うす茶の親子は毎週ミサにやってくるわけじゃなかった。
二・三週にいっぺん、ミサのぎりぎりに入ってくることもあった。 それでもミサの最中の、母親の目を閉じた深さ、十字架を見上げ、宙を見る不動感は、とおり一遍のミサの進行に合わせている他の信者と一線を画するような別世界感があった。 まわりに合わせながら、自分の世界に一瞬にして入り込んでる感じ。 それは育った国が違うからなのか、本人個人のものなのかは分からないが。 斜め前に席をとる彼女が、どうしても目に入る。
そして、歌の最中に繰り返す言葉を憶え、ひらがなは読めるのか、歌い入ってきたり、知っている歌を一オクターブ上げたり、下げたり柔らかく歌った。 ハモらせ、最後の一音をのばす調子に一瞬驚かされたりはするが、それは無理なく音に馴染み、かえって心地よくさえ耳に響いた。
「めでたしせいちょうみちみてるマリア…」
彼女がポルトガル語で小声で唱える声を聞き、僕たちは日本語で唱えていると、世界は最初は同じ言葉だったという、聖書の物語が浮かび、かえって心の一致を問いかける気持ちを思い出させられる。
ミサが終わり、少しの時間とお茶で、集まった者たちが話しに花を咲かせている時、おばさんやおばあちゃん達は、少し外国の匂いのする女の子を、ちやほやとかまった。 女の子はおばあちゃんに手を握られたり、頬を寄せられたりするのにも身を任せてはいるが、飽きるとさっと逃げ、部屋のすみにあるぬいぐるみを取りに行った。
「りえさんも大変だねえ、あんな小さい子あずけて、知らない国で働いてるんだから。」
おばさん達の言葉が耳に入った。
仕事をしてるんだ…僕は胸で繰り返した。 なんの仕事をしてるんだろう…。 僕は小さな会社の事務だけど、人件費カットの中、対外的な業務を任されるようになり、最近は難しいと感じることが多い。
僕の家は両親が熊本で、郷里がいっしょだったということで知り合った職場結婚だそうだが、母は専業主婦で、父は転勤族ではなかったので、子どもを三人、僕とすぐ上の兄と、少し年の離れた妹を育てられたとよく言っていた。 それでも誰も頼る人のいない母は大変そうだった。
空になった湯のみを、決められたアルミのお盆に入れ、ひとりふたりと帰り始めると、残ったお菓子をおばさん達は女の子にビニール袋いっぱいに持たせて、
「りおちゃん、またきてね。」
と膝をついて言った。
もう梅雨も終わりに近づいた日曜日、今日は雨のせいか集まりが少なかった。 気温が上がりはじめ、べたついた汗が、洋服も気分も湿らせる。 彼女も始終声が沈みがちだったような気がした。 暑さのせいか、疲れたようすに見えた。 白いブラウスはしわが目立った。 前にミサに来た時は、泣いていたのか目元を手でぬぐうようなしぐさをした気さえしていた。 慣れたころの大変さなのかな、と思ったり、気になっていた。
僕は突然の代役で、聖体拝領の侍従になった。 開け放たれた窓から、静かな、葉を打つ雨音さえ聞こえるようなミサだった。 青い紫陽花の色が紫色に徐々に変わっている。
「キリストの体」
彼女は僕の列に並び、僕が神父の手伝いで渡した、丸いパンを掌にいただき、口に入れた。 そして席に戻り祈った。 御聖体を通したのどが動き、やっと顔を上げた時、頬には涙のあとが光っていた。
僕は、御聖体の入る金の高杯の蓋を閉じる時、大きな音を出すヘマをしでかした。