである。安保法案については賛成派にその傾向が弱く、反対派にその傾向が強いように私には見えたのであるが、賛否の別なく客観性と実証性を備えた知的なコメントが数多く出てくることを望んでいる。私が理想とするのは、19世紀~20世紀初頭にかけてのウィーンのコーヒー・ハウスで、高級紙を元にしてある程度の知識と教養を備えた一般市民が議論をする、そういった知的な空間である。

この知的な空間を担保するためには、そこに参加する人それぞれが、専門的ではないまでも、議論をするうえでの基礎的な知識と教養を備えていること、あるいはそれらを備える意思があることであると思う。たとえば安保法案について語るうえでは、憲法、国際法、国際政治、近代以降の政治・外交史の基礎知識を既に備えた人、あるいはこれから備える意思のある人であることがより理想的であると思う。そして、

おそらく私のこの理想はあまり多くの人には共感されないだろう。なぜならば、知識と教養をストイックに追い求める姿勢に価値を見出す人はそう多いとは思えず、むしろ「息苦しい」とすら思う人の方が今の時代は多いと思うし、そのことは既にNews PicksのPickerのLike数に表れていると考えるからである。それでも私は、「それにもかかわらず!」と声をあげてみたいと思うし、今後も折にふれて声をあげてみたいと思うのである。