アンダーアーマーがドームの安田社長の手によって日本に登場したのが今から12年前の1998年。創業以来チームへの直販体制をとっていたドームが、新たな販路を求めて全国のスポーツ店と取引を開始したのが2003年。その翌年の2004年4月にスポーツシーブイ はドームとの契約を結び、アンダーアーマーの取り扱いをスタートする。

ドームとスポーツシーブイ との強力なタッグにより年々取引額は増えて、現在では大型量販店を除く1店舗としての取扱額は日本有数となっています。

下の写真はスポーツシーブイ の黄色いビルと駐車場横の壁面のアンダーアーマーの巨大看板(高さ180cm、幅450cm)。この巨大看板はドームとスポーツシーブイ の今までのそしてこれからのパートナーシップの証しとなっています。


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プレイヤー達の着る、見たことのないスタイルのシャツ「アンダーアーマー」との運命的な出会い。その機能美に惚れ込んだ安田は、「現役の頃にこれがあったらどんなに良かったか」と感じた。そして、この画期的なウェアを日本に伝えなくてはという使命感に駆られ、すぐさま、米国ボルチモアのアンダーアーマー社を訪問。社長のケビンと意気投合し、日本総代理店契約の締結に至る。
当時、安田28歳、ケビン25歳、ともに元アメリカンフットボールの名プレイヤーであり、年齢も近く、若くして社長を務めるなど、たくさんの共通点を持った二人は、出会った直後から旧知の友のごとくお互いを信頼。以後、電話・メール・往来により常に意見を言い合い、切磋琢磨して築いた強固なパートナーシップは、現在に至る両社の成長の基盤となっている。アンダーアーマーは、これからも国境を越え、アスリートのために真の“パフォーマンスブランド”として進化を続けていく。


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国境を越え、アスリートのために真の“パフォーマンスブランド”として進化を続けていく
全米のアスリートに“パフォーマンスアパレル”『アンダーアーマー』が浸透しはじめた頃、世界に先駆け日本の市場でも展開されることになる・・・。
その『アンダーアーマー』の世界への第一歩の基礎を築いたのもまた、1人のアスリートであった。その男とは、『アンダーアーマー』の日本代理店でもある株式会社ドーム創業者、安田秀一である。安田もケビン同様に幼少よりスポーツをこよなく愛する野球少年であった。その後、高校・大学ではアメリカンフットボール部で主将を務め、大学4年時には全日本代表キャプテンにも選出された。その安田が『アンダーアーマー』を初めて目にしたのは1998年米国スポーツの最高峰であるNFLから招待され、NFLヨーロッパリーグの派遣コーチとして半年間ドイツに駐在した時である。


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今までの概念をくつがえすコンプレッションフィットのウェア。最初にケビンのウェアを着たアスリートは、当初チームメートから奇異な眼差しで見られていた。しかし練習後に汗びっしょりになって戻ってきた選手は『アンダーアーマー』を着用した選手が涼しい顔をしているのを見て、 「そのウェアは何だ?」と聞く。そして次の日には「それ着てみてもいいかな?」と聞き、その現象が次の選手へ伝染し、ロッカールームの一角で始まった伝説は、いつしかチーム全体に、さらには他のチームへと広がっていった…。


そして『U』(Under)と『A』(Armour)を組み合わせた『アンダーアーマー』のロゴは、単なるブランドマークではなく「パフォーマンスを約束する刻印」となる。その初期のブランドロゴはケビンの友人がボランティアで制作したもので、現在の原型となっている。(写真下)


かくして、アンダーアーマーは「選手のもっている能力を最大限に発揮する」“パフォーマンス・アパレル”という、全く新しいカテゴリーを創出することとなる。


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ケビンはこれまでのシャツの概念を全て忘れ去り、素材から編み方、スタイルに至るまで、理想のアイデアを形にするため、ニューヨークの巨大なファブリック市場を探し歩き、また、数々の縫製工場を訪ねて回った。


そしてついに、汗を乾燥させることに全神経を注いだ、“セカンドスキン(第2の皮膚)”のように身体に密着するウェアにたどり着いた。ケビンはこの新しい製品に『アンダーアーマー』という名をつける。

ユニフォームの下に着用する“アスリートが戦うための鎧(よろい=Armour)”という意味を込めて。

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