ここ何日か、ブログに記事をUPしてきたニコ

でも何か違和感がある。

 

そして今日はブログの題名を変更することにした・・・でも納得のいく題名にはなっていなくて笑い泣き

そしてやっぱりやりたい伝えたいブログではないと思って、今日すごく方向転換・・・というか方向修正をしようと決意した。

 

でも・・・・

 

ホントに伝えたいことがあってブログを開設したけれど、まだ迷いもある・・・こんな公の場で話していいものか。と。

 

このままブログを書き進めても、何の為にやっているのかと毎回思うのだろうなぁ。と

誰かのためになるようにと・・・私の知っている情報を発信したところで、たぶん伝わらない。

 

なぜ私が伝えたいのか。をちゃんと話さないと・・・

私は世の中の人が悩みを持っていても、幸せであってほしいと心から願う気持ちを伝えたいこと。

 

本当の幸せと言うものがなんであるかを。

たまたま私は証券会社を出身ということもあって、お金のことはみんな悩んでいるから、まずココからみんなの役に立てないかな。とスタートを切ったけれど

 

お金があっても幸せと感じていなければ、私のやりたいことではないし。

 

それはちょいちょい、お役立ち情報を伝える時に話をすればいいのかな。って思うようになって。

 

 

 

他からみて幸せに見えていた事が、満たされない毎日で、感謝はあっても幸せは感じていない

その気持ちを抱えていた為に私が失敗した事。

 

本当の幸せを作ってもらいたくて、幸せを感じるような気持ちを持ってもらうことをしてもらいたくて。

そのきっかけになるような話しをしていくことを先に始めようと。

 

幸せを感じる時は一人一人違う。 嬉しいと思うことも一人一人違う。

・ささやかな幸せですごく幸せを感じる人もいるだろう。

・ささやかなことで嬉しいと感じる人もいるだろう。

・すごく欲が多くて他の人が幸せだと思ってみえることでも、その人にしたら幸せとは感じられないと思っていることもあるだろう。

私はこの3つ目のタイプなのかと思っていた。ある人のブログを見るまでは・・・

 

でもその人のブログを見て私も同感な気持ちがいっぱいで涙が止まらなくなった。

 

 

今まで私はなんて自分は傲慢なんだと。こんなに感謝することをいっぱいしてもらっておきながら、私に複雑な思いがあるなんて、私はなんて出来ていない人間なのかと。こんなすばらしい家族の下に育っていながら私はなんて・・・と否定ばかりの人生。

 

でもその気持ちがすぅーと軽くなった。罪悪感も無くなった。

 

私の捉え方が傲慢だったわけじゃない。

 

私は一人変わった性格だと家族に思われ言われてきた。

 

家族がわかってもらえないからきっと他人はもっとわかってくれない。と思ってきた。

 

でも違う!他の人でもわかってくれる人がいた。

 

一人ぼっちと思い続けてきた思いが無くなった。

 

だから私も誰かに伝えたい!!

 

 

 

一人一人の本当の満たされた幸せを見つけてもらいたくて。

 

他の人が貴方を見て幸せそうな人だと判断してもらうことが幸せなのではなく

貴方の心が満たされる幸せ

 

掴んでもらいたくて。

 

 

 

私が数日UPしてきた内容は今後は物理的な要素として組み込ませていけたらな。と

私自身、心が満たされてきて始めて物理的な要素の幸せまで気持ちが行き届いたのでその経験してきたことを始めから。そして幸せだと

思えるところまで来て、その後の将来に今は不安がないというところまでを、どれくらいの回数をUPしたら伝え終わるのかわからないけれど

UPしていけたらと思ってます。

 

なので、今までの内容にお付き合いいただいた方、ありがとうございました。

 

まずは心を豊かに保つ方法から話を始めます。

 

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私は幼少期の頃からずっと心が晴れずに過ごしてきた(いきなりすごい告白だけど)

 

