一昨年あたりから「愛」という言葉を使う人にやたら会うようになりましてね。
文字で書いてる人もよく目にするようになりましたね。
「それは愛なのです」
「すべては愛でできています」
そうなんだろうけど、
私としてはなんといいますか
違和感?
聞くたびに違和感を感じて
(たぶん心と言葉の不一致を感じてたんだろうけど)
最終的にどう思ったかというと、
うるさい
黙れクソガキ
だから、
愛とは…
口に出したとたん嘘になる
という中山さんの(正確には宇宙からの)回答を知ったとき、スタンディングオベーションでした。
感じろ、
黙っとけ(--#)
で正解なんだと。
…
ところが最近ですよ、
言葉にすることで愛を経験できる。
という意見をもらって、ハッとしました。
なるほどこれはしばらく考えねばね、
と思ったのです。
愛を経験するってどういうこと?
愛を確認するってこと?
愛の確認方法はその人の成功体験から成るので人それぞれで
言葉のシャワーで確認する人
わがままを聞いてもらうことで確認する人
泣き喚いて抱きしめてもらうことで確認する人
嫉妬させて確認する人
自殺を止めてもらうことで確認する人
どれも分離の不安を外側から満たそうとする行為ですよね?
教えてください、
「愛」と「言葉」について。
という質問に対して出たのがこちら
「恐(osore)」
あなたは「恐れ」を恐れていますか?
「恐れ」は真実の愛を見せてくれる絶大な理解者です。
「恐れ」を恐れているあなた自身を
「恐れ」に委ねてみると
あなたへの愛に満ちた「恐れ」の包容を感じるでしょう。
どうぞ「恐れ」の愛をあなたの心の中へ受容してください。
carinさんのExperiential card no.24より
恐れ=不安だと思います。
このカードに意識を合わせたとき、
プリズムの役目だな
と思いました。
光を屈折させる引っかかりとなって
透明な光から虹の色を引き出すものです。
透明で見えない普遍的な愛に
屈折率を与えて分光することで
目に見える色へと変換する
「恐れ」は真実の愛を見せてくれる絶大な理解者です。
この分離の世界で、愛を見える姿にする。
それが「恐れ」や「不安」の役割なのだと。
愛を見せようとしてくれているから、
「恐れ」に委ねてみると
あなたへの愛に満ちた「恐れ」の包容を感じるでしょう。
そういうことか。
分離の恐れと不安は見えない愛を見るためのプリズム。
満開の桜のメッセージが降りてきました。
愛を言葉にすることは花が咲くことに似ている。
言葉にしたとたん、エントロピーの法則が適応される。
咲いた花が、いずれ散る運命にあるように。
普遍的で永遠のはずの愛が、
有限な物質と同等に落とされる。
ただ、
散ってしまっても
その美しさ可憐さは心の奥に染みて
魂に触れ震えとなり記憶に留まり続ける。
言葉にして愛を経験するってのは
そういうことなんだろうか。
だから愛の表現として花を贈るのだろうか。
言葉のシャワーで確認する人
わがままを聞いてもらうことで確認する人
泣き喚いて抱きしめてもらうことで確認する人
嫉妬させて確認する人
自殺を止めてもらうことで確認する人
ご本人に感じるビジョンを描き、メッセージと解説をお付けします。