みなさま、ご無沙汰しております。


6月11日以降、更新が途絶えておりました。急に何の通知も無しに途絶え、そして急に再開して不思議に思われた方もいらっしゃると思います。色々な憶測が飛んだかもしれませんが、私はいたって元気です。ただ、今日は訳あって、海外から更新をしています。更新の頻度はこれから少なくなるかもしれませんが、少し静観して、今の世界の流れや日本で起こっていることをよーく見てみよう思い、下調べのために動き回っていたこともありました。ようやく落ちついてきたので、また、気づいたことを思うままに書いていければと思います。


さて、この4ヶ月の間、本当にいろいろなことがあったような気がします。

日本では、政治の流れ、経済の流れも変りました。安倍さんも辞め、サブプライムショックがあったり、V6のイノッチが結婚したり、本当に4ヶ月も経つと、ニュースを選び出すのも難しくなりますよね。


ただ、みなさんも日常で感じていることかもしれませんが、本質的な部分はあまり変わっていないような気がします。自分がやっていること、できることは、多くの中の一部分にも関わらず、周りで起こっていることがあまりにたくさんありそれが見聞として入ってくるためそれに流されている、そんな感じです。


だけれども、そうした毎日の変化を総体とした大きな流れは、幸か不幸か、世界の中の日本、そしてそこに住むわたしたちにも、「量から質への転換」をどんどんと迫られてきているようです。抽象的にいうとそんな感じです。


すでに財政は破綻しています。これ以上だましだましやっていくと、日本は経済的にはかならず沈没します。残念ながら、動脈硬化になっています。規模が大きいままでは身動きが取れないので、本質的なところを残して、スリムにならなくてはならないと思います。でも、スローガンで終わっていて、結局精査してみると、まったく変わっていない。内部のガンは進行しているという感じでしょうか。インフレと増税するしかないというのは、今の体制を前提にしてしまうからなのでは?


でもある意味それは仕方がないことかもしれないですね。だって、誰でも今までのやり方を信じたい。そして、今まで通用していたことをいつまでも使いたい。私も同じです。次から次へと現れる流れ星のようなものに煩わされたくない、また、今までやってきたこと=過去の蓄積が未来永劫活かせる土壌で勝負したい、そう思うのです。人類の持つ保守性(変わりたくない心)と革新性(変わりたい心)の間に挟まれ、時として、前者が勝つのです。


最近、ニッポンに多くの外国の方が遊びに来ていただいているようで、とても喜ばしいことです。

きっと、京都や東京を見て、驚嘆するに違いありません。そして、同時にこれでいいのか?と思うかもしれません。わたしたち日本人も、毎日の生活から出る無数のゴミの山を見ると自問自答するかもしれません。今の文明は正しいのか?と。


そして、その問いは、大きな問題が起こってからでないと分からない。人間は未然に学習することはできないようであります。


なんにせよ、そういう現状を見据えたとしても、一個人として、何から本当にはじめたらいいのか、迷うことがある。エコバッグか?スローライフか?リサイクルか?車に乗らず自転車か?節制か?寄付か?政策提言か?新エネルギーの開発か?それとも?????


わかっちゃいるけど。。。やめられない、止まらない♪ ってかっぱえびせんならまだ太るだけかもしれないが、毎日の生活をなかなか変えられないのですよ、我々は。


と、まあ、雑感の中、私は提言する。「シンプルになろうよ、もっと。」「自分たちの行動に責任持とうよ、もっと。」「子供たちの世代に良いと思うものを残そうよ、もっと。」


こんな感じかな、すでに抽象的すぎて怒られそうだけど。。。。





今日のニュースで知りましたが、中国の軍事費が、日本の軍事費を抜いたそうです。


全世界での軍事費はおよそ1兆204億ドル(約145兆円)、そのうち、アメリカが44%(約63.8兆円)、日本は、約5.2兆円(約3.6%)で、中国は、約4.1%を占める約6.0兆円弱とのこと。 (出典:http://yearbook2007.sipri.org/


日本のGDPは約500兆円。つまり1%は軍事費だということ。

中国のGDPは約280兆円。つまり2%が軍事費。


さて、問題は、こうした数字を大きいと見るのか小さいと見るのか。

また、なぜ日中を比較する必要があるのでしょうか?