ずっと隠してきた気持ちがある。

 

 

 

『家族って何・・・。』

 

 

 

私は家族に悩みを打ち明けることや、相談できない幼少期を過ごしてきた。

 

厳しい親と容姿も学歴も優れた姉妹との距離が私にはある

 

心が満たされない大きな理由。

 

 

 

まずは私の身の回りの話をしておこうかな。

 

家族はいつも一緒に過ごしてきた。

私には両親もいる。他界してしまったけれど、祖父祖母も幼少期は一緒に過ごしてきた。

兄弟もいる。私は真ん中。7人家族。

 

両親がちゃんといて、父は自分で事業を営んでいた。母も仕事に通っていた。

祖父母は老後は悠々自適な生活を送っていた。

兄弟は4つ年上と私と3つ年下に。

 

幼少期、小学校の頃はそろばんと習字とピアノを習っていた。

 

そろばんは小学校2年生か、3年生の夏休みのある日に母から「今度の○○日、××のそろばん塾に行ってきて。」と言われて

初めて行くように言われた日が体験なのか、初日であったかもよくわからない。母が付いてきたわけでもなく一人でドキドキしながら行ったことだけ覚えている。

二回目行く時にはカバンやそろばんが準備されていた。言われたとおりに中学校に上がるまで習った。サボってばれて一度だけ怒られてしまったけど、それ以外はまじめに通った。火・木・土と週に3回あった。

 

習字は初めて行った日の記憶もないし、何歳から始めたのかもわからない。年長にはすでに習っていた。その時の習字で書いたものが残っているし、小学校にあがったころにはもう習っていたから。

日曜日に通っていたのは覚えている。日曜日の朝早くからやっている子供向けの番組は習字から帰ってきてからぎりぎり間に合って見ていた。朝ごはんを食べながら。我が家の父は厳格だし、祖父母は朝が早いので毎日平日休日関係なく朝ごはんは決まった時間くらいに食べていたが、習字の日だけは帰ってきてから朝ごはんだったように思う・・・いったい日曜日の何時から習字に通っていたのか。昔(昭和の子供)はそんな朝早くからの習い事は普通だったのかなぁ。と不思議に思うこともある。

その習字をいつやめたのか、どんな経緯でやめたのか、最後の日がいつだったのかもまったく覚えていない。小学校3年生か4年生まで習っていたのだと思う。先生の名前すら覚えていないし、顔も思い出せない。はげていたことだけ覚えている。親が全部決めた。

・・・実は親に未だに言った事がないけれど、私が一人で通うようになって、私は先生のひざに乗せられて習字の話か、何の話か覚えていないけれど、とにかく話を聞かされていたことが何度かあるが、その時先生はずっと私の股間を触っていた。それも結構ここでは言えない場所。下着の上からだったけど。

その当時は笑いながら先生の手をよけていたけれど、大人になって思えばすごくいやらしいことをされていたんだと思う。小さすぎた私は親に相談するような話ではないと思っていた。まぁ嫌だったけど、親の言われた習い事だからという気持ちがあった。

 

 

 

そんな嫌々ならっていた習い事の中で私が自分から習いたいと言ったのはピアノだけ。

保育園の先生がピアノを弾いてくれるのを見て、私もいつか習いたいとずっと思っていた。

念願かなってもうすぐ6歳という5歳で習わせてもらった。

最初に行った日を覚えている。最初のレッスンの内容も。

 

小学校3年生のときにピアノを買ってもらったことはすごく嬉しい思いでに残っている。

業者が家にきてピアノを決める話を親としている時のこともしっかり覚えている。

ピアノが届くという日は学校から帰るのが楽しみだった。

ピアノを弾く前は毎日手を洗った。ピアノはよく磨いた。本当に、本当に嬉しかった。

大好きだったピアノは月曜に習っていた。

 

 

