アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)

アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無しと私は証言する)
アシュハド・アン・ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無しと私は証言する)

アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスルッラー(ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する)
アシュハド・アンナ・ムハンマダン・ラスルッラー(ムハンマドは神の使徒なりと私は証言する)

ハイヤー・アラッサラー(いざや礼拝へ来たれ)
ハイヤー・アラッサラー(いざや礼拝へ来たれ)

ハイヤー・アラルファラー(いざや救いのために来たれ)
ハイヤー・アラルファラー(いざや救いのために来たれ)

アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)
アッラーフ・アクバル(神は偉大なり)

ラー・イラーハ・イラッラー(アッラーの他に神は無し)


タイトルを見てギョッとされた方も少なくないのではないだろうか?「サウジアラビアに行って、こいつはイスラム原理主義に加担したのではないか?」、そんな風に思われた方もいるだろう。こう思われた方は「アッラーフ・アクバル」(神は偉大なり)というとどうしても9.11テロやイスラム原理主義勢力の自爆テロを想起してしまうためであろう。私自身、「アッラーフ・アクバル」という言葉とその意味を知ったのは9.11テロの時であった。非イスラム圏の人々にとって、「アッラーフ・アクバル」という言葉は忌まわしい出来事とリンクしているとも言える。

冒頭の章句は「アザーン」と呼ばれるイスラム教の礼拝前に流れるものである。宗派によって細部は異なるものの、イスラム諸国に行った経験のある人であればこの章句を耳にされたことがある人も少なくないだろう。つまりイスラム諸国で日常生活を送れば、「アッラーフ・アクバル」という言葉は毎日必ず聞く言葉である。非イスラム圏の人々が、「アッラーフ・アクバル」という言葉に忌まわしさを覚えてしまっているということは、テロリストたちがこの言葉を使い、テロ行為を行ったことでイスラム教という宗教のイメージを著しく傷つけたと言い換えることもできないだろうか?

「イラクとシャームのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Sharm, ISIS)の活動については日本でも詳細に報じられていると思うが、イスラム教の二つの聖地を有するサウジアラビアでも大々的に報じられている。この1ヶ月間のサウジ国内の動きで興味深かったのは、国防相を兼ねるサルマン皇太子と外相を兼ねるファイサル王子が外交の場でISISを非難したのみならず、大ムフティ(イスラム教スンニ派の最高指導者、イスラム法の最高権威)であるシェイク・アブドゥル・アジズ・アル・シェイク師もISISを強く非難した点である。政府(王族)の要人がISISを非難することと、大ムフティという宗教上の権威がISISを非難することには異なった意味合いがあると考えているためだ。

ISISは6月29日にその名称を「イスラム国」(Islamic State, IS)に改称した。単なる名称の問題のように見えるが、この時点で現在の国際秩序(彼らはこれを「サイクス・ピコ体制」と呼ぶ)を完全に否定し、新たな「イスラム主義国家」の樹立を企図しているという点を強調した。

サウジアラビアという国は言うまでもなく現在の国際秩序の中に存在し、その国際秩序を尊重する主権国家であり国民国家である。それゆえに世俗権力であるサウジアラビア政府(≒サウード家)はこの国際秩序破壊(現在の主権国家および国民国家の否定)を行う「イスラム国」の考えを受容することはできない。そういう意味では、サルマン皇太子とファイサル王子の行動は十分理解できるものであった。他のイスラム諸国(スンニ派諸国)も、基本的には現在の国際秩序の破壊を望んでいないということを考えるとサウジアラビア政府に近い考え方であると言えよう。

今回私自身が意外に感じたのは大ムフティのシェイク・アブドゥル・アジズ・アル・シェイク師もISISを強く非難した点であった。ISISはスンニ派の中のワッハーブ派とされており、シェイク・アブドゥル・アジズ・アル・シェイク師はまさしくワッハーブ派の最高指導者であるためだ。ISISへの明確な「支持」を表明しないまでも、明確な「非難」を表明するとは思っていなかった。しかし実際には、ISISを「イスラム最大の敵」と位置づけることでその正統性を完全に否定している。

少なくとも現時点ではサウジアラビア国内ではISISに対して極めて否定的な空気が流れているというのが肌感覚である。実際、礼拝においてISISの活動を賛美した人物が逮捕されるなどの事案も発生している。世俗権力と宗教的権威の双方にとって「イスラム教=過激思想」と認識されることは、メッカとメディナというイスラム教の二つの聖地を有する「イスラム諸国の盟主」という強力なソフトパワーを低下させることになり絶対に容認できないというのが本音だろう。

ISISは「イスラム国」と名乗ることで非イスラム圏におけるイスラム教に対するイメージを低下させてしまっている。ISIS問題を解決するにあたって最も望ましいのは、既存のイスラム諸国やイスラム教内部での自浄作用が発揮されることであり、イスラム諸国もそれを企図しているように思える。しかしながら、実際の軍事力や中東地域をめぐる利害関係を考えるとイスラム諸国のみで自浄作用を発揮させることが難しいというのが現状であろう。

【参考記事】
'Grand Mufti: Terrorism has no place in Islam' -Arab News 20 August 2014