各国はなぜ軍事化になぜ莫大なお金をつぎ込んでいるのでしょうか?

平和は軍備を増やせば維持できるのでしょうか?


武力を行使すれば武力を行使される。その繰り返しが起こるだけではないでしょうか。


米・日・中。もちろんロシアもあればEUもある。世界各国、軍事を持っている国ばかりである。


でも、軍事費をもっと違うことに使えないんでしょうか?


日本は、武力を捨てたはずなのに。。。こう考えている人は多いはずです。


今後10年、ニッポンは新しい局面を迎えるだろう。


ヨーロッパやアメリカが過去に経験したことに直面すると予想される。


そこには良い面と悪い面が必ず現れる。


いずれにせよ、ニッポンはこれから、「愛される」必要がある。

また、今後成功したいと思う人は、「愛される人」になる必要がある。

事業を成功させたいなら「愛される会社」になる必要がある。


今、実はニッポンに投資している人達のうち、外国人投資家の割合が急激に増えている。

なぜか?? 


彼らは、純粋に日本を投資対象として見ているので投資している、つまり、

経済的かつ合理的な判断であることが多い。


よって、それを「愛」と呼ぶかどうかは別として、

事実、それはニッポンが世界の投資家に「認められた」結果である。

つまり、日経平均が7000円前後になった日本株に多くの買いが入ったのは、本源的なニッポンの価値を認めている(つまりニッポンの実力が過小評価されている=株価が割安だ、と思ったから一斉に買いが入っている状況)だからである。


「認められた」一つの要因は、ニッポンという国の価値(経済的価値だけかもしれないが)に相当程度のリスペクトがあるからである。


ただし、今後の日本経済は成熟期に入る。つまり、投資家からお金が集まったとしても、それをどのように増やしていけるか、社会のバリューに貢献できるかというのは別モンということである。


最近、「お金よりセンス」なんていうキーワードが雑誌なんかに出ているが、非常に共感する。

ニッポンは、今後、国としての「センス」を問われていく。


札束の数を自慢する時代は終わった。これからは、国として「愛される」必要がある。

「美しい国」も良いが、それは結果として、人々に「愛される国」になることを意味する。


世界の人々から、I LOVE JAPAN ! とか、I LOVE TOKYO! と叫ばれる国である。

お土産のTシャツにそんなフレーズが乱れ飛んだとしても誰も違和感を感じない国になることである。

何より、ニッポンが、そこに住む人達に最も愛される国になることである。


愛されるためにどうするか。これが今後10年問われていくだろう。







ゴールデンウィークも明け、5月も中盤に差し掛かっています。

5月初めての更新です。大変ご無沙汰しておりました。


ゴールデンウィークは、人生で初めてのハワイに行っておりました。


本当に良いところですね。皆さんにも行った気分を味わってもらおうと、写真を掲載したいと思ったのですが、風景写真をほとんど撮っておりませんでした。。。


こんな感じではいかが?