習い事が多かった私は週に月・火・木・金・日と習い事があった私は水曜日と土曜日だけ友達と遊んだ。

その他にも月に1冊届く算数と国語の通信講座の学習ノート。これはなかなか進められなかった。習い事もあったし、習い事の無い日は友達と遊びたかった。日に日に溜まり、たまに見せろと言われやっていなかったらことごとく怒られる・・・そうならないように、答えを写してやったと見せているうちに、答えを見ていることがばれて、怒られ、答えは切り取られてしまう始末。勉強が嫌で嫌で仕方なかった。

 

しかし今となればこんなに習い事をさせてもらったのは私の将来のためにとやってくれたこと。

私の兄弟もみんなこれくらいの習い事をしていた。3人の月謝代はすごかっただろう。嫌々やった習い事もあったけど、一番させてもらいたかったことをさせてもらえたので、感謝している。

 

感謝はまだある。

 

中学校に進学して高校受験のためにと部活をしながら塾に通った。

少し英語ができるほうだったので、隣の市の塾に変更して毎日電車とバスを使って塾に通った。授業料が高い進学学習塾だったのに

交通費まで出してもらい通った。

 

 

それなのに、高校受験に失敗。行きたい学校に入れないと決まってからの私は全く受験勉強をする気がなく、家から徒歩で通える学校でいいや。と偏差値もよくない学校へと進学を決めた。全く受験勉強しなくても受かったので、偏差値がよくないのも想像してもらえるはず。

 

近所の子はいい学校への進学を決めていく中、うちの親は勉強、勉強と口うるさく言われてきたのに、高校失敗してどれくらい怒られるのかと思いきや、全く怒られることはなかった。その逆で父からは「次の進学がどこになるかでお前の人生は決まる!高校失敗したくらいでお前の人生決めるな。これから新しく習う分野のものは一番を取れ。それはどんな高校でもみんなスタートラインは同じ!お前の自信になる。」と。励ましてくれた。その通りに高校から習う古文は一番を取り続けた。

 

そして高校では失敗したけれど、次は失敗したくない。と高校も塾へ通わせてもらって私は行きたい英文科専攻の学校へ進学を決めることが出来た。父に励ましてもらったことで失敗をプラスにすることが出来た。別の機会に話そうと思うけれど、私は人生で3回父に励ましてもらったことがある。これがまず1回目。厳しくて監視がすごい父に感謝していることはお金の面とこの3回のみ。他は私のためにと理解しているはずだけど、私には受け入れられないことばかり。父については次の機会で話そうと思う。

 

進学を決めてからは勉強がハードで毎日辞書が欠かせなかった。

胃がいたくなり、学校から連絡を受けた母が迎えに来てそのまま医者へ受診となった日もある。

英文化教職科を専攻した私は夏休みになっても東京の大学から来る教授の講義を受けるため学校に通った。(学校が夏休みの間しかその大学の教授も来られない為である。)その教授の講義もみんなが始めてスタートに立つ授業。今までに習うことのない授業だった。だから言われたとおり頑張っていい成績を残せた。私の指導案はその学校の授業で例として使っていただいたこともある。本当に努力が実ったと思った瞬間だった。

一度は高校を失敗し挫折したけれど、頑張れば私にも出来るんだと思ったときだった。

 

私は学生の頃1ヶ月だけ、姉妹校に短期留学させてもらった。1ヶ月に70万円ほどのお金も出してもらった。

寮生活だったので安めとは言え、1ヶ月に70万円も使うなんて、とんでもない贅沢な話だった。

 

ただ順調に短期留学に参加したわけではなかった。

参加を反対された。学科の生徒がみんな参加するのに、私だけが行きたいのに行けないと返事をした。単位も取れるので学校の授業の一環のような短期留学だった。締め切りの日ぎりぎりまで親と相談してみて。と先生は言われた。

 

本当にお金が無かったわけではないが、その後の進路で英語を真剣に使う予定であるわけでもなく(親は公務員にさせたかったので、進学してすぐに夜間の公務員受験コースの専門学校のような塾に通わされていた)一時的なことに70万円も出せない。と。

