こんばんは、生まれながらに床屋の息子の佐世保市花高で床屋をしている理容師 福田 謙吾です
でもなんで「理容室」は「床屋」っていうの
と疑問に思われた方も世の中にはきっと少なくないと思います(そうであってほしいと願ってます(笑))
理容業、美容業の前身が町中に見られるようになったのは16世紀中期の室町時代末のころの京都といわれています。
そのころの名前は「髪結床・かみゆいどこ」といい、男性のちょんまげを作っていました。
そのころは上の部分(月代・さかやき)をカミソリで剃るのではなく、なんと木製の毛抜きで髪の毛を血を出しながら痛い思いをして抜いていたんです
今なら絶対に誰もしないでしょうね。。
江戸時代には町内に髪結床(店舗)を構えて営業する人を内床(うちどこ)、髪結床を持たずに得意先を回ってあるく職人を出床(でどこ)と呼んでいたんです。
その名残で今でも床屋というんですね
ちなみにお相撲さんの髷を結う職人さんは「床山・とこやま」さんといいます
多分、学校のテストには出ることはないので「そうなんだぁ。」くらいの軽い気持ちで覚えておいてくださったら嬉しいです