ハワイ@プールサイド


ホテル内のプールサイドで横になりながら、空があまりに綺麗なので撮ってみました。


ハワイの空を見ながら、ニッポンに想いを馳せた。。。


ニッポンで暮らしている私は本当に時間に追われている。。。こういう時間の過ごし方、生活のあり方のカタチをニッポンで実現できないのだろうか。。。


ハワイは美しすぎる。街並みも自然も。海も山も空も。そしてワイキキビーチ沿いにはファッショナブルなブランドショップやホテル、レストランが並ぶ。どれも絵になる。


聞いてはいたが、日本人がとても多い。日本語で事足りる。ある意味、日本人のためのリゾート地だ。フシギな場所ともいえる。


ハワイという場所は、ニッポンにとってもアメリカにとっても歴史的な意味で非常に重要な場所だということも知った。

パールハーバー、日本からの移民、などなど。


この時代、ハワイがどのような意味を持つのか、それは昔とはかなり異なるだろう。


でも、私は感じた。ニッポンとハワイはこれからもずーと仲良しだ。そして憧れの場所だと。


世界にはたくさん良いところがある。そういう場所が増えれば増えるほど、たくさんの人に喜びを与えることができるはずだ。


平和で満たされる時間をくれる場所。こんな場所が世界中に広がれば良いな~。もちろんニッポンのあらゆるところにも。









日本人は、戦争でやったことを未だに悪く言われている数少ない国民だと思います。


アジア各国で日本に占領された国から特に批判されています。


そして、日本が敗戦国にもかかわらず、経済的には豊かな国になったので、妬んでいるようにも見えるのです。


確かに、日本がやったことは非道であったのかもしれません。


でも戦争中はみんな非道だったと思います。

日本も原爆が落ちたし、多くの犠牲も払ったといえるでしょう。


今でも戦争しているところは、勝っても負けても悲劇なんではないでしょうか。

すでに人間の道から外れているといえます。

しかし戦争に至る事情や背景を抱えていることも事実かもしれません。

そして、それは当時の日本も同じだったはずです。


それなのに、日本は終戦して60年が経ったというのに、いまだに色々と言われてしまう。

そして、政治や外交のネタにされてしまう。カモにされてしまう。


過去の清算は本当にできていないんでしょうか?

何をどのようにしたら、日本はこの歴史の遺恨から脱皮できるのでしょう?

「清算」とは何を意味しているのでしょう? 公式に謝罪することか? 経済支援をすることか? 靖国参拝を控えることか?


ニッポンは、アジアの中では尊敬と軽蔑の両方を受け止めているフシギな存在です。


史実に基づいて、きちんとクリアにし、恥ずべきことは恥じ、謝罪し、そして、主張するべきことはとことん主張すべきだと思います。


日本から占領され支配されたと考える国々は、自国の現状が日本より劣っていることを知ると、とたんに日本を攻撃する傾向があるように思います(もちろん各国の教育の結果でもあるでしょう)が、


じゃあ、焼け野原からGDP2位になった日本はどうなるんだ? という話です。


それぞれの国でそれぞれの過去や歴史を抱えていることです。

しかし、自国の歴史や現状を他国のせいにして、自分達の努力を棚上げしている人達が多くいるのも確かだと思います。


もう腹を探り合うような気持ちの悪い関係はやめて、きちんと腹を割って話しあい理解し合い、

どんな国同士も相互に成長する良好な関係になってほしいと切に願っています。









4月になりました。今日はエイプリールフールだけど、本音で書いてますのであしからず。


さて、桜満開の今日この頃、3月30日に東京ミッドタウンが六本木にオープンしました。

もう行かれた方もいるんじゃないでしょうか。


私はまだ行っていませんが、事前情報をいくつか入手して研究していたところです。


私の印象としては、東京ミッドタウンのコンセプトは、「文化の交流拠点」だと捉えました。

もちろん、日本文化もしっかりアピールしている。

しかも対象が、日本人ではなく、外国人ですね、世界各国からビジネス活動など頻繁に東京を訪れる方々の心を捕えたいのだろうと思います。

東京がニューヨークのような異文化が交わる都市へ変わろうとしているひとつのシンボルかもしれません。


実際に行ってみてからまた考えていこうと思います。


しかし、こういう場所を、六本木じゃなくて、もっと都内でも分散して造ったら良いんじゃないかな~。





みなさま、ご無沙汰しております。


3月に入って初めての更新です。


タイトルにも書きましたが、なぜとにもかくにも3月というのは本当に忙しいんでしょう。。。


かくいう私も海外を飛び回り、国内でも飛び回り、ようやく少し落ち着いてきたところ。


会社の決算月の多くは3月だし、卒業式も3月。人気の連続ドラマも3月で最終回。

ホワイトデーも3月にあったりして、きっと大忙しの方々もいたんではないでしょうか。


冬から春の訪れも3月。そしてもうすぐ春休みの学生たちが卒業旅行に出かける時期。

東京でもお花見の季節。すでに暖冬で花見可能な所もたくさんあると聞いています。


3月には、不思議な時間が流れているようです。


みなさんはいかがお過ごしでしょうか・・・・?