 

1、2度話したけれど、取り合ってもらえなかったので私はあきらめてしまった。

 

すると締め切りの次の日に学校から家に電話があり、当時の先生に言われた

「負け犬が勝ちって話を聞いたことある?貴方が今行きたい、行きたいって押してばかりいるのではなくて、親御さんの話を聞いてご覧なさい。なぜ駄目っていっているのか。貴方は『だめって反対ばかりして!私は行きたいのに!』って意地になっているようにしか聞えていないんじゃないかしら。もう少し親御さんの話を聞いてみて『そんなんだ。だから反対しているんだね。わかった。でも私には私なりに、こういう経験を積みたいと思っていたからお願いしていたことなんだ』と親御さんの話を肯定してから自分の意見をいってごらんなさい。今は駄目と言う親御さんに腹を立てている気持ちもわかるんだけど、受け入れることによって親御さんも貴方の気持ちを受け入れてくれるかもしれない。締め切りは過ぎたけれど、もう少し待っててあげるから、話してみたら?」という内容だった。

 

どういう話をしたか緊張しすぎて覚えていないが、何とか許してもらえることになり、先生に報告した。

 

そう。私はいつも父と話す時に緊張する。

 

なにも話すことが無い日でも仕事から帰ってきた父の顔をみていつも「今日は機嫌がよさそう。」とか「今日は機嫌が悪いな」とか判断してから自分の部屋にこもるか、リビングにいるか。我が家は各部屋にテレビを置くことを禁止されていたし、今みたいに携帯でなんでも出来るような

時代じゃなかったから部屋にこもっても何もすることがない。リビングにいたいが気が休まらない。そんな毎日だった。

 

横になってテレビを見ていると怒られるような家だから。

機嫌が悪い時に横になっていたら「だらしない」と怒られる。

冬コタツに入って横になっていると怒鳴られる。

 

父が帰ってくる間コタツに入り横になりうとうとしてしまい寝込んでしまって怒られたことが何度かある。

だいたいは寝ていても父の乗っている車の音が(バックしている音)が聞えると勝手に目が覚める。しかも飛び上がるように。

少し心拍数も上がる感じ。想像付きますか???

 

機嫌の悪い日はとにかく父の怒らないように近くにいないようにしていた。

 

 

 

 

気持ちが休まらない家だったけれど・・・・・・

とにかく私は両親のおかげで独身時代は免許を取るお金も、初めて乗る車も親が全部出してくれたし、お金で困る生活などなかった。

 

 

 

他から見れば恵まれた家族だったと思う。みんな友達もそんな親だとは知らないし、まず友達が来ていても部屋にテレビがないし、部屋も一人部屋は与えてもらえなかったので(部屋が狭いとか無いとかではなく、子供部屋として三つの部屋が統合されていたような感じでカーテンや家具でスペースを区切っていたので友達が来ても友達が休まらないから、友達を家に呼んだ記憶がない。ましてや彼氏なんて、家に来てもリビングのみ。彼氏が家にくるのも結婚が決まってから。それまでは隠し続けて恋愛をする感じ。学生の間は20歳を過ぎていてもご法度。

 

「学業が本業だ。」といって恋愛なんてしていようものなら怒られた。

 

 

私が挫折をしたときは救ってくれるので、理解のある父だと思う反面、とんでもない厳格・・・が異常な一面がある。

 

親が原因で自殺を考えたことがあるなんて・・・虐待か??と思いますよね。でも虐待という思いは持ったことはない。

先ほど話したように、挫折した時は救ってくれるし、助けてくれる。虐待では決してないですよ。

 

でも自殺したいと思うまで追い込まれる厳しい現実があったことも確か。

 

 

 

 

だから複雑な思いがある。

 

感謝している=幸せ

 

とは違うのではないかと。

 

 

 

次回は父について話してみようと思う。それでは。