「明晰な意識」
そして別名は
「鏡の図形」「神様の図形」
参照:ノートルダムのバラ窓
描いてみて「鏡の図形」である理由が分かりました。
どこまでも線対称。
あちらとこちら、同じものが同時に存在し補い合う。
こちらの一点が決まればあちらの一点も決まる。
鏡に映る自分こそが神。
神社の鏡の役割と同じですね。
説明はありませんが、
「神様の図形」
とはそういう意味なのだろうと推測しています。
辻さんは目に見える世界と目には見えない世界を波長の違う青…
つまり濃さの違う青で表現したそうです。
(薄いほうが目に見えない多次元の世界)
ビジョンの中ではこの青の線は、透明なチューブの中に水が流れているかのように流動し続けていたそう。
流れのある線を二次元に表現するのはさすがに難しかったのでしょうね。
褪色しやすいペンで描いた、という点が動きを表現するひとつの比喩なんだろうと思います。
私のキラキララメラメのアートと同じく、
表現しきれないものを表現しようと足掻いた
ということなのだろうと。
流れがあることを感じつつ眺めることをオススメします。
ちなみに私は青と紫のラメペンで描きました↓
頂点を一つ飛ばしで結ぶ線は1周するけど
2つ飛ばしだと3周で完結。
3つ飛ばしはまた1周。
こういう周期や回転数も意味があるのでしょう。
「数が奏でる音」
を、少し感じ取れたように思います。
辻さんは
見るだけで波動調整できるような図形を、
図形の音でチューニングし意識の変容を、
という思いを込めて描いてくださったものですが
真似して描くことで描いてる最中に段階を踏んで調整されていくような、図形として成長していくような、時間の流れの愛しさのような、不思議な感覚に陥りました。
やったことないけど、きっと写経みたいな感じ。
図形は手書きであることが重要だそうです。
次元を超え多次元的に存在できるようなものはパソコンの作図や工場で量産されるようなものではなく、
人間が作り上げたゆらぎやあそびが必要。
辻さんの表現が美しい↓
手作りのものには微妙な「ゆらぎ」や「あそび」があり、それは人間の心臓の鼓動から、宇宙の音まですべてをつないでいる。
次元を超えて残っているもの…
土偶や埴輪、ピラミッドなどの石の建造物もそういう音を伝えるもの。
音響学的にイギリスのストーンヘンジを調べると、ストーンヘンジ内には石に反響する音同士が打ち消し合いゼロになるポイントがいくつもあると分かったそう。
音によるゼロポイントなんでしょうか。
テオティワカンの遺跡の彫刻にも、周囲の音を反響しケツァールの鳴き声の波長に変換するものがあるそう。
ケツァールは神ククルカンの使いとされている鳥。
周囲の音を神託に変えるということなんでしょうか。
ククルカンの使いだなんて知らなかったけど私もケツァール、描いてました。
音は深い。
私は図形16を、たくさんの人に見せたくて、でも辻さんの作品を掲載できないから自分で描きました。
そこには見栄も欲も傲慢さもなかったとハッキリ言えます。
だからこそ、辻さんの言う「ゼロポイントの意識で描く」ということを実行できていたのだと思います。
その図形にエネルギーを感じていただけたのならばとても光栄です。
B5の紙にぴったりの額がなかなか見つかりませんでしたがやっと見つかったフレームには鏡のラインが入っています。
「鏡の図形」
に相応しい!!!と私は感じましたがいかがでしょうか?