個人的な話ですが、私も人生の転機について考えたりしています。


今、日本は、いろいろな意味で変わろうとしています。

変わらないといけない時期に来ています。

AEONとダイエーのM&Aにみられるように、いままでにない多くの変化を迎えています。

そして、そのほとんどが、私達の生活のリズム、スピードを上げようとしています。


そのせいで、時々、周りの景色が見えなくなる。


そして、3月に流れている、不思議なリズムの鼓動さえ、気付くことなく通り過ぎてしまうこともある。


私は、それでも、花見を愛する日本人の心が好きです。


寒い冬を耐え、暖かい春を待つ、日本人のほのかな感情が好きです。


そして、このセンチメンタリズムが、いつまで残っているのか、それはそれで大きな関心事なのです。

なぜなら、私自身の中で、こうした心や感情が薄れていっているのを感じるから。


このままこのスピードで人生を駆け抜けていいのだろうか。


そんなことを考えさせられる、3月のフシギ。




みんな誰しも「なりたい自分」、こうなったらいいな、と考えていると思う。


でも、実際、本当にそうなれるような真の努力をしている人は全体の何パーセントくらいだろうか?


また、なりたいと思っても、それが、社会秩序に合っていない場合もあるだろう。

たとえば、「俺は怪盗ルパンのような大泥棒になる!」といって、そうなるための努力をするとしても、それはなんとなく努力の方向性が間違っていることは否めない。


各自、理想があって、たとえば、誰々のようになりたいって憧れみたいなものってあると思う。

実際、ビジネスの世界でも、アーティストの世界でも、そういうのがあると思う。


確かに、成功というのは、本当になりたい自分になったときに使える言葉のような気もする。


ただ、実際には、なんのしがらみ無しになりたい自分になれる人はいない。

この人生はフィクションでもテレビゲームでもないから、自分が生まれてから死ぬまで、その中で出会う人や数々の偶然から現在が作られ、そして、今現在をどう生きるか、どう変えるかで、未来が作られていく。


本当になりたい自分という結果のために本当はやりたくないことも行ったり、捨てたくないことも捨てていたりしたら、その最後は幸せなのだろうか?たとえば、歌手として成功するために好きだった恋人と別れたり、ビジネスで成功するために友人と決別しなくてはならないということが現実には起こる。


そういうやり方は間違っていると批判されるとしても、この世の勝者からするとそうしたことも必然的な決断だったかもしれないし、何を語っても、結果がすべてであるから、もし、望むべき一定の結果に至っていないのであれば、それは何か過去に行った決断や行動が間違っていたと考えざるを得ない。逆に言ってしまうと、成功すれば、過去にやった決断や行動は正当化されることが多いことも確かである。 (もちろん、ここで言っている「成功」とは、本人がなりたい自分の姿になっていると本人が思っていることである)


