東北関東大震災が起きて1週間がたった。警察庁の発表によれば18日時点で死者6,911名、行方不明者10,692名と1995年の阪神大震災を超え、戦後最悪の自然災害となった。今回の大震災で亡くなられた方に深く哀悼の誠を捧げると同時に、今なお被災地にあって不自由な生活を強いられている被災者の方々にお見舞いを申し上げたい。

私自身の生まれ故郷である宮城県登米市と本籍地である仙台市も甚大な被害を受け、親戚の多くも被災した。幸い近しい親戚は皆無事で、沿岸部の塩釜や矢本(東松島市)の親戚にいたっては奇跡的に家屋も無事だったとのことである。塩釜の叔母の家は1km先が津波と火災に見舞われた中で、ワイングラス1個が割れた程度とのことで正に奇跡と言えよう。悪運の強さとしぶとさ我が一族の大いなる財産なのかもしれない。

同じ市原市内のコスモ石油の製油所のLPGタンクが爆発するという事態があったものの、私の勤務先の工場は幸い軽微な損傷で済んだ。地震あった11日夕方には損傷を把握し、取引先に対して迅速に修理手配を行なったことで13日には完全復旧という形になった。私は資材調達担当者として取引先との調整にあたったが、これは工場幹部や上司の迅速かつ適切な指示があってこそのことである。

阪神大震災の経験があるからなのかもしれないが、危機にあたっての会社や工場幹部の対応というものが実にしっかりしているという印象を受けた。ちなみにこの取引先はその後震災対応を優先するため、修理対応が取りにくい状態になっているとのことだから工場幹部の判断は間一髪だったのかもしれない。

幸い工場内の自家発電設備が健在ということもあり、その後の計画停電の影響もほとんど受けていない。単純に運が良かったということでもあるのかもしれないが、平時からの生産管理部門、安全管理部門、製造部門、設備部門の取り組みというものが功を奏しているのではないかと思うと、これらの部門の方々への敬意はいくら表しても足りないだろう。

阪神大震災の時に私は中学2年生だったため震災からの復興がどれだけ大変なのかということをほとんど知らなかった。社会人となった今、今回の大震災が政治、経済、社会に与える影響というものをひしひしと実感している。

たとえ自分の会社の被害が皆無であっても、取引先の被害が甚大であれば、調達から販売までのサプライチェーンは文字通りに「切れて」しまうのである。工場が稼働できる状態であっても、資材や原料、ユーテリティが供給されなければ製品を生産することができない。交通網が遮断されていたり、燃料供給が絶たれた状況では物流を行い、販売することもできない。

地震発生後のこの1週間は資材調達担当者として取引先の安否確認、納期確認に多くの時間を割いた。震災後の物流事情の悪化での納期遅延や計画停電による稼働率低下などはマシな方で、被災地方面に工場を有する会社によっては工場全壊という情報も飛び交っていた。

上述のように私の勤務する工場は幸い被害も皆無に等しく、自家発電により今後の操業に大きな支障はない。ただし、多くの企業がそうであるように原料・資材調達や物流、販売には不安を抱え、サブライチェーンが傷ついた状態である。幸いにして、物流網が復旧して原料・資材が入るようになれば生産を続けることは可能であるのだから、まずは傷ついたサプライチェーンの修復が最優先となるだろう。

石油化学産業の現状で言えば、震災の影響で三菱化学の鹿島、丸善石油化学の市原のエチレン設備が稼働を停止していることもあり、国内の生産能力の4分の1が稼動停止という状態に追い込まれている。石化製品の海外需要が高い現状を考えると、稼働を停止していない企業がその穴を埋めることが求められるだろう。

稼働できない企業に代わって、稼働できる企業が供給責任を果たす。このことは石化産業のみならず、全ての産業に今求められていることではないだろうか?企業のレベルだけでなく、個人のレベルでも同じことを言うことができる。生活の自由を奪われた人たちに代わって、生活の自由が比較的ある人たちができることをするということ。

誰が言い出したわけでもなく、この風潮が今強まっている。私はこれを"Survivants Oblige"(生き残った者の責務)と呼びたい。生き残った人一人一人がそれぞれの良心に基づき、この"Survivants Oblige"を発揮してゆけば、「平常への回帰」も早期に成し遂げられるはずである。

今回の大震災を受けて欧米の経済専門家やメディアの多くは「日本経済は早期に持ち直す」という見解を示している。これらが楽観的でリップサービス的な見解であるという批判もあるかもしれないが、全く根拠のないことではないようにも思える。なぜならば、我々日本人は過去にも戦災からの復興や阪神大震災からの復興を遂げてきたという歴史的な事実がある。

この歴史的事実の中にも"Survivants Oblige"が見て取れる。戦後復興と高度経済成長を支えたのは戦争で生き残った我々の父祖たちの手によるものであった。昨年亡くなった祖父は戦時にあっては職業軍人であったが、戦後は銃を鍬に持ち替えて80を過ぎるまで黙々と田畑を耕し続けた。祖父の耕した田畑がどれだけ役に立ったかはわからないが、少なくともそれが日本人の食卓の一部を支えたのは事実だ。

欧米の経済専門家やメディアの多くが楽観的な見解を示しているのは、日本および日本人へのエールであると同時に、戦災や震災に見舞われても幾度と無く蘇ってきた歴史的事実を踏まえたものではないだろうか。さらに言えば、日本人の"Survivants Oblige"を信頼しているからではないだろうか。

安っぽいナショナリズムに聞こえてしまうかもしれないが、我々日本人には不死鳥のように蘇るDNAがある。我々の父祖たちが努力を積み重ね戦後復興を遂げ、世界に冠たる経済大国を築けたように、我々もまた努力を積み重ねて今回の大震災からの復興を遂げられるはずである。

Never give in― never, never, never, never, in nothing great or small, large or petty, never give in except to convictions of honour and good sense. Never yield to force; never yield to the apparently overwhelming might of the enemy. by Sir Winston Leonard Spencer-Churchill

決して、諦めるな― 決して、決して、決して。大事か些事かに関わらず、それが名誉や良識に確信があるのでないかぎり、屈服してはいけない。力に屈するな。敵が一見圧倒的であろうと屈するな。 by ウィンストン・チャーチル