昨日イベントで「レムリア」という言葉をたくさん聞いて、なんだか安っぽい感じなのがとても残念でした…
なぜ今レムリアを「思い出す」ことが必要なのか
残念ながら、さっぱり想いが伝わってこなかった…
私が過去世で何度も見たレムリアは
生まれてくる子供が「自分が何をしに来たのか」を分かっていて、周りもそれを分かっていて
その子の生きる目的にぴったりの「指導係」が赤ちゃんのときから決められていました。
∞・☯・∞
私は統治者となる子供の指導係で、その子がまだよちよち歩きであっても、子供扱いせず敬意を払って接していた。
私は世界の仕組みを教えていた。
イメージの使い方、具現化の仕方、精霊への接し方、他の星々との関係性、回転の原理、人の心の扱い方など…
「指導係」は10歳程度の子供の姿だったけど、魂は成熟していて歳をとらない。
担当の赤ちゃんが自分と同じ10歳程度に育つまでの先生であり先輩であり友人として人生を共有する。
そして指導係を終えて大人の姿になるかどうかは、自分で選択できた。
おそらく、性別もその時に選択できたのだと思う。
子供の時に性別はなかった。
魂は成熟しているけど無邪氣さと遊び心はみんな子供のままで、シャボン玉で遊ぶかのようにイメージを具現化する能力を使って宙に輪っかや階段や光のシャワーを作って精霊たちと遊んでいた。
イメージが即、現実化する、4〜5次元の世界。
手を広げれば翼になり空を舞い、腕を上で絡ませてスクリューすればイルカのように海も草原も泳げる、そんな世界。
あちこちに半透明の何かがフワフワと舞っている。
風の中には龍がいていたずらっぽくまとわりついてくる。
白い石のドームのような住居に住み、新しい家が作られると精霊使いが精霊にそこに入って家族を守ってくれるようにお願いする。
精霊が了承すると、錬金術師が家と精霊の融合の儀式を行った。
すると、家は生き物のような息吹を持って、そこに住む人々を一生守ってくれる。
家が、住む人々へ慈愛の眼差しを注いでいるみたいな感覚だった。
新しい金属を作るときも、つがいの精霊に別々の鉱物に入ってもらうことで、その鉱物を混ぜ合わせることができた。
家にも、物質にも、宿る精霊がいて敬意が払われていたから、おのずと大切にされた。
もちろん精霊の大元である自然の木々や植物、鉱物、星そのものにも敬意を払い、愛である恵みを受け取り感謝していた。
星そのものからの慈愛の眼差しのようなものも感じた。
それは母親が子供に注ぐような眼差しで、とても女性的。

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・子供への接し方
・家やモノへの接し方
・自然や地球への敬意
・すべてを生命あるものとして扱う感覚
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レムリアを「思い出す」必要があるとすれば
私はそういう感覚と生き方だと思います。
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「貧乏神が来るから大掃除しなきゃ」
ではなく、守ってくれる精霊への敬意と感謝で自然と綺麗に保とうとしたし
「モノを大切にしなさい!」
ではなく、道具も衣類も全部、精霊が宿る命あるものとして感謝しうやうやしく丁寧に扱われたのよね。
「ありがとうを100回」
ではなく、自分を愛してくれている存在たちには自然にありがとうが湧いてくる。
日本人は八百万の神々を感じ、長く使ったモノは「付喪神(つくもがみ)」になると信じていたから、すべてに命が宿り感謝する感覚は元々持っていると思います。
太陽に顔を描くのもね!🌞
宿る生命に敬意を払ったからこそ、「神」として扱ったのだと。
情報空間操作を使うようになってから感覚が鋭くなり、「光子」に書いたように木材や空間からも意識を感じるようになりました。
この微細な感覚を取り戻すことが今の地球に必要だからこそ、「情報空間操作」という秘技も一般公開されたのだろうと思います。
地球は、地球の意識を感じ取ってほしい。
身体が氣付きのために病を生み出すのと同じく
地球は氣付きのために災害を起こすから。
そうなる前に、地球と意識を合わせて人々がその想いに氣付く必要があるから。
微細な感覚を地球のために「使える」人を育てたい。
自然災害予防とクンダリーニの驚きの関係も分かった!
講座にてお伝えしてゆきたいと思っています。