実際には、ほとんどの場合、現在に対する過去は、すべて後付けであり、意味づけでしかない。


だからこそ、過去こうだったかこれからもこうしなくちゃっていうのは非常に危険な考え方である。

他人の成功例や方法論をそのまま鵜呑みにしてはならない。


あなたにはあなたの人格がある。日本人には日本人に合ったやり方がある。ニッポンにはニッポンの流儀がある。


確かに自分(自社・自国)以外の成功例や成功者から学ぶことはたくさんある。


でも、それはあくまで、あなたが判断しなくてはならない。

コピーするのは勝手だけど、その責任はすべて自分にあると考える必要がある。


本当になりたい自分になれる人は、そうした責任を全うできる人だと思う。また、そう信じたい。






沈黙を破ってようやく更新です。

ずいぶん更新が遅れてしまってご心配をおかけしたかもしれません。

いろいろと考えさせられる貴重な体験をしていました。

いつかブログにも書く日がくるかもしれません。


さて、先日、広末涼子さんの出演している『バブルへGO』という映画を見ました。


評価はいろいろだと思いますが、私としては非常に考えさせられる内容でした。


実は、私は、日本がバブル絶頂のころちょうど海外に住んでいたので、

正直、今、私がバブル時代に日本に住んでいたら、どうだったんだろうと、本気で考えました。

やっぱり雰囲気に流されてしまったかな? とか。

ただ、その頃はまだ幼かったから、経済のことも投資のことも、土地のことも不動産のこともよく分かりませんでした。


今、あの時代の映像を見て、本当に驚きます。

というよりも、戦後、何もかも失った日本が、欧米に追いつけ追い越せで、経済の成長をなによりも優先して無我夢中でやってきた、その努力のピークが結実した時代だったんじゃないでしょうか。

ニッポンの底力、「意地」のようなものが世界に轟いた時代だったんじゃないでしょうか。


あの映像を見ると、日本全体が本当にハッピーな感じがしますよね。

「豊かになって贅沢して何がいけないんだよ?みんな豊かになって楽しく生きようよ!!」ってみんなが信じていた時代。

もちろん、その時代にも、そうした生き方を横目に傍観していた人もいただろうし、実際にお金に困っていた人も一定数いたはずです。でも、多くの人が株式や不動産に手を出してリッチになりたいと思った、つまり、豊かになりたいとみんなが思っているわけで、それは、お金の悩みが無い状態をみんなが必要としているからじゃないでしょうか。


そして、バブルは崩壊してしまいました。


今となってはもちろん説明がつきます。

政策的な過ちもあったかもしれませんし、映画のストーリーのように、一部の人間のためにバブルという風船が割られたのかもしれない。もしかすると、日本の成功をねたんだ人間達の仕業だったかもしれない。

ただ、マネー経済だけではこの社会は成り立っていないということが実感できた瞬間だったのではないでしょうか。


バブルがはじけて日経平均は8000円を割り、その時点から、半数が外国からの投資家によって買われた。

日本経済は今、株式市場だけ見ると植民地のような状態です。


じゃあ、バブルは悪かったのか?


いや、私は逆に、あの映像を見て、私は、バブルはいい時代だったんだな~と思ってしまいました。

なぜなら、みんながハッピーに見えたからです。


わたしたちの人生がお金に困らない人生になったら、どんなにいいでしょうか?


お金は誰でも使い放題で、何でも好きなものが買える。

たとえば、蛇口を開けば金貨が出てきて、それをお店に持っていくと何でも買える。

経済的に各自が自立し、どこかの組織に属する必要もない。

欲張りな人も、富を独占しようとする人もいない。

互いのことをいたわりって助け合うことができるし、好きなことをしたり、自由に暮らせる。。。


なんかとっても良さそうなJAPANになったと仮定しましょう。


感覚的な話ですが、自殺する人も減るだろうし、いじめもなくなるんじゃないでしょうか?


今日、日経平均が18000円に回復しました。

今回のは、「回復」というより、本当の意味で(バブルではない)日本の成長の証かもしれない。


でも、みんなが本当に豊かさを感じているだろうか?みんながハッピーな感じがするだろうか?


また、こうも考えます。

日本は確かに経済的には成熟してきている。

でも、社会的に抱えている問題は、昔よりもずっと複雑で、かつ難問になってしまった。

これは、経済の力で解決できるのか? と。


当然ですが、私も自分自身がこれからももっと豊かに、そして幸せになりたいと思っています。

だからこそ、自分でできる限りの努力もしていると思います。

でも、それは、ある意味では不安に駆られるようにやっているところもある。

だって、努力を怠ったら今享受しているこの豊かさの恩恵からはじき出されそうですから。

資本主義というか、この世のシステムが、「働かざるもの食うべからず」となっているんだからある意味仕方ない。


逆にいえば、そのシステムによって、みんなお金の亡者のようになってしまい、お金はあくまで中立なのに、お金を信奉するようにもなってしまったんだろう。そして、お金(経済的利権)を奪い合うような醜い争いも生まれてしまう。お金もかわいそうだし、そうなってしまう人間が最後は哀れだ。


