日時 4月14日 日曜日

午前10時~午後2時30分まで(昼休憩40分)

タワーホール船堀306会議室

テーマ

因縁とは何ですか

その教えを説くほんぶしん

初めに、司会から、今月は本部にて、〝春季大祭〟(ほんぶしん発足記念日、昭和36年4月26日)、が執り行われます。

今月の喜楽新聞一面、〝春季大祭に向けて〟の朗読です。

冒頭及び末文抜粋

「『神ありて我あり』の自覚を持って、この自覚を深めよ。

あらゆる障害に、自らこの自覚を当てて鍛えよ。深化せよ 。

宗教の本質とはこれのみである」

「『神ありて我あり』 神という言葉に、なじみがまだなければ、大自然でもよい。

『大自然の恵みの力に包まれて、私もここに生き、そして、あなたも生きている』」

と『神ありて我あり』 の意味合いについて御教えくだされております。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

春季大祭。毎年この日は、冬ごもりの殻を破って大きく飛躍する時であります。

みろく様によって発足したほんぶしんの意義を再確認する、春の祝典日であります。来たる春季大祭には、「一人が、一人を」 を目標に、積極的にお声がけをして、お道の御縁を繋いでまいりましょう。

続きまして、本日のテーマであります 〝因縁とは何ですか〟に基づいて、『平和祈念のつどい』文、一から十七まで、四名の講師による取次がありました。

目次

一、世の中の乱れはなぜ起こるのでしょうか

二、非行化の激増(げきぞう)

三、親子の道、子供たちにとっては、親は人生の羅針盤(らしんばん)

四、まず、親御(おやご)さんへ

「自分の親に対する心の持ち方は、どうだったでしょうか」

五、子を持って知る親の恩

六、配偶者に対する心の持ち方

七、(てん)(てい)(さん)軌道(きどう)

八、夫婦の道

九、(よめ)(しゅうとめ)

十、生命の根元は陰陽一対の大父母神様

十一、神の世界は理の支配

十二、理の(むち)があること 見える所へ発表される

十三、かしもの、かりもの

十四、自己(おの)行為(こうい)はみな(かえ)

十五、人間の身体は、神からの借物 初めて聞くかりもののお話

十六、天啓者みろく様は

十七、第一ボタンを、 第一ボタン穴に

「神様は、人間の心の中で思うている事、行っている事、何もかもすべて見抜き見通し、」 つまり全て御承知になられているという事です。

欲も心の使い方で、立派に多くの人を救う事も出来る。大きな権力を握った者が、心違いに埃心を振りまわしたら大勢の悩みや犠牲者を出す事になります。

このことを、みろく様は、

「みづのなかなるこの泥を はやく いだしてもらいたい」

これは、人間の心を水に例え、欲の心を泥に例えてさとした句であります。

各自の心そのものは、自他に認識する力であるが、欲とはその力を間違へ、つまり人間は、天理天則という目に見えない軌道のある事を知らないために、知恵を巧みに使えど、表へ現れると脱線する状態が起きてくる。それは欲のためにレールのない道へ走らした状態なのであります。

目先の欲は、あたかも泥のようにどんな綺麗(きれい)な水でも泥を入れたら(にご)って、(きたな)い水になるのも同様、物事の判断力も評価も、心が(にご)っていては正しい判断が出来なくなります。

それは何時(いつ)も心の中で得をしたいと思う事に(こだわ)っているから、冷静な判断を見失う事になるのです。欲という心使いには、限界が無いからであります。時には分っていると思っている常識、道義的な事すら分らなくなってしまうことがあるのです。

世間では、〝欲に目がくらむ〟等とよく聞く事がありますが、つまり欲が心に入ると、心の目がくらんでしまうようなもの。この目がくらんでいる時に、どんなに結構な話を聞かされても、わが耳から耳へと抜けて心の中には()まらないも同様。

神様のお心は、如何(いか)なる時も終始助け一条でありますから、人間各自を真に永久に救い上げるために、人間に、目先の浅い楽しみに我が心を奪われているようでは、後悔しか残らず、得したい得したいと思っている事は、本当は、得をする事は何一つもない。

むしろ大切な自分が損ばかりする事になっている事に神様は気づかせてやりたい。

()の世界は、「差引(さしひ)きの世界」 である事を。つまり 「人を喜ばせたら、我身に喜びの理が回って来る事を知らしてやりたい。」 それには、先ずその欲に(こだわ)っている心の泥を手放し、この教えをよく聞く事、幾度(いくど)幾度(いくど)も聞いているうちに、だんだんと欲の心を手放す事の大切さが分ってくる。

人間の欲というものは、限界がなく、どんな境遇にあっても、初めはよいが、慣れてくるとだんだんと 「あたりまえ」 になり、不満の心しかもたない風に。

従って 「欲の心の欠点」 は自分が出す事を嫌い、相手に出させる取り込みの心が、強く計算高く、不足の心も多く、喜びとの縁もだんだん遠ざかり、身をも滅ぼす道を辿(たど)る事になります。

「与えとは与える心に与わる」 自分が笑わず人に笑いを求めても、笑いは返ってこない。これは種を蒔かずして、結果を求めるようなもので、道理に叶いません。

人間は貪欲性(どんよくせい)を持っている。因って心を磨かないでいると、「見る聞くは、我に有り」 早かれ、遅かれ我もそうなる事を神様は教えておられるのであります。

我欲(がよく)貪欲(どんよく)という心使いは、神様も嫌うのですから、人から好かれるはずはありません。

我欲貪欲という心使いは、自分も滅ぼす最も悪い、(あたか)黴菌(ばいきん)のようなもので、話も聞いている時は、感心をしていても、いつまでたっても喜びの心は、湧いてこないのです。

以上のことから、〝因縁とは何ですか〟のテーマについて、

〝因縁〟とは、心使いの歴史をいいます。善因縁もあれば、悪因縁もあります。

ほんぶしんの御教えに、『天定の三軌道』 や『八つの埃』 や『かしものかりもの』 等を改めて学んで、発見できれば、即実行し、あえて、神様にお喜びいただけるよう勇んで、通らせてもらいましょう。

教理に

「伏せ込んだ理は何処へも行きやせん」と仰せられております。

神様は「誠の種を蒔いた者には一粒万倍の理として受け取ってやろう、そしてその理を返してやろう」とそう仰せられております。

「喜ばせたら喜びの理が回る」つまり「蒔かぬ種は生えねど、善き事も悪しき事も同様、蒔いたる種は早い遅いの違いはあれ、すべて種通り結果が現れてくるのです。

この事を指して 「種通りの世界」 と仰せられています。

 

来月5月の予定です。

日時  5月12日 日曜日

午前10時~午後2時30分まで(昼休憩1時間)

タワーホール船堀407会議室

テーマ

早期発見がいいですか、それとも前期発見がいいですか

その教えを説くほんぶしん

数名の講師により、分かりやすく解説。

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