今日は、そこそこ暑いです💦

某スーパーから届いたいくつかあるうちの、かき氷。

蓋を開けると、…

えっ👀⁉️!


ご覧の通り、半分までいかないが空洞が。

フリーダイヤルに言おうかと思いましたが、せっかくのかき氷が溶けてしまうので、やめました。
次は普通のかき氷でお願いします🙏


今日も変わらない一日が始まる

マニュアル通りの仕事に始まり

残業させずに帰らせる

だけどそれは労りでなく見積り


同じ職場で働いてても

違うことはいっぱいある

性別、年齢、未婚、既婚

社員、派遣、アルバイト、パート


日本で暮らす日本人だけでも

ざっとこれだけ違いがあるけど

世界で叫ばれる人種差別は

本当は実は案外容易かったりして


あまりに近すぎる関係性は

時に修復不能なくらいに

感情も憎悪も絡まって

ここに生まれてきたくなかった。


今日も悩ましい一日が始まる

オートマチックに仕事をこなして

電子タバコを燻らせる

だけどそれはストレスでなくクセです


同じ地方に住んでいても

思う事はいっぱいある

静寂、騒音、秘密、過密

ないしょ話は有るようで無いの


あまりに近すぎる距離感は

時に以心伝心なくらいに

要望も返答も相まって

ここで暮らしてくしかないのか。


今現在、障害者である。



差別、偏見、いじめ、これらは障害者だけに限白人ったことではない。


人種の差別、黒人、白人、アジア人、今は特にアメリカでアジア人に対する攻撃がニュースになっている。


同じ人種同士でもいざこざ、口論、否定するんだから、人種が違えばなおさら、差別や偏見の数も多いだろうし、纏まる話も纏まらない事も多いだろう。


しかし、今の話すらも偏見で、人種が違う同士でも仲が良かったり、同じ人種同士でも仲が悪かったり。


世の中には男と女、雄と雌の2つの性別が基本であるが、近年ではLGBTQなどの、性の多様性が出てきている。


自分と他人との違いは、ここまでにあげたものだけでも物凄い数になるので、今日は置いておく。



僕が今日、思ったことは、一般的なのかどうかはそれぞれの認識によるが、障害者差別はしてはいけない。

法律もありますが、障害者差別解消法というのがあります。


過去のブログにもあるので、見つけたら観てほしいが。

簡単に言うと、障害者に対して合理的配慮をしましょう、という事になります。


じゃあ合理的配慮とは何か?


障害者にとって不便なことがあるからといって、必ずしも不便なことを取り払いなさい、という事ではなく。


例えば、ファミレスでテーブルとテーブルの間の人が通るスペースが、車椅子が通れない。この場合は備え付けでない限りは、テーブルも椅子も動かすことが出来るので、車椅子の障害者がお客さんとして来たら、


少しは手間になるけど、テーブルなどを少し移動して、車椅子が通れるスペースを作ることは出来ませんか?

というのが合理的配慮になります。



ということなんですが、今日、僕が言いたいのはこれではありません。


子供の世界でも、大人の社会でも、いじめや差別はあります。


大人の世界は思ってても、口に出さないだけたちが悪いし、悪く思ってる真逆の事を言葉にして出すからさらに汚いよね。


でも、そんな中でも、一見ですよ?(笑)

差別や偏見が無いように感じる職場があって、僕は心臓病です。

だから、あまりハードに動き続けることは負担になります。


が、ハードに動くことは連続した動きでなければ、普通程度には動けるんです。

職場は清掃の仕事なので、休憩ももらいつつ働いています。


職場の人たちも多分、僕が心臓病という事を知ってると思うのですが、大丈夫?とか、あまり心配されることがなく。

上司などはもちろん知っているので、たまに大丈夫?と声をかけてくれたりします。


何が言いたいのかというと、心臓病だから、障害者だから心配して欲しい、という事ではなく(笑)


僕が普通に清掃の仕事をしているからなのか、健常者、もしくは障害者だよね的な、コミュニケーションは無いという事を感じます。


それは、良くとれば障害者だからといって、そういう目では見ないよ、普通に接してるよ。

という事なのか。


そういうオーラとか空気って、割りと感じたり伝わりやすいじゃないですか。

でも、あなたは障害者ですよね、みたいなものを普段の会話では感じないのです。


そこで、ふと思いました。


今までは障害者だけど、そういう扱いというか、そういう目で見ないで欲しい、というような僕の差別は止めて、みたいな思いがあったにも拘わらず、あまりそういう偏見や病気の事を聞かれないと、ある意味淋しさだったり、職場の仲間として認められてない気がずっと心のどっかにあるんです。


障害者差別や、偏見は無くならないと僕は思っています。

でもそれは、僕とは違う部分がある、私とは違う考え方がある、という風な取っ掛かりになると思うので、そういう意味では差別偏見は常に存在する中だからこそ、生きていく上で、自分の選択肢が増えて、可能性も増えて、そこからこれだ!というものを取捨選択していけるんじゃないかな?と思いました。


だから逆に初めから、私はあなたの事を理解してますよ、とか、何でも言ってね?

というスタンスの方が怪しいと思ってしまいます(笑)


久しぶりに書くと、また纏まらないブログになってしまいました。ごめんガーン