こんばんは。
さっきね。ツイッターでこんなのを見かけた。
全く同じには書きませんが、要約します。
簡単に言えば、政治家の悪口を言っていただけなのだが、それは言論の自由と言えば、自由かもしれないが、その言葉は日本人、そして◯◯宗のお坊さん。
お坊さんが偉いとか人の上に立つとか、そんなことは思わないが、口の悪いお坊さんはいるという事実。
僕も感情的になれば口が悪くなるので、このお坊さんを悪くいうつもりはないが、お坊さんだから間違ったことは言わないとか、お坊さんだから不真面目な人はいないという、僕の変な固定観念は固定してはいけないと、今回はそう思いました。
善人は良い人。
禅人は僕の造語ですが、僧侶でもお坊さんでも善人であれというのもどうかと。
この世の中は肩書きがあまりにも強力過ぎて、看護師だから手当てしてくれる、警察官だから逮捕してくれるみたいな、明らかに外から見た固定観念が人の心に根付いてしまっているせいで、ひとたび事件が起きると、観た人の印象はものすごく良いかものすごく悪いかの、二極にしか針が動かなくなってると思う。
中庸とか普通とか良い塩梅、という計りかたが昨今は少ないように思えてならない。
極論を言えば、許すか許さないか。
これは怖いことである。
物事に良いと悪いしかないなら、どちらでもないという、日本人特有で武器にもなる「曖昧さ」が、認められないことになり、はっきりしろ!どっちなんだ!
という、グレーゾーンに存在することが、意見としての心も、物体として見える身体も、中途半端が許されなくなり、喧嘩ひとつとっても、「俺はどっちの味方でもないよ。」は通用しなくなるということになりかねない。
スポーツでいう引き分けがない世界。
これは怖くないですか?