そして、私は今、ニッポンのために願おう。


一億総中流と呼ばれた日本人が、一億総富豪になりますように。 


(そして、もちろん世界60億人以上の人間全員がそうなることを願っています)


アラブのように、石油リッチな国民もいる。


スエーデンのように、生涯かけてたくさん税金を払って、退職したら、悩み無く暮らせる国民もいる。


そんな国も確かにある。


ニッポン経済の不思議のひとつ。


みんな一生懸命に働いているし、買うものもたくさんあるし、常に便利だけど、いまひとつ全体的な豊かさを感じられない。


なんでだろう~~~~。


誰かタイムマシンを早く発明してくれないかな~~~~。


もしくは、「いつでもバブル」という夢のような国を出してくれ、未来のドラエモン。













日本は暖冬のようです。

ニュースを見ると、温暖化現象と騒いでいる。

事実、本当にそうかもしれないと、考えてしまいます。


ふとよぎったのは、「地球には寿命があるのか?」ということ。


ニッポンも、今、現代国家として、より成熟した大人になろうとしている。

つまり、文明の寿命があるように惑星にも寿命があるのでしょうか?


いろいろと調べていると学説的には、宇宙の誕生(ガス爆発)をめぐって、太陽の寿命と共に地球がなくなる時期が50億年後であるとか、実際に真剣に考えている人たちがいるということは分かってきました。


私達の信じている文明の発展が環境・生態系を破壊し、その結果、もしこのまま温暖化が進むと、たとえば南極の氷が解けて水没する国が出てくる、、、、その前に宇宙ステーションに移住しよう、、、、


なんて、まるでアニメのような話ですが、


実際に、京都議定書を各国が結んでいるということは、国家のリーダー達が、このままではヤバイという危機感を感じているからなのでしょうか。


かつて、ローマ文明も永久に続くと信じられていたけど滅びたし、マヤ文明だとかも滅びた。

人間の歴史はこれまで、結局盛衰の繰り返しのようなところがあった。


私達はこの現代社会が永続的に続くと願っているだろうけれども、それは逆に歴史から見ると不可能に近いことも確かです。


昔の人がどれくらい地球の環境について考えたかはわかりません。


ですが、今の豊かな暮らしが、こうした環境問題に発展するとは誰も想像してなかったのではないでしょうか。


話がヨーロッパに戻りますが、ドイツでは、すでに20年以上前から、スーパーのビニル袋は有料でした。私が住んでいた地域では、1袋10ペニヒくらい、今の価値にして、5円くらいだったと記憶しています。今回のドイツ訪問でも10セント~15セント(ユーロ)で、日本円で15円~20円くらいでしょうか。


なんでそうなったのか、背景まで調べていませんが、ヨーロッパはそのような意味でも先進的であったのでしょうか。生活していた私から言えば利便性(コンビニエンス)と引き換えだったわけです。この前も、やっぱり日本に比べると、生活面での利便性はかなりの違いがあるかもしれません。


最近日本では、AEONの一部の店舗がビニル袋を有料化しました。

私の近所でもそうです。他にもそういう動きに追随しているようです。


でも、もしかすると現状はそれくらいの取り組みでは遅いのかもしれませんね。

じゃあ、いったい何をしたらいいんだろうって思いますよね。

気持ちとしては、ビニル袋だって無いとやっぱり不便ですしね。

だって、買い物袋を持ち歩くって慣れてないですよ。


来年は暖冬でなく、「従来の」冬になってほしいと思ってしまいます。

寒いのは苦手で本当は南国に定住したい派ですが、

人生はやっぱり No Pain, No Gain といいますが、No Winter, No Happiness なのかな。

地球のために、子孫のためには、私達の便利さだけを追い求めてはならないということになりますね。


環境問題の奥深さを感じてしまいました。


白物家電をたくさん作って皆の生活を楽にしたはずなのに、環境問題の元凶になってしまっているこの皮肉。

そのメーカーの方々は、環境対応製品をたくさん作ったり、環境改善運動に寄付金を出したりしてそのツケを自ら払っているようにも見える。。。


あ~、どうしてこの世の中は複雑にできているんでしょうね。だから面白いのか。。。